2005年6月28日
親ミーティング
はらっぱ園の親ミーティングでウェブについてを議題にあげることになったので、shokoを通してよりも、自分で話したほうが早いと思い、参加することにした。親ミーティングに参加するのは3年目にして初めて。shokoはそれが少なからず不満だったようだが、とうちゃんにしてみれば参加がいやというわけではなく、交替で出席するより毎回同じ人が出席したほうがミーティングの流れ的に効率がいいのは事実だし、参加しやすさが同じというわけではない(とうちゃんは会社を休まなければならない)ことを考えれば、今まで参加しなかったからといって文句を言われるほどのことではない。
ミーティングでは思いがけず書記の役を任され(うちの順番だったらしい)、戸惑う。せっかくバンバン意見を言おうと思ったのに、筆記で手一杯になってしまった。なにしろ、久しぶりの手書きで漢字が出てこない。携帯のタイを待と書いたり、返事を変事と書いてしまったり、しゃれにならない。隣でshokoがしゃべりまくっているのをただ聴くだけで精一杯。shokoはなかなか良いことをしゃべっていると思った。
社会は本来、器ではなく、人の集まりなのだ。はらっぱ園はそれが結果的に、奇跡的に実現している稀有な例だ。ただ、不安定さはその代償であるから我慢すべきデメリットといった考えは違うと思う。そもそも「不安定」というのは「個々の自由」をネガティブに見ているに過ぎない。自由(すぎるの)は不安であるという囚われが表現されているのであり、つまりは受け取る人の側の問題である。不安を解消するには、「安定」という名を手に入れるために自由を制限する対症療法ではなく、自由であることをありのまま、ポジティブに捉えることが大事。そのためにはどうしたら良いかというと、やっぱりフラワーレメディだなあ。この場合は、単に不安を感じるならミムラスかな。他人に迷惑を強いられていると感じるならウィロー。考えていくとあらゆるレメディが当てはまる。結局は人それぞれの在り方のネガティブな面が反映されるのだ、などとミーティング中につらつら考えていた。ので、ノートが疎かになった。ごめんなさい。
ミーティングは午前中だけなので、はじめは半休のつもりだったが、暑いので(なんじゃそれ)休むことにした。かあちゃんとふたりでいおぴーのお迎えに行ったら、いおぴーはおおはしゃぎ。何して遊ぼうかとあれこれ考えながら帰ったけれど、結局3人で昼寝してしまった。
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