平成11年11月11日生まれ(10歳になりました!)の我が娘を語る親ばかサイトです。

子育てを通して父と母が思ったことや学んだことなどをちょっとずつ紹介していきます。

1999年10月アーカイブ

1999年10月10日(日)

逆子対策

逆子になってまず困ったのは、計画していた自宅出産が困難になったことだ。逆子のままだと分類上、自然分娩ということにならず、助産婦だけでは取り扱ってはいけないという法律があるらしい。そこでなんとか逆子を直そうとShokoの努力が始まったのだが、そうは言っても最初のうちはまだまだ深刻さに欠け、いわゆる逆子体操をしたり、あとはこれまでお腹のうさに向かって語りかけていたお願いが
「11月11日に生まれてきてね」(僕)
「2600gで生まれてきてね」(Shoko)
に加えて、「お願いだから元に戻ってね」となった程度だった。しかしそうこうしているうちにアッという間に1ヶ月が過ぎ、医者には37週目までに直らないともうほとんどやばいと言われるに至り、一念発起、もうこうなったら何でもやってやる!と言う意気込みで生活改善に取り組んだのだった。

まずは早寝早起き。6時前には起きて1時間ほど散歩する。それから入浴、ストレッチを行い、その頃僕はやっとベッドから這い出してくる。朝食は野菜中心。食事を作るのは僕の仕事だ。

日中も目を疲れさせては行けないということでTVは観ない。本も読まない。整体と鍼灸に通い、夜は家でもお灸する。両足小指の先と踝の上に各7回、計28個のお灸を艾を丸めて作るのも僕の役割となった。そして10時には消灯・就寝。全く感心するくらい、彼女の人生で最も規則正しい生活を送った日々だろう。おそらく。しかしこんな涙ぐましい努力も空しく、うさは頑として元に戻ろうとしなかった。たまに戻りかかってもまたいつの間にか逆さになってしまうのだ。この頑固さはいったい誰に似たんだろう?

1999年10月20日(水)

外回転

37週目、最後の手段とばかり、麻由美さんの紹介で外回転(外から逆子を回す技!)の権威、白石先生を頼ることにした。実は外回転を勧められたのはもう少し前で、力ずくで無理矢理回すのはうさがかわいそうと躊躇していたのだが、もう背に腹は替えられない。

この白石先生、お年寄りだがすごくいい先生だったようだ。白石先生の超絶テクニックで一度は頭が下になり骨盤に収まったかに見えたのだが、何故かくるりともう半回転してまた逆さにもどってしまったそうだ。白石先生も考えられないと首を傾げたらしい。

最後の手段、外回転も失敗に終わった。Shokoは白石先生の頑張りに結構感激して帰ってきたので、まあ後悔はせずに済んだけれど、Aクリニックで出産することを決意せねばならないのは気が重かった。残念、自宅出産ちょっと楽しみだったのに…

1999年10月23日(土)

帝王切開?

37週が過ぎても逆子が直らず、Shokoはかなりどんよりした気分でAクリニックに向かった。A先生は基本方針として逆子の場合は帝王切開を勧めることにしているらしいので、うちの場合も帝王切開といわれるだろう。

彼女は37週過ぎて自然に逆子が治った例もあるのを本で読み、それを心の支えに、一応自然分娩の希望を伝えてみるという。そして案の定、帝王切開を勧められたのだが、必死の懇願が功を奏したらしく、条件付で自然分娩(逆子は自然分娩ではないので正確には経膣分娩と言うらしい)にチャレンジしてみるという口約を取り付けてきた。その条件とは、レントゲンで骨盤の形状を確認し、経膣分娩が可能かどうか判断するというものだ。

レントゲンはこの時期胎児には影響ないとはいうが、やはりできることなら避けたい。しかし背に腹は替えられないのでしかたなくレントゲンを受けることにする。Aクリニックではレントゲンの設備がないので、2日後に提携している阿佐ヶ谷のK病院にレントゲンを撮りに行くことになった。

1999年10月25日(月)

レントゲン

よりにもよって雷の鳴り響く土砂降り。こんな天候の中、臨月の妊婦が何で出歩かされなきゃならんのだと理不尽さに怒りを覚えた。が、Shokoは経膣分娩への執念で嵐の中レントゲンを撮りに行き、数時間待たされて写真を受け取り、また嵐の中をAクリニックまで写真を届けに行ったのだった。

レントゲンの結果、Shokoの骨盤は胎児の頭の大きさより広く、一応経膣分娩は可能なことが判明した。しかし、A先生はできることなら大事を取って帝王切開にしたいという。また、最悪なことにこの日のエコーで臍の緒が首に二重に巻きついていたのが判り、これがA先生的にかなりの不安材料らしい。それでも、言われた通りレントゲンを撮って骨盤は大丈夫だったのだからと食い下がると、それでは万一の場合はすぐ帝王切開に切替えると言う趣旨の同意書にサインをしてくれと言う。

僕は家に帰ってこの日の経緯を聞いたのだが、まあ、なにはともあれ一応経膣分娩を前提に予定日まで待てることになったのだから、それまでの間にうさに回ってもらおう。同意書にサインなど幾らでもしてやるさ。と、胸をなでおろしたのだった。

1999年10月31日(日)

サイン

同意書にサインしたりするのが戸籍上他人というのもどうかと、これを機会に 一応入籍しておこうということになり、憶えやすいようにと(ゾロメ好きの僕の提案で)平成11年11月1日に籍を入れることにした。

で、友人の小梶夫妻に証人を頼みに、ボボリのアイスクリームを手土産に小梶家を訪れた。小梶君のところには子供が二人いて、これがまた両方とも可愛らしく、うちの子もこんなに可愛いといいなあと思わされた。久々に和やかに過ごせた1日だった。



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