いおが友達と近所の林にクワガタ虫をとりに行くと言って出かけ、ほんとにとってきた。自分の子供の頃ならいざ知らず、今どき近所で簡単にクワガタがとれるなんて、いいところに越してきたなあとあらためて思った。
昨年はカブト虫を飼ったけれど結局全部死なせてしまった。今年はさて。
平成11年11月11日生まれ(10歳になりました!)の我が娘を語る親ばかサイトです。
子育てを通して父と母が思ったことや学んだことなどをちょっとずつ紹介していきます。
いおが友達と近所の林にクワガタ虫をとりに行くと言って出かけ、ほんとにとってきた。自分の子供の頃ならいざ知らず、今どき近所で簡単にクワガタがとれるなんて、いいところに越してきたなあとあらためて思った。
昨年はカブト虫を飼ったけれど結局全部死なせてしまった。今年はさて。
エレベーターやエスカレーターは極力使わず、階段で。階段を上る時は2段ずつ。登山に備えてのトレーニング。うっかりエスカレーターに乗ると、いおに叱られる。
ここ数年、七夕の願い事といえば、「あかちゃんにきてほしい」が定番だったのだが、今年は、誰に影響されたのか「せかいのへいわ」とか「じけんがおきないように」とか、いおらしくなくてつまらない感じ。
まあ、この子供らしくなく背伸びしたい感じそのものが、今のいおの在りようなのだろうけれど。
会社から帰宅途中、shokoから携帯に連絡が入る。おじいちゃんの容態が急変したのでこれから実家に向かうとのこと。家のすぐ近くまで来ていたので、一旦帰ってからいおを連れて3人で出かける。
バス停でバスを待つがなかなか来ず、もどかしい。こういう時は車があればなあと思う。
電車も急行がない時間帯なので時間がかかり、中野駅からはタクシーに乗ったが、結局着いたのは10時過ぎになってしまった。いおは眠気ピークで超不機嫌。
おじいちゃんはすでに逝ってしまった後だった。shokoが電話をもらった時にはすでに息をひきとっていたらしい。おばあちゃんは、いおがショックを受けないかと心配していたが、いおはどういう態度をとっていいのかわからないのだろう、先ほどまでぐずっていたのが嘘のように、何事もないかのごとく不自然なほど普段通りにふるまっている。あたかもそこにおじいちゃんが横たわっているベッドなど存在しないかのように。
自分の祖父が亡くなったのもちょうどいおくらいの時だった。弟とコタツに入っていると、母が「おじいちゃんが死んじゃった」と号泣しながら家に駆け込んできたことをはっきり憶えている。弟はまだ幼く、母が大泣きしているのが可笑しいらしく、けらけらと笑っている。それをたしなめながら、しかし実感はなく、すこしも悲しくはならず、それでもひたすら神妙にしていなければいけない、と自分に言い聞かせていた記憶がある。
初めての近しい存在の死を、いおがどのように受け入れていくのか、不謹慎かもしれないが非常に興味深くはある。変に気を回さず、自然に見守りたい。
昨夜はそのまま泊まったので、いおは学校を休む。いおは早起きして行くと主張していたが、そうもいかない。shokoと義母、義姉は悲しみにひたるまもなく、現実的な段取り仕事で手一杯。暇をもてあますいおを連れて公園へ行ったりしたが、いおもあまり遊ぶ気分でもないらしく、いつもならなかなか帰りたがらないところを、今日は自分からもう帰ると言ったりする。
一夜明けて、いおはおじいちゃんと向き合えるようになった。shokoから、おじいちゃんはもうこの体にはいないけれど、まだこの部屋にはいると聞かされて、何の違和感もなく受け入れている様子。苦しむことなく安らかに自宅で息をひきとることができたとshokoもおばあちゃんも悔いのない様子なのが、いおに安心感を与えてもいるのだろう。自分は実父の死にまだ悔いを感じているので、そのことがとても羨ましく感じる。
友引を挟んだりする関係でお通夜と告別式が土・日になったので、一旦家へ帰り、いおは今日は学校へ行った。学校へ行けるのがすごく嬉しそう。
一時は斎場の都合で日・月になりそうな気配だったが、月曜日はクラスでこどもの国へ乳搾りとバター作りの体験授業にいくことになっているので、それをすごく楽しみにしていたいおは休まずにすんで一安心。
学校が終わるとまたすぐおばあちゃんの家へ。
故人と遺族の意向で家族葬となった通夜は少人数で行われたが、それでも人伝に聞いて駆けつけてくれる人もあり、それなりの慌ただしさとなった。
いおはおばあちゃんに頼まれて、始まるまでの間、受付の脇に立ってずっと笛を吹いてくれていた。弔問客にしきりに感心されるのと、きれいな服を着られるうれしさが勝ち、「あしたも楽しみ」と言っていた。
昨夜は家族でおばあちゃんの家に泊まり、朝は10時に家を出ればいいからと皆でゆっくり朝食をとる。葬式当日というのにこののんびりした雰囲気は、自分の父の葬式が映画「お葬式」顔負けの大騒動だったのを思うと、不思議な感じ。
いおは初対面の親戚の方々にたっぷり可愛がられ、至福のひと時を過ごす。
shokoだけ実家に残り、いおとふたりで昨日のうちに帰る。今日は乳搾りとバター作りの体験授業。仕事の都合で早く出なければいけないので、送り迎えをCさんに、お弁当をSさんにお願いした。こういう時、気兼ねなく助け合える(うちは助けてもらってばかりだが)のって、すばらしい。
今日も校外授業。畑でトウモロコシと枝豆の収穫。今週で1学期が早くも終了だが、盛りだくさんな一週間で夏休みに入る前に疲れそう。
今日も校外授業。公営のプールへ。学校にプールがないので、プール授業は1回だけ。
自分の子供の頃は夏の体育の授業といえば、毎日プールが当たり前だったので、不思議な感じ。考えてみれば、ほとんどの学校にプールがあって夏中維持管理されてるのってすごい贅沢だ。管理費分だけでもいいから学園に補助してくれといいたい気分。
プール授業にあたり、事前にアンケートがとられた。水を怖がらないかとか、どのくらい泳げるかとか。いおの自己申告により3メートル泳げるということにしておいた。
毎年恒例の盆踊りの練習。shokoも参加して、このところ精神的に参り気味だったのが、すこしは気晴らしになったらしい。よかった。
京田辺シュタイナー学校の高等部卒業演劇を観にいった。
授業の一環として、台本、チラシ、ポスター、音響、道具、構成・演出まですべて生徒たちの手作りという。特に今回は台本も生徒が書いたオリジナル作品。正直、芝居の出来にはさほど期待はしていなかったのだが、なかなかどうして、上手下手は関係なく一生懸命さが伝わってくる演技と、なにより純粋な精神の持ち主でなければ決して出てこないであろうセリフに、思わず涙を誘われる場面すらあった。
いおがこんなふうに育ってくれればどんなにいいだろうと思わせてくれる若者たちに感謝。そしてやはりシュタイナー教育は12年一貫教育でこそ実るのだと感じた。横浜は9年制だが、いおはどんな進路を選ぶのだろう。
1学期が終わった。月例祭は近くの女子大の教室を借りて行われたが、4学年合同ともなると、すでに手狭となり、後ろのほうの席だったのでほとんど見えなかった。次回は何らかの対応を考えないといけなくなるだろう。
毎回密かな楽しみは、最上学年の出し物。今回は中国語の劇と詩の朗読だったが、この詩の朗読が素晴らしかった。単なる朗読ではなく、声と動きのリズムが相まってまるで演劇のような空間を生み出し、最後はおもわず肌が粟立つほどだった。いつものことながら、来年はいおのクラスもこんなふうにできるようになるのかなあと思う。なかなかそうならないのだが。
夜は盆踊り。
金曜日に観劇のため仕事を休んでしまったので、休日出勤。でも早めに切り上げてナイター観戦。
いおとshokoはおばあちゃんの家に行き、浴衣に着替えて、国立競技場駅の改札で待ち合わせ。球場についたらすでに1回表が終わっていて2点取られていた。が、いおの応援の甲斐あって3回に同点に追いつき、8回に宮本のタイムリーで勝ち越し。早めに切り上げようと思ったがいいゲームだったのでついつい最後まで観てしまった。
夜は3人でおばあちゃんの家に泊まる。
おばあちゃんがリビングにチェストを置きたいというので、皆で有明の大塚家具に出かけた。大塚家具はいおが生まれる前の引っ越しの時に家具をまとめて買って以来、およそ10年ぶりだが、名前と当時の住所を告げたらまだちゃんと会員登録されていた。あの時は食器棚を見に行ったのだが、イギリスのアンティーク家具コーナーにはまってしまい、全然必要も無い上に部屋にまったくそぐわないアンティーク家具を何十万円分衝動買いしてしまったっけ。
おばあちゃんも結局アンティーク家具コーナーで1920年のチェストを購入。母娘で趣味が似ている。shokoはまたぞろアンティークのダイニングテーブルと椅子のセットに魅かれている。
春先にいおとshokoがプランターにいろんな種を植えたのが、ずいぶん育ってベランダが賑やかになった。
5月
現在
今はいおもshokoもおばあちゃんの家に行っているので、朝の水遣りはとうちゃんの仕事。怠けて枯らすと怒られるのでしっかりと。これまで何度枯らせたことか。
朝、眩暈がひどくて起き上がれない。どうも、昨日会社と電車で冷房にやられて自律神経失調症ぎみのようだ。無理に動くと吐き気がするので横になったまま、実家のshokoに電話した。マーキュリーを飲めと言われたので飲んでしばらく寝る。少しましになったので午後から会社に行った。
会社にいる間も電車に乗っている時も、ずっとちびちび水を飲むようにしていたら、だいぶ体調が良くなった。
帰ってきたら、いおから励ましのFAXが届いていた。
隣町の盆踊り。いおは盆踊りのためにおばあちゃんの家から帰ってきた。
出かける直前に激しい夕立ちがあり、出かけるのを見合わせる。いおは雷が怖くてすっかり行く気をなくしていたが、30分ほどしたら雨が上がったのであらためて出かけた。
このお祭りは間近で花火が上がるので、ぜひ花火の写真を撮ろうと思っていたのだが、この雨でカメラを持っていくのはやめた。来年こそはぜひ花火を撮りたい。
いおはかき氷も食べたし、最後の1曲までしっかり踊って満足。留守番しているshokoのために焼きそばと枝豆を買って帰った。
久しぶりにばおばぶの木彫り教室へ。shokoも初参加。いおは今日は木彫りはせず、お店の手伝いに専念。
shokoは立体は苦手とさんざん嫌がっていたが、いざやってみるとなかなかの腕前で、本人も夢中になっている。shoko曰く「パパが憑いてるかも」。おじいちゃんは器用でこういうことが得意だった。
仕事中、shokoからメールが来て、おばあちゃんたちと中野でモツ鍋を食べるので来ないかというので、早退する。
モツ鍋を食べ終えて店の外に出ると、いつの間にか土砂降りとなっていた。雷も鳴っている。shokoといおはおばあちゃんの家に泊まるので、駅で別れて電車に乗るが、新宿まで行ったら落雷の影響で山の手線が止まっているという。しかたなく引き返し、おばあちゃんの家に泊めてもらうことにした。
久しぶりに3人で寝た。
いおが彫った木彫りのお地蔵さまを霊前に供える。shokoが「おじいちゃまに見てもらえなかったね」と言うと、いおは「おじいちゃまはまだこの部屋にいるから見てもらえるよ」と答える。
富士登山に向けての練習として、週末に登山に行くことにしたので、必要なものを買いにグランベリーモールのモンベルへ出かけた。
シャツやらズボンやら登山用の服をあれこれ買った。一番悩んだのはカメラをどうやって持っていくかだが、結局専用のカメラザックは買わず、shokoのリュックを借りていくことにした。いおは食べる酸素や飲むゼリーなど、登山用食品に興味津々。
モンベルにはクライミング体験コーナーがあり、同級生のKくんが挑戦したというので、いおも挑戦したがったが、身長制限でアウト。しょんぼり。