育良クリニックに着くと、時計は0時をわずかに回っていた。
入院費1日分浮いたと不謹慎なことを考えつつ、Shokoの診察結果を待つ。浦野先生は相変わらず不機嫌そうで、羊水が少し濁っているが、子宮口はまだ指1本分しか開いていず、もう少し様子を見ようということになった。即手術かと思っていただけにちょっと胸をなでおろす。入院部屋は8畳くらいの和室で、家族も泊まれるようになっている。
助産婦さんが、陣痛がそろそろきつくなってきたShokoの背中をさすってくれたりしながら、多分朝までかかるから旦那さんは少し寝たほうが、と言われるので、お言葉に甘えて素直に寝ることにする。僕はとにかく夜に弱いのだ。ちょうど麻由美さんも到着し、早まって呼び出したことを詫びる。
ちょっとウトウトしていると、何やらばたばた、どうも心拍モニターが上手くいかないらしい。助産婦さんが子宮口の開きを確認すると、何といきなり全開という。急遽分娩室へ。本来ならこの部屋で自由な形で分娩もできるのだが、Shokoの場合は骨盤位ということで、分娩台での出産を余儀なくされている。あわただしく分娩室へ入るが、勝手がわからず居場所の無い僕に、助産婦さんが分娩台の脇に椅子を用意してくれる。 このとき1時45分。家を出てまだ2時間半しかたっていないのが信じられない急展開だ。
僕は椅子に座ってShokoの手を握る。Shokoの陣痛はとても激しくなっているらしく、呼吸の合間に悲鳴が混じる。助産婦さんが「とっても上手」とか「もうすぐだよ」とか励ましの声をかける。僕は何か声をかけたのか、それとも息を詰めて見守っていたのか全く憶えていない。ただ、もうすぐって言いながら後何時間もかかったりするんだろうなあと思っていた記憶はある。そうこうしている内に浦野先生が呼ばれ、浦野先生の手によって会陰切開される。会陰切開は無しが希望だったが、これは逆子のため止むを得ないという。浦野先生のはからいで麻由美さんがメインの助産婦に。この辺からもう何がなんだか憶えていないが、とにかく。
あっという間に、うさは出てきた。3時11分。
おんなのこだった。
麻由美さんの手で、うさがShokoのお腹の上に。
感動。
浦野先生に「利き手はどっち?」と聞かれ、いきなりで戸惑いつつ、僕は左利きなのでそう答えた。助産婦さんに左手に手袋をされ、はさみを渡される。僕がこの手で臍の緒を切るのだ。しかし臍の緒はゴリゴリと硬く、なかなか切れない。僕は確かに左利きだが普段はさみは右手で使うのだ。大体このはさみだって右利き用だし。何とか苦労して臍の緒を切る。出産に立ち会ったんだという実感が湧いてきた。
しかし男の子と信じて疑わなかったうさが、よもや女の子だったとは…男の子だと思っていたので心の底に封印していた『本当は女の子が欲しかったんだよーん』という本音が渦を巻いて湧き上がり、猛烈に嬉しかった。きっと、男の子だったとしても猛烈に嬉しかっただろうけど。
助産婦さんに「カメラは持ってきてないんですか」と言われ、あわてて部屋に駆け戻って鞄からカメラを取り出し、分娩室にまた駆け戻る。うさにフラッシュを浴びせては可哀相と思い、フラッシュ無しで撮ったのであまり良い写真が撮れなかったのは残念である。一応、出てきた胎盤も撮った。さすがに分娩室で胎盤を食べるわけにもいかないので、これは諦める。
胎盤は小さく、500gしかなかった。うさの体重は2536g。Aクリニックのエコーでは2850gと言われていたので予想外に小さかった。エコーというのはあまりあてにならないようだ。Shokoは楽に産めるようにできるだけ小さく、でも保育器入りにならないように、2600gで生まれてきてねとお願いしていたので、うさは、ちゃんとお願いを聞いてくれたわけだ。そして、11月11日に生まれてねという僕のお願いも。今思うと、ふたりのエゴたっぷりのお願いを聞いたためにうさがお腹の中で苦労したんじゃないかと猛反省。次の子がもし生まれるときには「自由に好きなように生まれてきていいよ」と言いたい。
なにはともあれ、無事生まれて本当に良かった。破水からわずかに4時間、入院して3時間。この間にちょこっととはいえ寝ていたワシって…後々Shokoに言われ続けるんだよなあ、薄情な奴って。
逆子ということで、あんなに大騒ぎしたのが嘘のように、うさはあっさりと生まれてきた。母子手帳の分娩所要時間の欄には2時間43分と記されているが、実感としては2時間もかかっていないと思える。大体、出産時刻の3時11分から2時間43分さかのぼった0時半ごろには、僕は助産婦さんにまだまだかかるからと言われて、ひと眠りしようとしていたのだから。終わりよければすべて良しということで、今までの苦労は一瞬ですべて良い思い出に変わった。たまたまラッキーだったといえばそれまでだが、やはり帝王切開を選択せず最後まで自然分娩にこだわってよかったと、あらためて思う。
検査などもひと通り終わり、部屋へ戻る。育良は母子同室が基本なので、うさも一緒だ。家族も泊まれる部屋をお願いしたので、親子三人で寝られる。麻由美さんは始発で帰り、また午後来てくれる事になった。タオルに包まれたうさを眺めながら、僕は幸せな気分で布団に入った。疲れていたのか一瞬で眠ってしまったように思う。看護婦さんが1時間ごとに様子を伺いにきてくれるので、熟睡はできなかったものの、朝まで寝てだいぶ疲れは取れたようだ。Shokoはほとんど寝ていないようだったが、気が張っているためか疲れた様子は見えなかった。やはり母は強いのだろうか。なりたてでも。
さて、早朝Shokoの実家とぼくの実家に無事生まれたと電話を入れた。Shokoの両親は東京に住んでいるのでお母さんがすぐ来てくれることになった。病院ではぼくの食事はつかないので食べ物を買ってきてもらって助かった。
Shokoもパンとサラダの朝食を取り、落ち着いたところでぼくは一旦うちに帰ることにした。受け入れの準備をしつつ、あちこちに報告のメールを出した。やがて次々にお祝いのメールが返ってくるのが何とも言えず嬉しかった。
夕方退院用の荷物を持ってまた病院に戻る。今日一晩泊まってお許しが出れば明日退院するつもりなのだ。明後日の予定の検査を無理を言って明日にしてもらった。Shokoは1日も早く家に帰って過ごしたいと言う。別に病院の居心地が悪いって訳ではないのだが。
夕食は和食で、非常に美味しかったらしい。ぼくは駅前で買ったフレッシュネスバーガー。昨日(というか今朝)あまり寝てないせいもあり、食後はすぐ横になることにした。でもうさがしょっちゅう泣くので眠れない。Shokoが乳首をふくませる。出ているのかどうか知らないがチューチュー吸っている。うーなんて可愛いんだ。でも深夜3時ごろ、あんまり泣くので看護婦さんが来て「ちょっと見ましょうか」といって連れて行ってしまった。ぼくらはすぐ戻ってくるものと思って起きて待っていたが、全然戻ってくる気配がないので諦めて寝た。結局朝(6時過ぎ?)まで帰ってこなかった。おかげでゆっくり眠れはしたが、ちょっとさびしかった。