2002年01月31日

最終試験

いよいよ最後の試験になった。

朝、いおpさんを幼稚園に送ると、いおpさんは、自分から先生に抱かれに行って、私がさよならをすると、口をへの字に曲げて、ぐっと泣くのをこらえているようだった。いおpさんのがんばっている姿に、私まで泣きそうになった。明るくバイバイをするといおpさんも先生の首にぎゅっとつかまりながらバイバイしてくれた。

バイクでカーフールまで出て、朝食を取りながら、足の反射区を暗記する。もう泥縄式って感じ。でも結局は、覚えておかないと今後困るので、一気にに集中して覚えようとがんばる。少し遅刻をして学校へ行くと、藤垣先生が、「ワチャラ先生が実技試験を午後に伸ばして、午前中の筆記試験の後少し練習をしてもいいといってくれている」と言う。な、なんてありがたい申し出だろう。ミーティングの後、急いで筆記試験を終えて、フットの3人で練習をした。中級を終えたあとは、ずっと一人だったので、こうして一緒に学ぶ仲間がいると、とても楽しいし、心強い。

昼食後、すぐ試験。なんだか集中するあまり、一瞬真っ白になってしまう時があって、焦った。試験後、幾つか先生に注意点を指摘されて、少し落ち込む。が、試験の結果は、素晴らしいものだった。なんと97点!!今まで出最高の点数で、最後の試験を終えることが出来て、有頂天の私。

幼稚園へいおpさんを迎えに行って、早速、いおpさんに報告と御礼をした。出来れば、どこかでど~んと打ち上げたい気持ちだ。家に戻ったらMAMIさんに電話してみようと思う。バス停で、バスを待っていたら2台ほどバスに素通りされて、ちょっとムッとしたけれど、「どうせ混んでいたからいいよ。」と思えるくらい、浮き足立っている嬉しい私。と、後ろから「いおpさ~ん。」と呼ぶ声がする。振り返ると、MAMIさんとりょっぽくんがこちらに歩いてくる。なんて言う偶然だろう。MAMIさんたちは、いおpさんに会いに来てくれたらしい。私達が帰ってしまったと聞くと、りょっぽくんは泣いてしまったらしい。ありがとね。「もしかしたらまだバス停にいるかもしれない。」と先生に言われて、慌てて来たそうだ。バスが行ってしまわなければ、会えなかっただろうと思うと、その偶然に驚く。いや、偶然と言うのは無いのだね。

7時からお兄さんと食事をするというので合流させてもらうことにして、それまでの間、うちに来てもらうことにする。バスでON NUT駅に出てLOTUSで買い物をして家に帰る。早速ビールで合格祝いをしてもらう。嬉しいなあ。りょっぽくんは、いおpさんと其々に遊んでいる。7時前に家の側でタクシーを拾って待ち合わせの店に行った。タクシーに乗るときにお惣菜屋のおばちゃんに、声を掛けられて、なんだか地元感を強く感じだ。言葉がしゃべれなくても、なんとなく馴染んで行くもんだなあ。

日本風の居酒屋で食事。お兄さんの友人が5歳の女の子を連れてくる。さっき日本から一人出来たところだと言うので、驚く。お父さんの働くイサーンで1ヶ月過ごすのだそうだ。食事をしているうちに女の子が「お腹が痛い。」と言い出して、うろたえる父。私とMAMIさんは、疲れと不安のせいだから、家で寝ていたらよいと其々に心の中で思うのだが、普段子供を見ていない父親は、やはり不安なのだろう。結局、病院へ連れて行った。それまでのすったもんだの間、時間稼ぎにはなるだろうと思って、手元にあったポースティーラを飲ませる。そうしたら保険証を捕りに行っている間に寝てしまったそうだ。田舎で普段一緒に過ごしていない父親と1ヶ月過ごすと聞いて、私まで少し心配になって、手元にあったナックス・ヴォミカとポースティーラの小壜を父親に手渡した。何かの役に立てたら良いなあと思う。

また、タクシーで10時過ぎに家に戻る。後日、MAMIさんから「散財させてごめんね。」と電話が入った。私が節約生活をしているのを日記を読んで知っていたのだろう。気を使ってもらって申し訳ない。確かに私の普段の生活から考えると、驚くほどの出費だったけれど、最後の打ち上げだし、楽しかったし、それでいいのよ。いや実際、日本円で考えたら、それほどの金額じゃないし。でも駐在員の日常は、その金銭感覚で暮らしているのだなあ。と、じみじみ思ったのも事実だ。

2002年01月22日

ハーブサウナ実習

今日は、ハーブサウナの実習。用意した生のハーブ類を切って、ソムタムを作るときのように石臼で叩き潰していく。午前中は、まるで賄いさんのように延々とその作業を続ける。途中でいおpさんが来てやりたがる。先生は、いおpさんが包丁を持つのでハラハラしている。包丁を取り上げても、いおpさんは絶対に!手伝うのを諦めないことを私は知っているので、「一緒にやろうね。」と包丁を持たせて、一緒に切る。が、どこで手を出すかと思うと、私も恐かった。「1歳から包丁を」という幼児用の料理本がある(料理教室もある)くらいだから、いおpさんは、もう充分、包丁を持てる年齢なのだが。私は、やはり過保護すぎるのだろうか。それとも、ただ面倒くさがりで、子供を待てない母親なだけか。

昼食後、いよいよハーブサウナの体験だ。早速着替えて、サウナに入る。今回、サムンプライの講習を受けているのは、私一人なので、実に贅沢な講座になった。私は、今までサムンプライの講習と一緒になったことが無かったなあ。残念だった。実習体験のおすそ分けを受けられたのに。サウナは、何と言うか、実に快適だった。人が一人椅子に座って、顔だけ出しているような簡易サウナがタイでは売っていて、なんとLOTUSみたいなスーパーでも売っているのだ。ああ、買って帰りたい。温度はちょうど温目のお風呂のようで、体にまとわりつく蒸気がとても暖かく気持ちよい。首周りの隙間から漏れてくる蒸気が、ふんわりとハーブの香りを運んで、それが実にリラックスできる。鼻をすっきりとさせてもくれるようだ。全然、暑くも苦しくも無いサバーイなお風呂だ。1ヶ月以上ずっと、シャワーだけの暮らしをしていたので、余計にこの温い温泉状態が心地よかった。このサウナは、だいたい15分から20分くらい入っているのだが、私はあまりのサバーイさに出るのが嫌で30分以上入ってしまった。ムンムンするからとサウナが好きではないワチャン先生は呆れていたけれど、いや、風呂好きなんすよ、日本人は。

私があまりに感激して、キャーキャー喜ぶので、同じ部屋で実習していた他の人たちも、自分のマッサージが終わると次々と着替えて、サウナの体験をした。皆、同様に気持ちが良かった様子。お店でもハーブサウナのサービスを始めるように、藤垣先生に強力プッシュした。とにかく私は、入りに来ますから。

2002年01月21日

サムンプライ

時間が飛んでいってしまうようだ。今日からとうとう、サムンプライ(タイ・ハーブ)を学ぶ。とは言っても一週間で学べるものは、ほんのさわりだけだ。本来、サムンプライは、3年生の全日大学でみっちり勉強しなくては、学べない。それでも学びきれないほどだと思う。専門的なタイ方医学の医師になるには、その大学を出て、試験に合格しなくてはならにのだが。それがめちゃめちゃ難しくて、毎年1000人受験して、合格者は70名ほどだと言う。合格率7%だ。しかも受験資格は、7回までで、それ以降は、また3年学校に行き直さなくてはならないらしい。とうてい外国人に手を出せるもので無いし、だいたい外国人には受験資格は無いだろう。

タイは、日本に比べると植物の種類が異常に多くて、しかもそれを日常的に食している。自生するものも多く、だから働かなくても山に住めば生きていかれるのだ。凍死の心配も無いし。バナナなんか芽が出てから実がなるまで、たった7ヶ月しか掛からないらしい。しかも自生している。米も年2回取れるのだ。だから、とても安い。「米粒一つ残さずに、大切に食べる」と言う文化をもつ日本とは、本当に大きく違う。タイは豊かな国なのだ。米一粒を大切にしなくても、食べるものは自然にいくらでもあるのだ。世界観の違いを感じるなあ。

今日一日、タイ・ハーブについて説明を受けて「これを知って、どうしたら良いのだろうか」と思った。どれも日本には、無い植物ばかりなのだ。でも考えてみれば、日本では欧米のハーブは、結構メジャーに扱われている。外国の精油も多くあるし。全然なじみの無いハーブでも、高価でも、需要はあるのだ。だったらもっと近い土地にあるタイやインドのハーブが浸透しても良い気もする。タイハーブのマッサージ玉は、本当に良い香りだし、第一、とても気持ちが良いのだ。ハーブ・マッサージが東京で受けられたら、良いだろうなあと思う。もちろん、高価だと嫌だけど。 もうずいぶん年数が経っていると思うけれど、アーユルヴェーダは、なぜ日本でメジャーにならないのだろうか。難しすぎるのか。

私が授業を受けている間に、イオpさんもサムンプライを体験していたらしく、授業が終わってイオpさんに会いに行くと、全身+顔も黄色くなっている。イオpさんが痒がっていた様子で、行水後にウコンの一種の汁を塗ってくれたらしい。ますます怪しいタイの子供、いおぴー。

学校帰りに本屋によってタイハーブの図鑑を見るが、英語版は1500Bもして、びびる。しかもVol.1とか書いてあるのだ。一体、難関まであるのだろうか。ちなみにタイ語版は、350B位だった。う~む。エカマイでマッサージを受けようと思ってバスに乗ったけれど、イオpさんが寝てしまったので諦めてON NUT駅まで乗っていく。

なんだか猛烈にケンタに寄りたくなって、イオpさんが寝ているの良いことに寄ってしまう。が、椅子に座ったら、起きた。上手い具合に、店内に子供の遊び場があったので、イオpさんをそこで遊ばせて、私は食べた。イオpさんは、ドーム型の遊具に大喜び。子供が数人遊んでいたのも嬉しかった様子で夢中で遊んでいる。時々、かーちゃんの所へ戻ってきては、フレンチフライを一本持って、また遊びに行く。こんなに行儀が悪く、野放しで、しかもジャンクフードを食べていて、まったく何をしているのか>私。これじゃ、自然育児友の会を破門て感じだよ。でも、なんだかその時間が幸せだったのも真実だ。何が良かったんだろうか。う~ん、とにかくイオpさんが幸せそうだったのだ。見ると、他の子も時々、親のところへ舞い戻っては、芋や鶏肉を食べて、また遊びに戻っている。めちゃめちゃ行儀が悪いけど、なんだか幸せそうだ。

LOTUSで買い物後、遅くなったのでフードコートで米麺を食べて帰る。何が悪かったのか、帰宅後、服を脱ぐと背中や腕、足も発疹が出ている。顔が良くなって手足に出ているのは、ホメオパシーが効いているという事なのだろうか。とても痒いみたい。今朝は、収まっていたのになー。痒がって、目を覚ますイオpさんの背中をトントンしながら、凄く惨めな気持ちになる私。

2002年01月20日

またもサティアン公園に行けず

今日こそサティアン公園へ行こうと思い、10時前に家を出てエカマイからバスに乗る。が、またもや途中で曲がってしまうバスだった。車掌のお姉さんに地図を見せて説明するが、散々乗客を巻き込んだ挙句「このバスは、行かない。タクシーで行きなさい。」との結論で、バス代の10Bを返してくれた。親切だ。なんだか意地になってしまって、サティアン公園方面へ行くと思われる534のバスに乗ろうと、わざわざ戦勝記念塔までバスとBTSを使って行った。途中でイオpさんは、寝てしまう。戦勝記念塔は、暑くて広くてバスがやたらとたくさん来て、もう死にそうだった。いくら待っても、場所を移動して探してみても534のバスはいない。最近、冷房バスのナンバーが変わったみたいで、過去11だったバスが511になる、と言ったように、だいたい500番が追加されているようなので、34番が来たところで、乗ってしまった。ら、それは、やはり534ではなかった。チャイナタウンの方に行くバスで、それならサンペンレーン市場へ行ってイオpさんのパジャマを買い足そうかと思ったけれど、あの混雑を思うと、ちょっと根性が出なくて、マーブンクロンの前を通ったところで降りてしまう。

サイアムセンターまで歩いて、5Fのおもちゃ売り場でイオpさんを遊ばせる。木のおもちゃが多くあって心が動いた、けれど高いので考えることにする。フードコートで、お昼ご飯。いおpさんが「冷たいのお茶ください。」と言う。「冷たくないけど、お水を持ってきてるよ」というと、「冷たいのお茶、買ってきてください。」なんて言う。しかも「黒いの物~。」との注文だ。冷水機を見つけて、コップに水を入れてストローをさして持っていくが、イオpさんは騙されずに「黒いのお茶、買って来て~」となおも注文を出す。こうなると収まりがつかないので、仕方なく買うことにする。黒いお茶は、龍眼ジュースしかない。いおpさんは、「それでいい」というので買った。美味しいらしい。私にも「飲んで、飲んで。」というので飲んでみると、結構いける感じ。イオpさんは「お腹痛くなっちゃうから、少しずつね。」なんて言いながらちびちび飲んでいる。あ~あ、そんなこと言いたくなかったんだけどなあ。言っちゃってるなあ。>私。ネガティブなことを言ってイオpさんの行動を制約することは避けたいのだけれど、つい言ってしまっている。自分がそうやって育てられてきているからだろうか。でも言うことを聞かないイオpさんにどういえばいいのだ。大抵は、説得する時間もない。無理やり行動を制止することを避けようとすると、つい脅して行動を制約してしまう。暴君的なやり方であるのは違わないのに。とほほ。

なんだか疲れて、学校へマッサージを受けに行くことを思う。学校ならイオpさんを任せてマッサージしてもらえると思うので。BTSでエンポリに出て、まず本屋さんで買い物をして、公園へ行ってイオpさんを砂場で少し遊ばせる。砂にもぐりこむようにして遊ぶイオpさん。平日も良く連れてきてもらっている様子だ。遊びなれているといった感じ。午後で暑いせいか、日本人は誰もいない。タイ人の子供ばかり。疲れた様子のお父さんが、3・4歳くらいの男の子に哺乳瓶でミルクをやっている。ベンチで父親に抱かれてミルクを飲む子供。母は、どうしているのか。孤独なやもめか、とーちゃん。またもや勝手にドラマを盛り上げる私。暫くすると二人でシーソーに乗って楽しそうに遊んでいた。いおpさんも遊びたがったので、少し一緒に遊ばせて公園を出た。

マッサージを受けに学校へ行く。繁盛しているらしく、おばちゃんたちは出払っていた。男性のマッサージでもいいか?と聞かれるが、女性を希望する。本当は、イオpさんのお気に入りの可愛い男の子によるマッサージも「きゃ~、喜んで!」って感じなんだけど、マッサージを受けるのは勉強の意味もあるから、若造くんでは、勉強にならないのだ。残念だが。結局若い女の子が来て、しまったと思ったけれど、受けてみたら結構、(良くも悪くも)勉強になった。おばちゃんたちに仕込まれたって言う感じのマッサージだった。やはり、いろんな人のマッサージを受けるのも、良い勉強になるもんだなあ。

2002年01月19日

痛いマッサージ

痛いマッサージ

せっかくの休みをどう過ごすか、色々と案が浮かぶが、どれもイマサが来ると思うと、「イマサと一緒に」と思って、なかなか今日の予定が決まらない。ふとBTSの地図を見ると、ON NUT駅から出ている無料のシャトルバスがソイ103まで走っていて、終点はショッピングセンターらしい。行ってみた事の無い場所なので、行こうと思いたつ。結構、ソイの奥まで走って、未開発の場所を走り、唐突にショッピングセンターに着いた。なんだか週末だというのに人が少ない。広すぎるからそう感じるのだろうか。6Fが子供遊園地になっているみたいで、行ってみるが電気が消えている。屋内だけれどジェットコースターや観覧車まであるような遊園地なのに週末に休みとは、ちょっと寂れているのか。児童遊園が3Fにあったので、そこで少し遊ぶ。セントラルデパートが入っていて、おもちゃ売り場でいおpさんは、タイ人の女の子にまめまめしく遊んでもらう。う~ん、なんて世話好きなんだろう。しかもお世話がこまやかだ。ベビーシッターとして雇いたいくらい。7歳くらいだろうか。結構、家は金持ち風だ。想像だが。

どこかレストランで食事でも、と思うが、どうしても上級合格祝いをする気になれず、またバスでON NUTに戻る。そこからバスを乗り継いでトンローに出た。イオpさんは、バスの中で寝てしまう。実に気持ちよさそうだ。たっぷり遊んで満足したのだろうか。トンローの麺屋に入ったら、目を覚ましたので、二人で麺を食べて軽い昼食とする。本当はシャトルバスに乗ろうと思っていたのに、なぜだかひたすらに歩いてしまって、足マッサージの店に行く。週末のせいか、店はいっぱいで少し待たされた。客は、ほとんど日本人だ。トンロー周辺は、特に日本人の多い場所だからだろうか。私がマッサージを始めると、女の子を連れた家族がやってきて、イオpさんは大喜び。歳も丁度2歳だそうだ。体の大きさも同じくらいで、イオpさんくらい小さい2歳児もいるんだなあ、と思う。パパもママもとても綺麗な美人家族。「いいなあ。豪華な感じで。」と貧弱で、どうしても貧乏臭さを払拭できない私は羨ましく思う。なぜ貧乏臭いんだろうな。>私。

足マッサージは、台湾式でとんでもなく痛かった。痛いのは嫌だ、と思う。足マッサージが終わると3Fに連れて行かれて、寝てマッサージを受ける。なんだかお得な感じだ。マットが6枚くらい並んでいて、皆、マッサージを受けている。マッサージ師によってそれぞれ、まったく違うマッサージを受けている。足を揉んで悪いところを重点的にマッサージしているのだろうか。それにしても、あまりに揉みが違いすぎる。私を担当したお兄ちゃんは、マッサージもとんでもなく痛い。しかも短時間でガンガンストレッチ技を掛けるので「やめて~」って感じだった。私があまりに「イタタタ。」と苦しんでいるので、イオpさんが心配して、あまたを撫でて「大丈夫よ。」「痛くないよ。」と言ってくれる。が、痛い。なんだか不愉快だった。いくら治療でも、乱暴で痛いのは嫌だ。呑気に背中をマッサージされている隣の人が羨ましかった。「痛くなくても、治癒できるのになあ」とクレニオやオステオパシーに思いをはせる私。タイマッサージに私のいる場所は無いのだろうか。とほほ。

2002年01月18日

上級試験

なんだか、だらっと試験日がやってきた。本当に大丈夫なんだろうか。不安だ。午前中、他の人が筆記試験を受けている間、私はひたすらマッサージの練習をした。が、結構とばしてしまう。あ~~~、どうなるのだ。私。イオpさんがお昼も食べずに寝てしまったので、一人でお昼ご飯を食べに出る。イオpさん用に、焼きバナナを買って戻るが、寝ている。おやつをたくさん食べたのだろうか。試験前に教科書を見て復習するが、あまり頭に入らない。とにかく試験だ。いつもよりも早く試験が始まった。いきなり、最初のほうで間違えそうになってしまう。なんだか集中できないのだ。疲れているのだろうか。すごく散漫な感じ。皆が、次々とマッサージを終えるが、上級のマッサージは果てしなく長く、全然終わらない。カーテンの向こうでサンディとI親子がスパ話をしているのが気になる。どちらもバンコクのエステ巡りをしているらしく、すごく詳しくあちこちの情報交換をしている。その話が、とても気になって、ますます集中できない私。やっとマッサージを終えて、話に参加する。マッサージは、全然満足できない内容だった。とにかく散漫だったし。一つやり忘れてしまった。とほほ。でもあまり疲れていない。これは、良い成長だ。

サンディのお薦めスパを聞く。I親子は、早速週末に行ってみると言う。私も行きたいけど、イオpさんを連れて二人でスパは、どうか。「どうせならimasaと一緒に行きたいなあ」と思う。

試験の結果は、87点。とほほ~な結果だ。なんだかとても落ち込んで、どんよりしてしまった。「上級は、一番良い成績を取りたかった。」と私が言うと、藤垣先生は、ワチャン先生は厳しいからと慰めてくれる。ラダ先生が、「もうお店で使えるくらい上手い。」と言っていると通訳してくれる。ワチャン先生も、「もう充分にトリートメントできる力があるから、恐がらずにどんどんマッサージしなさい。」と言ってくれる。本当にありがたい言葉なのだけれど、なんだかテストの点数が、どうしても気になって、その言葉の意味することを充分に喜ぶことができない。

今日は、タイ語の授業もあったせいか、テスト後の開放感みたいなものに、全然浸ることができない、寂しい金曜日だ。うーーーむ。落ち込むなあ。

2002年01月17日

そしてアイス

今日は、ラダ先生にマッサージをした。厳しくチェックが入るので、緊張するが、細かいところが修正できるので、とてもありがたい。マッサージ後、ワチャン先生がラダ先生と何かを話している。「マダム。マッサージはいかがでしたか?と聞いたら、お店で通用するマッサージだと答えていたよ。」とワチャン先生が教えてくれた。なんだか、とても嬉しい言葉だ。私は、ずっと学校でしかマッサージをしたことがなくて、実際、私のマッサージのクオリティはどうなのだろうかと、ずっと不安だったのだ。

午後、ラダ先生と藤垣先生が、イオpさんを連れてサムンプライ(タイ・ハーブ)の買出しに出かけたようで、授業が終わっても帰ってこない。暫く待っていると、マックのミニ・ソフトクリームを手にイオpさんが意気揚揚と帰ってきた。アイスを見て、卒倒しそうになる私。イオpさんに「一人で一つは多いから、お母さんと半分こしよね。」と声をかけると、藤垣先生が「平気だよなあ。いつもは一個を一人でぺろりだよね。」と言う。なぬ~~~っ!!!?いつもとは~~あ??一体、何回、一人でアイスを食べたのだろうか、いおぴー。なんとか冷静を保って、イオpさんの食べかけのアイスを取り上げる。「お母さんにも、ちょうだい。」というと、最初は嫌がっていたけれど、結局、くれた。やっぱり多すぎたのだと思う。

アイスのせいだけとは思わないが、発疹が出ている。なんだか怒りが湧くが、何に対してだか、自分でも良くわからない。イオpさんの食の制限に対して、きちんと言えない自分に対する怒りだろうか。でも言いたくない気持ちの自分もいるのだ。厳しく線を引きたくない自分。親としては、あまりに無責任だろうか。はあ~。

2002年01月16日

糖分て

今日は、イオpさんの調子が余りよくないようだ。私にべったりくっついていようとする。マッサージをしていてもやたらと声をかけたり、すぐにおっぱいをしようとして、マッサージができない。見かねてマッサージのおばちゃんが、泣いて嫌がるイオpさんを下に連れて行ってくれた。イオpさんにヤクルトを手渡そうとするのを私が制止したら、後でワチャン先生に「なぜヤクルトを飲ませたくないと思ったのか」と突っ込まれてしまう。私が「乳酸菌は体に良いかもしれないけど、ヤクルトは砂糖の害の方が大きいと思うから」と答えると「甘いものを取らせたくないのは、何故か」と聞かれる。アセモ対策でMLにて「甘い物、冷たいものに寄る冷え、きちんと汗をかけていないこと、ストレスなどを指摘されて、思い当たるので。」と答える。藤垣先生は、「でもそれじゃ糖分が足りないでしょう。」とお定まりの突っ込み。初めてそんなことを言われて、驚いた。本当にそう思っているのだろうか。「野菜や米で充分糖分は取れると思っているし、第一今は、外食すれば糖分摂取がとても多くなるので、積極的に糖分の制限はしていかないと、摂取過剰になると思う。」と言うと、あまり納得していない様子だった。思わず、乳製品や精製糖の害について、一席ぶちそうになったけれども、興味をもてる話じゃないだろうし、我慢した。

タイ人は、太った人が少ないけれど、最近、肥満の子供をよく見る。あきらかに「食生活に問題あり」と言った感じだ。健康診断で指摘されないのだろうか。食べ物にグラニュー糖をいえる習慣は、それほど古くからあることではないと思う。薬膳的なものを多く取り入れてていたり、結構健康的な基本食を食べているのになあ。もったいない気がする。多量の精製糖とムカツク位辛い唐辛子のあり方は、もう少し考えたほうがいいかもしれないぞ。>タイの人たち。

2002年01月15日

ますます、お手伝い

いおpさんは、ますますお店の手伝いに精を出しているらしい。今日は、「まず足を洗ってください~。」と言っていた。すごいぞイオpさん。

2002年01月14日

商売繁盛

また月曜日。今週が始まる。夕べは、夜中に起きることができずに朝までベッドに居たのに、なんだか体が重く、目も腫れぼったい。夜中もずっと起きているからなあ。ああ、誰にも邪魔されずに、ぐっすり寝てみたい。子供を持つ前は、眠れない日々は、新生児期の3時間授乳の時だけだと思っていたよ。実際は新生児期は、1時間授乳だったし、2年経った今も、3時間続けて寝てくれたらOKって感じだ。こんなのうちだけ?こんなに寝なくても体を壊さない自分にびっくりしてしまう。

ほとんど定番となったメニューで朝ご飯を食べて出かける。本当は、もう少し早く出て公園で遊んでから学校へ行きたいのだけれど、結局ぎりぎりの時間になってしまう。私は、上級コースの2週目。今日は、フェイスマッサージを習う。なんだか指が痛くてパワーが出ない。

ラダ先生が、嫌がって泣き叫ぶいおpさんを連れて散歩へ行ってくれたので、穏やかに午前中が過ぎた。お昼ご飯に降りると、いおpさんはご機嫌で、1Fからヤクルト!をもって上がってきた。とうとう禁断のヤクルトまで飲んでしまったか…。「甘いから、ちょっとだけしか飲まないよ。」とか言いながら階段を上ってくる。「よかったね。美味しいね。」と声をかけたが、私の顔は引きつっていたかも(^^;。「ほしい?ほしい?」と言いながら私にくれるので、残り半分のヤクルトは、ありがたく私が頂いた。買ってきてもらったチャーハンで昼食。いおpさんも少し食べるが、ほとんど遊んでいる。おやつをたくさん食べたのだろうか。眠くなさそうで、また1Fにおりて「おかあさんとお散歩~」というので、二人で出かける。

毎日、お散歩に出ているせいか、自分でさっさと歩いていく。ずんずん駅に向かって歩いていくので、「どこまで行くの?」と声を掛けると「えーとね、お馬とね、お砂場とね、あるの。公園。」「え~、いまからエンポリの向こうまで行くのか。時間無いかも。午後、ラダ先生に連れてきてもらって。」ごねるいおpさんを説得。ちょうど道端に出ていたおもちゃを見たりして時間を稼ぎ、お煎餅と仙草ドリンクを買って帰る。お昼寝をしようとするが、3Fにもお客さんが来て、4Fのいつものマットレスにも今日からの生徒が一人昼寝をしている。いおpさんを抱いて、うろうろするが安住の地がなく、そのうちにラダ先生が「いおちゃん、お散歩。」と嫌がるいおpさんを「アイスクリームね。」なんて言って、連れていった。「いらない」と言って泣くいおpさん。本当にアイス売りの前でも「いらない」と言ってくれよ。

午後もマッサージの続き。前半はだいぶ覚えてきたけれど、怪しい部分も多し。だいたい3時間くらいかかって、今日まで習ったところを終えられているようだ。昨日よりましか?

4時過ぎに授業が終わって、下に降りていくと、いおpさんは先生の奥さんと茹でピーナツの殻剥き中。いおpさんは、食べるよりも殻剥きに夢中のようだ。そこへ藤垣先生が来て「いおpちゃんは、またおこづかいを貰ったんだってね。」と言う。昼間、校長先生がいおpさんにおこづかいを20Bくれたのだ。夕方には、ポケットに入っていなかったので、なにかおやつでも買ったのだろう。「え?またと言うと?」と聞くと「お客さんにチップを貰ったらしい」そうだ。ひえ~~。

いおpさんは、ご機嫌で先生達にワイをしながら挨拶して1Fに降りていく。ちょうど帰ろうとしていたお客さんに「また、きてくださいね~。」と声をかけるいおpさん。そんなことまで教え込まれていたのか…。喜ぶ客。「おかあさんもいおpさんも学校にはお世話になっているから、お店にも協力しようね。」と帰り道に話し合う。いおpさんも何か役に立たないとね。

2002年01月13日

地元でのんびり

朝、5時過ぎに少し寝てしまって、8時前にベッドから起き上がる。今日は、家でノンビリと過ごすことにしよう。先生の家で過ごしている間、いおpさんは奥さんに言われて、ずっとオムツ無しで過ごしていた。タイ人の子供は、オムツをしないと聞いていたけれど、本当のようだ。夜もシーツの下にビニールを敷いてくれて「オムツなどしないで寝るように」と言われた。パジャマのズボンだけ穿いて、上手い具合に夜、おねしょをしなかったので、朝、トイレを上手に使うことができた。昼間もオムツ無しで直接ズボンを穿いていた。2回おもらしをしたけれど、先生達は、全然OKって感じ。ただ着替えるのみ。楽でよかった。ので、今日もオムツ無しで出かけようと思い、ワンピースにパンツを穿いて、近所まで朝ご飯を買いに行った。わずか100mほどの道のりなのだけれど、のんびり寄り道しながら行くと案外時間が掛かる。籠をしょって売りに来たふかし芋をいおpさんが欲しがったので、買ってあげる。6Bなり。あと麺を買って帰る。

朝食後もノンビリ過ごす。庭で緑の手入れをしていると、隣の男の子が外で遊んでいたので、「いおpさんも一緒に遊べば?」と外に出してやる。しばらくすると「遊んでくれないんだって。」と言いながら戻ってきた。「えー、そんなこと無いよ。遊んでって言ってみたら?」とまた出してやる。すぐに男の子を連れて帰ってきた。名前を聞くと「ア・リー」と答える。7歳くらいか。二人で玄関先でおままごとをしている。私が洗濯物を干したりして家に出入りしていると、一緒についてくる。その辺の屈託の無さというか、遠慮の無さがタイ人ぽいよな、と思う。ふと見ると、リーが水を飲んでいる。どうやら勝手に冷蔵庫を開けてボトルを持ってきたようだ。そのうちに家から自分のおもちゃを持ってきて遊びだす。その屈託の無い姿を見ていて、「やっぱり私は、子供が苦手のようだ。」と思う。いおpさんと一緒に遊ぶのも下手だしな。

お昼になって、お母さんに大声で何度も呼ばれて、しぶしぶ帰るリー。両手に一杯おもちゃを抱えて、なんども行ったり来たりして、やっと帰っていった。いおpさんとホッと一息ついて、お昼を買いに出掛ける。またも100mほどの道のりをノンビリ歩く。お昼寝後、ソファでいおpさんのマッサージを受けていると、玄関のベルを誰かが鳴らしている。隣の子のいたずらだろう。時々、ピンポンダッシュしていくのだ。ほうっていると、何度も何度も何度も何度も押す。どんどんエスカレートして、非常に煩いので、出て行って「煩いので鳴らさないで欲しい」と日本語で(苦笑)話しかける。わかってくれたようだが、またうちで遊びたいらしい。面倒なので、私たちが外に出ることにした。いおpさんは、私も一緒なので嬉しそうに家の前の道を行ったり来たりしている。はす向かいのおばあちゃまが、門の前に座って涼みながらそれを見ていて、おばあちゃま好きないおpさんは、さっそく挨拶に行く。学校にいるイサーン出身のお姉さん達と違って、穏やかな話し方をするおばあちゃまをいおpさんはたいそう気に入ったようで、「見て見て~」と言いながら、前を行ったり来たり、いろんなことをして見せる。おばあちゃまも大喜び。マシンガンを持ってきて、振り回している隣の男の子を叱り飛ばしては、いおpさんにニコニコ笑いかける、そのギャップが笑える。なんか、下町っていう感じ。

日が傾くまで、そうやって過ごした。家に戻って、残り物を適当にアレンジして夕食。食後もマッサージや絵本を読んで、久しぶりにゆっくりと過ごしたという感じだ。

2002年01月12日

子供の日

ワチャン先生宅で目を覚ます。イオpさんは、まだ熟睡中。私だけ起きて、ポーチで暖かい豆乳を飲む。この家は、庭に向かって入り口が大きく開いており、そこに広いポーチがある。ダイニングセットや、寝椅子が何台もあり、一家は大抵、ここで過ごしているようだ。庭には、本当に大きなマンゴーの木が二本、庭を大きく覆うように茂っていて、とても気持ちが良い。久しぶりに、冷房も無く、緑の多いところで一日過ごせるなんて幸せだ。ワチャン先生は、朝から訪ねて来ている自分のお母さんにマッサージをしている。働き者だ。本当ならいつも週末は土日とも政府主催の学校で、貧しい人の就職をバックアップする為に、タイマッサージを教えている。今日は、国民の休日ということで、その学校もお休みなのだ。めったに無いお休みなのに、朝からマッサージする先生。タイマッサージが天職なのか。その後も3人ほどの患者が、家にマッサージを受けに来ていた。それじゃ、全然お休みじゃないじゃん、先生。医者の不養生とは、この事だ。

イオpさんがやっと9時近くなって起きてきて、ワチャン先生の家に居ると判るとニコニコしながら「おばあちゃまは~?」とポーチに出て行った。イオpさんも豆乳と揚げパンで朝食。だらだらと過ごす。裏庭のタイ・ハーブ畑に水をやりに行ったり、ポーチに新聞を敷いて食事の支度を手伝ったり、庭を掃除したり。こうしてみると先生も先生の奥さんも、実に上手くイオpさんにお手伝いをさせてくれている。イオpさんは、大満足。私は、やはり身近な祖父母の存在の必要性を強く感じる。

暫くして先生の息子さんが、寝不足な様子で目を充血させて起きてくる。イオpさんの声を聞いて起きて来たようだ。さすが、子供好きのタイ人だ。写真で見たとおり、とてもキュートな感じ。声もちょっと掠れた魅力的な声だ。年を聞いてびっくりの34歳、独身。空港勤務。性格もとても良さそうで、さすがに自慢の息子だ。奥さんと仲良く話している様子が、とても好感が持てた。あとイオpさんに対する態度とか。きっと、男女共にもてるんだろうなあ。マッサージについての助言を幾つか受ける。

奥さんの美味しい昼食後、昼寝。不覚にもイオpさんを寝かしつけるだけのつもりが、私も寝てしまった。1時間ほど寝て、奥さんと一緒に近所の屋内マーケットへ。イオpさんは、ここでも道行く人皆にちょっかいを出されて、ついに「キーーーッ!!」となる。どうにも収まらずにキーキー言うイオpさん。当然、タイ人にはイオpさんのストレスは解ってもらえず。近くにいたおば様に「そんな風に煩くしては、いけませんよ。」と窘められてしまう、可哀想なイオpさん。やはりストレス限界だ。落ち込む私。なんだか突然、イオpさんをおもちゃにするタイ人に対する怒りが湧いてしまう。自己逃避だろうか。

結局何も買わずに帰宅。奥さんが、自分を台にしてマッサージをしてみろというので、急遽、マッサージの講習会になる。イオpさんが慌てて阻止しに来たけれど、先生息子に相手をしてもらって、ご機嫌に遊んでくれた。が、あまり持たず30分位で中断。それでも得るものは、多くあった。あ~、まだまだ精進しなくては~~!

だらだらと過ごし、5時過ぎに先生宅をおいとまする。結局だらだらと過ごして一日が過ぎてしまったが、もともとは、「子供の日に市内で色々と子供向けのイベントがあるので、案内してあげる」と先生夫妻が言ってくれて、「それなら前の晩から家に泊まって」てな展開だったはず。さすがタイ人。常に今を生きている人たちだ。先のことが、まったく読めません。(笑)。奥さんが、ご飯や果物などを袋に詰めて持たせてくれる。なんだか嫁に行った娘が実家に帰ったみたいだ。MO CHIT駅まで車で送ってもらう。一日たっぷり遊んで、汗でべとべとの私とイオpさん。早く帰ってシャワーを浴びたい。が、水がもう無いのでLOTUSに寄って買い物。食事の準備をするのは良いが、食材を買って荷物をこれ以上重くしたくないので、食べて帰ることにする。春雨炒めと豚のココナツミルク煮をかけたご飯と米麺。イオpさんは、「なんか甘いものも~。」なんてすっかり邪食な子供の発言をしている。昼間、手羽元を食べたりしたからなあ…。ご飯をもりもり食べて、まだ「なんか甘い物~」というので、私も惹かれてアイスカチャンを買う。今日は、福豆と仙草ゼリーと蓮の実に黒蜜を掛けたもの。お豆さんと蓮の実は、イオpさんのお気に召したようで、良かった。邪食なりの、せめてもの慰めだ。

帰宅してお風呂に入って、イオpさんは、すぐ寝てしまったけれど、1時間ほどで寝ぼけて泣いていた。嫌な夢でも見ているのだろうか。申し訳ない。ここ一週間で、「わからない」ということを言うようになって、相手の行動や言葉が理解できない、理解してもらえないプレッシャーがかなりあるようだ。今までは、タイ語で話し掛けられて答えられなくても、大して気にしている風ではなかったのに、ここ一週間くらいは「わからない」と言っている。私に対しても、時々私がイオpさんに言うことを「わからない」と言うのだ。なんだか、抑揚の無い声で。そんな風に答えられると不安と後悔が渦を巻いてしまう。私は、イオpさんに大きなトラウマを与えてしまっているのだろうか。もしホメオパシーの存在を知らなかったら、もう取り返しのつかないことをしたと思って、一生自分の後悔として残ってしまったことだろう。今は、何があってもホメオパシーの存在が、過去を取り戻してくれるのだ、と思うのみだ。ただ、学校の予定を切り上げることは、少し考えている。あー、私は一体、何をしているのだ。

2002年01月11日

イオpさんのストレス

朝、ぎりぎりになってしまって、プロンポン駅に着いたのが9時20分前だったけれど、定食屋によってご飯を食べた。何にしようかと迷っていると、先にイオpさんが「これとこれ~」とお姉さんに注文していた。お姉さんが「この子が、頼んでくれているよ」と笑っていた。さすがイオpさんの頼んだものは、全然辛くなくて、イオpさんもたくさん食べられた。砂糖抜き紅茶をテイクアウトして、学校へ。なんだか、間に合った。

産後の母子のケアについて、幾つか質問する。それに関しては、最低380時間のカリキュラムが存在するようだ。この学校でもそれをやってくれるように頼む。でも最低380時間て…。3ヶ月くらい居なくては、受けきれない。金額もいくらになるのだろうか。ふ~。当分は、無理だ。

今日は、私以外の二人が試験なので、イオpさんが邪魔になってはならない。午前中の授業は、半分あきらめようと思っていたら、ラダ先生がイオpさんを連れ出してくれた。私は、新たな技を習う。今週は、もうこれで終わりだというのに、まだ最後まで習えていないって、どういうこと?と少し焦る私。がんばらねば。でも、大技が多く、難儀な感じだ。お昼前に先生の奥さんと手を繋いで、イオpさんが戻ってくる。授業終了後、生徒3人で少し話し込んでしまって、ラダ先生がイオpさんと迎えにきた。今日は、奥さんが用意してくれたカノムチンというタイ版冷麦?のようなものを皆で食べる。イオpさんも美味しそうに食べている。整体師のTさんが、イオpさんを膝に抱きながら、なにやら体を探っている。う~む、仕事柄、手が勝手に動いてしまうのだろうか。「昨日より、背中は柔らかだね。でも首はカチカチだなあ。」などと言う。それがきっかけで、またもや話し込んでしまう。イオpさんのありようや、整体のあり方や他の手技のことなど。「アーキパンクチャーというのが、クレニオよりもずっと簡単だから、後で教えてあげますよ。」と言っていただく。良いのだろうか。基本的に、私は、それを職業としている人に、その技術を無料で受けることを良しとしていない。まあ、その人との関係にもよるけれど。でもその人が、それで食べていることなら、友人にでも金銭は、払うべきだと思っているのだ。

結局、ぎりぎり1時まで話し込んでしまって、慌ててイオpさんをお昼寝させる。誰もシッターが居ないので、4Fの部屋を仕切って寝かせた。私は、ひたすら練習。頭から通してマッサージをしてみる。1時間ほどでイオpさんが起きて、「おかーさん」と呼ぶので、中断して少しおっぱい。丁度ラダ先生が、イオpさんを迎えに来てくれて、嫌がって泣く衣穂pさんを連れていった。あ~あ。イオpさんのお気に入りだった日本語を少し話す受付の人が、どうやら辞職したのか正月明けから顔を見ない。居る間は、助かっていたのになあ…。私はひたすらマッサージ。二人の試験が終わっても、イオpさんが戻ってきても、私のマッサージは終わらない。授業時間を過ぎても、終わらない。やっと終わったときは、もう4時25分。なんと3時間位かかってしまっている。なのに、これは全工程のまだ2/3程なのだ。ひ~~。永遠に終わらないマッサージ。

グッタリ疲れて消耗してしまった状態で、すぐにタイ語の授業が始まった。無理やり午前も午後も引き離されてストレスの溜まりきっているイオpさんも限界だ。一緒に授業を受けるといって離れず、しかも徹底的に邪魔をする。なんか、もう私もダメって感じになって、今日は終わりにしてもらおうと思っていた所へ、藤垣先生とラダ先生がカーフールへ行こうとイオpさんを誘ってくれる。なぜか機嫌良く出かけてくれた。やっと落ち着いて授業を受ける。でも頭が全然働かなくて、英語で授業を進めることすら苦痛だ。エッセンスを少しとって、がんばった。6時に授業は終わり、その後、Tさんがワチャン先生のマッサージを頼んでいたので、それを見学することにした。先生は、初級のマッサージをTさんに行う予定だ。初めて先生のマッサージを通してみる機会に恵まれて幸運だ。じっくり2時間見て、大ショックを受ける。これがあの初級のマッサージ?っていうか、今までの自分のマッサージって何?と衝撃を受けるほど素晴らしいものだった。Tさんにとってもそれは同じだったようで、しかも2年前に亡くなった自分の先生の手技に非常に似ていて驚いたそうだ。私もそれを聞いて、出会うべくして次の先生に出会ったTさんの人生を思った。そして素晴らしいトリートメントは、本当に芸術だとも思う。それは、ホメオパシーなどについてもいえるけれど。どんな方法でも素晴らしい医療者(医療というと語弊があるが)は、素晴らしいアーティストである。

Tさんは、私がタイ語の授業を受けている間に、アーキパンクチャーの工程図解を書いてくれていて、マッサージが終わると「図の説明をします。」といってくれる。私が、「治療院まで習いに行きます。」というと「簡単ですぐ済むから」と私の体を使って、簡単にやって見せてくれる。クレニオにとても似ていて、横たわった体の下に手を入れて、少し持ち上げ気味にサポートするだけなのだが、まるでぐーっと引っ張られるように体の中で何かが動くのを体感する。顔をやったときは、なんか感情がうわ~っと沸いてくる感じだった。「まさに体の中にLOM(風)が吹いているみたい」と私が興奮気味に驚くと「簡単にやってもこれだから、少し丁寧に30分位やると、かなりためていた感情も出てきますよ」と言う。きっとそうだろうと、私も思った。う~む、良いことを習った。早速、いまさが来たらやってみよう。

今日も、Tさんと共に皆で食事。イオpさんは、皆のことを心配して、やたらと取り分けたがったり、うろうろしてとても迷惑な存在となる。私の言うこともちっとも聞いてくれず、挙句の果てにきーきー言い出す。Tさんが、上手くイオpさんの相手をしてくれて、受け留めてくれた。ありがたい。藤垣先生が、「でもこうやって、エネルギーを出す必要があるんだな。僕の子供もこうなった子がいたから、わかりますよ。」と言う。「もう少ししたら、夜中に突然叫び出すかもしれないけど、どの子もなるから、叱ったりしないでそっとしといた方がいいですよ。」「うちの時も、初めて外国に転勤になった時に、そうなりました。どこもそうみたいで、まえもって先輩に聞いていたから驚かずに済んだけれど、やはり言葉の通じないストレスを、どこかで出す必要があるんですね。」だそうだ。普通の2歳児以上に、イオpさんは言葉に依存しているということだろうか。Tさんは、「これくらいの時は、まだ自分だけしか見えないはずなのに、そうとうにがんばっているよね。イオちゃんは。」とその早熟振りを驚いていた。私が「頭ばかり先に成長してしまうので。先が恐い」というと、「7歳くらいまでなら、変わることができるから大丈夫。でもこの緊張は、とってあげたいなあ。緊張で、眠りが浅いんだと思いますよ。」と、とりあえずできることとして、朝の散歩を勧められる。がんばって、早起きしよう。

今日は、本当に消耗したのでもう家に帰ろうと思うが、一応イオpさんに聞いてみると「先生の家に行く」と言うので、がんばって行くことにする。遅くなったのでタクシーで帰宅。先生の家は、MO CHIT駅の先でドンムアン空港の近くらしい。すっかり遅くなって家に着いたときは、もう10時。簡単にシャワーを浴びてすぐに寝た。

2002年01月10日

朝の公園

イオpさんを6時半に無理やり起こして、朝食も取らずに出掛ける。今日から、学校が始まる前に公園で遊ぼうと思うのだ。早く行きたいのに、イオpさんの支度に手間取って7時半過ぎに家を出る。8時過ぎにプロンポン駅に着いて、あまり時間が無いけれど、せっかくお砂場用のバケツセットも買ったし、少しでも遊ぼうと公園に出掛ける。さすがに砂場に子供の姿は、無い。イオpさんとノンビリ過ごす。途中、公園のスピーカーから流れていたラジオで国歌が流れると、広い公園内の人々が皆、直立不動になって、なかなか壮観な不思議な眺めだった。まるで世界の時間が止まってしまったような。

8時半を過ぎて、「まだ遊ぶ~」と言うイオpさんを説得して、定食屋に朝ご飯を食べに行く。カリフラワーなどの野菜炒めと目玉焼きを乗せたご飯。とても美味しくて満足だった。そのまま学校へ行く途中で、習いたてのタイ語を使ってアイスティーを買う。コンデンスミルクとエバミルクが入った東南アジア特有のものだ。「砂糖を入れないで」と言えずに、よりいっそう甘くされる。

一日、イオpさんの相手をしながら、途切れ途切れにマッサージの練習をする。イオpさんは、今日も先生の奥さん相手にマッサージをする。マッサージを始める前にちゃんとワイをするので、皆、大喜びだ。イオpさんは、本当によく観察しているなあと感心する。授業終了後、Tさんがワチャン先生に足裏を診断してもらうと言うので、見学することにする。どんなことをするのだろうかと思っていたら、足裏マッサージだった。簡単に問診をして、じっくり足のポイントを押してチェックして、その診断に従ったマッサージをするというものだ。タイマッサージにおけるフットマッサージの位置や、ハーブ療法のことなどを、色々と質問した。Tさんは、心臓のことなどを注意されていた。他は特に問題はないようだったが、毎日の軽い運動や、病院での健康診断の勧めなど、あまりに平凡なアドヴァイスなので、ちょっと拍子抜けした。そういうもの?なんか、整体とか行くと「えー、そうだったんだ、私の体って。」とか「そんな風に気をつけるのか。」とか意外な事を知ることが出来るので、それをついワチャン先生にも期待してしまうのだ。私が未熟で、先生の意図するべきことを見抜けずに居るのだろう。Tさんは、きちんとそのアドヴァイスを受け留めていた。

治療が終わっても、先生の奥さんとラダ先生と共に出掛けてしまったイオpさんは戻ってこない。暫く待っていると、大荷物を抱えた3人が戻ってきた。カーフールへ買い物に行った模様。イオpさんは、ラダ先生に洋服を6枚も買ってもらっている。ラダ先生は「安いから」と私がその金額を払いたがっても、受け取ろうとしない。奥さんは、いおpさんがバイクタクシーを嫌がったことを、大声で面白おかしく皆に話している。スーパーへ行くのにバイクタクシーに乗ろうとしたら、イオpさんが「危ない、危ない。乗っちゃ駄目。」と嫌がって、結局タクシーで行ったそうだ。藤垣先生に、「まだバイクタクシーに乗ったこと、無かったですか。」と言われて「一人ではありますが、さすがに子供を連れては・・・」と答えると、「え、そうかな」的な反応をされて、逆に私が驚く。藤垣先生、半分タイ人化していますよ。それとも結局、私は日本人、と思うべきなのか。

買ってきた惣菜に野菜炒めを加えて、皆で食事。Tさんは、ホテル暮らしなので、家庭の味に感激していた。鶏肉の美味しさに驚いて居る様子を見て、タイにいて鶏肉を避けて通れていたたなんて、今まで何を食べていたのだろうと不思議に思う私。

2002年01月09日

マッサージ上手

イオpさんと一緒に朝6時過ぎに起床。あれほど真っ赤で痛々しかったイオpさんのオマタが、かなりすっきりと綺麗になっている。アーセニカムがヒットしたのかしら。寝起きの機嫌も良い。あ~、ありがとう。ホメオパシー!

久しぶりに家で朝ご飯を食べる。いつものご飯と野菜炒めだけれど、とても美味しく感じる。イオpさんもたくさん食べてくれた。これは、私が知らなかっただけなのかもしれないけれど、試しに米を炒って炊いてみたら、ふわふわに炊けてとても美味しい。玄米だけれどごわごわしていないので、イオpさんも食べやすいみたいだ。これからは、これで炊こう!と大喜びの私。

人参ジュースを買って、学校へ行く。今日もまた、新しい手技を習う。それでもまだ全体の半分も行かない感じ。上級コースは、本当に長い!教則本の図解だけでも179もあるのだ。それに図解されていない手技を加えるといったい幾つの手技があるのだろうか。はあ~、遠い道のりだ。先生は、いつも「チャー、チャー」(ゆっくり、ゆっくり)と言っている。静かに息を吐きながら、ゆったりとマッサージをしていると、なんだか頭が真っ白になってしまって、「あれ?今どこをやっているんだっけ?」とボケボケの私。もっと集中しなくては。自分が何をしているのか、今している事が何の為なのかを意識していなくてはいけないと思う。漫然とマッサージする人には、なりたくないので。

お昼ご飯は、なんとお雑煮だ。藤垣先生が、去年の餅つきでついた御餅を使って作ってくれた。美味しかったけれど、イオpさんがぐずってしまって、私はほとんど食べられず。ラダ先生が冷房でやられてしまって(タイ人でも、やはり冷房は良くないのだ!)、病欠のため、午前中にイオpさんの相手をしてくれる人がおらず、教室で一緒に過ごしたのは良いけれど、イオpさん的にはとても気を使っていたみたい。私も練習に必死で、イオpさんの相手をロクにしなかったので、そのストレスも溜まっていたのだろう。途中で、シッターのお姉さんに連れられて行ったけれど、なんだか嫌だったみたいで、連れ去られるときは久しぶりに大泣きしていた。申し訳ないが、私も必死だ。

居なくなってホッとしたのも束の間、すぐに先生の奥さんと手を繋いで、タイ語で数字を数えながら上がってきた。今日もイオpさんが、奥さんにマッサージをせっせとしている。私の教則本を「これは、いおちゃんのよ。」と奪って行って「おぴーしゃんもお勉強。」と足を上げたり、手を揉んだりと、せっせと技を掛けている。先生が、私に本を貸してくれた。トホホ。暫くすると、今度は自分がマットの上に寝て、奥さんに「マッサージして。」と言う。奥さんがイオpさんをバスタオルで包んで、マッサージ。見ているだけで気持ちが良さそうだ。イオpさんも「気持ち良い。」と言っている。先生が「痛い?」と聞くと「痛くない。気持ち良い~。」とご満悦のイオpさん。

暫くはそんな具合で良かったけれど、先生の奥さんも、生徒に教えだして(そんな時のタイ人は、本当に勝手な感じだ。)、イオpさんはまたも誰にも相手にしてもらえず。お昼ご飯時には、眠さとストレスでキーキーになっていた。当然だ。おっぱいですぐに寝てしまう。イオpさんを抱いて寝かせながら生徒のTさんとUさんとでおしゃべり。

Tさんは、野口整体の整体師なので、興味深い話をたくさん聞くとが出来る。5人のお子さんがいて、うち2人が不登校だそうだ。家でホームスクーリングをしているらしく、ホームスクールに興味のある私は、そのこともあれこれ聞いてみる。Tさんは、20年整体の世界にいて、ここ5年は、プロセスワークを学んでいるそうだ。ユングの心理思想をベースにした演劇的な深層心理(エネルギー)開放のワークだ。話を聞いていると、とても興味深い。なんというか帯津先生が、ホメオパシーのことを「場の医療」と言っていたけれど、このプロセスワークも、話を聞くにまさに「場の医療」と言う風に聞こえる。その場にある見えないネガティブなエネルギーを、ワークで表面化させて各自に自覚化させることで、成仏させると言うような。その場に居るすべての人を巻き込んだワークだ。面白いが大変そうだと言う印象を受ける。Tさんも、とても厳しい状態になることもあるし、本人も辛くなるようなこともあるといっていた。ホメオパシーのようにレメディによる自身の変化を「待っている」のが辛い人には、こういった自分が積極的に自分に働きかけるワークが良いのかもしれない、と思う。

お昼休みの間中寝ていて、午後の授業と共に起き出すイオpさん。先生の奥さんが持ってきたロールケーキを「パンケーキ、美味しいね」「パンケーキ、もっと食べた~い」とねだる。お昼ご飯を食べていないので、お腹がすいているのだろう。暫くしてやって来た顔色の悪いラダ先生が、イオpさんを食事に連れて行ってくれた。午後の授業は、穏やかに過ぎていった。私自身は、ストレッチ技が上手く出来ずに、一人で悪戦苦闘って言う感じだったけれど。とほほ。初級を受けているTさんも、終わった時にはグッタリと言う感じだった。初級のマッサージは、整体の技とほとんどリンクしているのらしい。全部を整体的にきっちりやると、効き過ぎる位の治療なのだそうだ。「だからきっちりとやらずに、さらっと流したほうが、効果的なのかもしれませんね。」と言う。お昼の話も含めて、それぞれ方法は違っても、目指すところは「その人の本来、あるべき姿にある」様にという事なのだなあ、としみじみする。

久しぶりに早い帰宅。藤垣先生が、ラダ先生を病院に送っていくついでに私達も家まで送ってくれたのだ。ありがたい。家の近所で、買い物。早い時間なので、小さい子供も多く、なんだか楽しい。気がつくとイオpさんは、子連れのおばちゃんに梨を貰って食べていた。ありがとう。買ってきたおかずと、野菜炒めで夕食を取る。食後もゆったりと時間を取れて、良かった。余裕を持って8時前に就寝。いつもこうでありたいものだ。

2002年01月08日

またもイオpさんの受難

朝、またもやぎりぎりの時間で、食事もせずに焦って出掛ける。学校側の食堂で、野菜炒めと高菜漬けの炒り卵をかけたご飯を食べる。美味しくて20Bなり。毎朝、学校に着くなりワチャン先生が、イオpさんに蜜柑をくれるのだけれど、今日は、それを一人で全部食べてしまったイオpさん。勝手に皮をむいて食べてしまった。午前の授業中もシッターのお姉さんが、イオpさんに「おやつ食べに行こう」と誘いに来て、私も私で、私と離れるのを嫌がるイオpさんに「お姉さんとお散歩行って、おやつを買ってもらいなよ。」なんて言ってしまう。酷い母だ。しぶしぶお姉さんと出掛けるイオpさん。

何を食べたのか、飲んだのか、蜜柑の食べ過ぎなのか、午後に2度も下痢をする。2度目の時は、可哀想で、先生の奥さんが相手をしてくれていたのだけれど、言葉が通じないので、ウンチをしたいこと、してしまったことが判ってもらえなかったようだ。悲惨な泣きをしながら私のところへ来て「クチャイ、クチャイ」と言っている。この頃、わざと赤ちゃん言葉を使ったりするのだ。あと、私のことをわざと「ママ」と呼んだりする。ストレスゆえの赤ちゃん返りなのだろうか。「おぴーしゃんは、赤ちゃんよ。」とか言ったりもする。慌ててトイレに連れて行くと、お股が真っ赤になっている。ひ~~。シャワーで洗うとしみる様で「痛い、痛い」と嫌がって泣く。ごめんよ~、イオpさん。熱などは出ないが、きっと冷たいものや糖分の過剰で体が冷えているのだろう。

今日は、タイ語の授業もあったのだけれど、ずっと私から離れずにおっぱいばかりしている。本人は、一緒に授業に参加しているつもりで、私と一緒にコーカイ表を読んだりして元気を装っているのだけれど、あきらかに衰弱している様子。ちょっとした事で機嫌が悪くなり、自分でもコントロールできないみたいだ。帰りは学校から私に抱かれても嫌がらずに、おっぱいを飲みながら寝てしまった。タイ語の授業をパスして早退しなかった私は、鬼母だろうか。

LOTUSのフードコートで、おかずなどを買って、帰宅。いおpさんは、寝ている。ベッドで寝かせてオムツをはずすと、擦れて痛かったのか、起きて泣く。考えてアーセニカムを選んで飲ませてみる。暫くオムツをはずしたまま、おっぱいで寝かせる。「マッサージして。」と言うので、暫く静かにマッサージ。学校でずっと私達がマッサージをしているのを見ているせいか、とても興味があるようだ。今日も先生の奥さんを相手に、イオpさんがマッサージをせっせとしていた。それを見て皆、大喜び。ちゃんと「ここに寝て。」と奥さんをマットに寝かせ、バスタオルをきちんと掛けて、おもむろに足からマッサージを始める。ストレッチ技などもちゃんと見ていて、足を使って引いたり押したりしているのだ。本当に良く見ているものだなあ、と感心する。タイ語も私よりもずっと覚えが良い。(当然か。)時々、知らない言葉をしゃべっているので、きっとタイ語の単語だと思うのだけれど、私には理解できないので申し訳ない。イオpさんには、イオpさんのタイでの生活や体験があるのだ。強制的に体験させられているもので、悲惨なことやストレスなどが多いけれど、イオpさんなりに、楽しんでくれるのを願っている。勝手な言い分か。

2002年01月07日

野口整体

いよいよ、学校が始まる。お休みの間、どうも寝坊しがちだったので、朝が心配だ。5時の目覚ましに起きられず、私は6時に起きる。支度をして、イオpさんを起こすが、やっと7時過ぎに起きた。慌ててお風呂に入って、朝ご飯を家で食べるのを諦めて、学校へ。抱っこで駅まで行かれたので、案外早くプロンポン駅まで着いて、学校の側でご飯を食べることが出来た。野菜炒めとオムレツを乗せたご飯だ。

今日は、イオpさんの好きなおばちゃまが居らず、しかも1Fにフットマッサージに来るお客様が多く、なんとなく預け辛くて4Fで一緒に過ごす。何度かラダ先生が、外に連れ出してくれたので、助かった。私は、今日から上級コースになる。今までと内容もずいぶん変わって、マッサージ時間もかなり長い。2週間、自分が持つのか心配だ。今週の生徒は、私も入れて3人。それぞれ初級・中級・上級と違っているので、先生も大変だ。生徒の人数が少ないので、ゆったりと出来るけど。

野口整体の整体師さんが、初級を受けに来ていて、興味深く話を聞いた。5人のお子さんを皆、野口整体の方法で出産育児したそうだ。やはり離乳食は、動物性蛋白で、初めての食事が、鰻を1枚ぺろりと食べた子もいたらしい。凄い。食卓の中から、子供が自分で必ず動物性のものを欲しがると言うけれど、そうなのだろうか。私には、やはりそれは出来なかった。離乳のことと離乳食のことは、野口整体の方法は選べなかった私。離乳の時期も7ヶ月~1歳半までの間にあると言う。その時機を逸すると今度は3歳くらい。それも逸すると、もうずっとおっぱいを恋しがると、その整体師さんは、言うけれど本当だろうか。特に「ずっとおっぱいを恋しがる」というところ。きちんとと子供を見て時期を選べば、「断乳」にならずにすっと離乳出来るそうだ。「でも大抵は、お母さんが寂しくて辞められないんですよね。」と言う。私も「そうなんですよ。」と答える。だって私なんかイオpさんが7ヶ月を過ぎた位から、やっとおっぱいを楽しんであげられるようになったんだよ。それで辞めるなんて、あまりに寂しすぎる。今、イオpさんが「おかあさんのおっぱい。可愛い~。」と撫でてくれたり、「おっぱい、大好き。」と言ってくれたりするのに、そんな事があるのを知らずに終わるのは、やはり寂しい。離乳や離乳食についての真実は、何なのだろうか。うちは一応、どうするか決めているけれど、真実を知りたい気がする。あ~、おサルは、そんなことで悩んだりしないのだろうになあ。

2002年01月06日

チャトチャック

起きたら11時半!素晴らしい~。久しぶりにたっぷり時間があるので溜まっていた日記を書いて、タイ語の宿題などに手をつけていたら、あっという間に朝になった。途中、イオpさんに3階くらい呼ばれたけれど、寝なかったのは偉いぞ>自分。6時過ぎに、またイオpさんが目を覚ましたので、抱っこでおっぱいしながら声をかけて、起こそうと試みる。いろいろ声をかけてみたが「まだ眠い~」と首を振るばかり。「お風呂に入ってから、リンゴを食べようか」の一言で、すっと起きた(笑)。

簡単に朝食を取って、でもやっぱり出掛けるのには、手間取って9時半に家を出る。BTSを始発から終点まで30分位乗るのだろうか。MO CHIT駅で降りてチャトチャックのマーケットへやって来た。相変わらず凄い人出だ。観光客と地元の人間で、溢れかえっている。今回は、イオpさんと二人なので、いつものように入った所からノンビリ歩いて見て回るなんて悠長なことは出来ない。大人の服は、まずパスと言うことでどんどん奥へ進む。動物売り場に行って、イオpさんといろんな動物を見て歩く。気に入ったようだ。リス族の服を売っている店の前を、今回も何故か通ってしまう。赤いワンピースが、なんだか可愛かったけれど(85Bなり)、少し考えることにする。なんて、一度通り過ぎてしまうと、もう二度と戻れないんだけどね。あまりに広く、密集して、驚くべき店舗数なのだ。しかも来る度に増殖しているような気がする。いや、確実に増殖している。笠松ちゃんにお箸を頼まれていたので、幾つかの店を見ながら、良さそうな箸屋で物色する。間口が半間位しかない、凄く小さな店だ。売り子のおばちゃんに「シンガポール人か?」と聞かれる。眼鏡、化粧っ気無しのひっつめ頭、ラフなパンツ姿であることから、そう見えたのだろうか。「日本人だ」と答えると、何が嬉しかったのか、店の前を通る人たちに「このお客さんは、日本人なのよ。うちの店に日本人の客が来ているのよ。」と言いふらしている。おばちゃんにイオpさんの相手を頼んで、じっくり物色して箸を選んだ。箸一本分、まけて貰う。駄目元で、去年イオpさんの服を買った32B屋を探す。暫くうろついていたら、あった!でも子供服が少ししかなくて、しかもあまり良いものが無い。去年は、上下セットで32Bとかであったのに。シャツを2枚買う。そろそろイオpさんがぐずりして、おっぱいを欲しがるので、抱いておっぱいをしていたら寝てしまった。時計を見ると、もう12時半だった。食器売り場を通るが、混雑しすぎて見るのを諦める。向かいにある食品市場(なんでも金持ちがベンツで乗り付けて来るような良い市場であるらしい。一度、里華と行ったけれど、気がつかなかったよ。)を目指すが、肩が抜けそうに痛くなって諦める。

BTSの無料シャトルバス乗り場を目指して歩く。なんだかとんでもなく遠くまで来てしまって、戻るまでに凄く歩いた。途中で、どこか休むところをと探したけれど、食堂はお昼時で、どこも一杯。気合でバス停まで歩いて、来ていたバスに乗り一息つく。10分ほどでショッピングセンターについた。ちょうどイオpさんも目を覚ましたので、フードコートを探す。案内板もインフォメーションも見つからなくて、イオpさんに「地下かなあ、上かなあ。」と聞くと「下にあるよ。地下にある。」と言うので行ってみたら確かにありました。広くて充実している感じ。鶏肉バーミーと野菜かけご飯を買う。麺をイオpさんにと思っていたのに、イオpさんはご飯のほうを取る。「まあ、いいや。」と麺を食べると、胡椒で結構辛かった。イオpさんの感が働いたのかな。ご飯も麺もとても美味しかった。イオpさんのデザートコールに負けて、メロンのスムージーを買う。少しコンデンスミルクを入れて作ってくれたのだけれど、これがとても美味しかった。喉も痒くならない。

セントラルデパートへ行って、おもちゃ売り場を見る。イオpさんは、遊び倒して、それから私の言うことを全然聞かなくて、凄く怒られる。私が疲れている時は、大抵イオpさんも疲れているせいか、なんだか険悪になりやすいような気がする。そういう時って、エッセンスを取る余裕も無いのだ。リュックだと取り出し難いし。

3時を過ぎて、もう帰ろうと思い、BTSのバス停を探す。きっと道の反対側だろうと思って、遠くの陸橋まで行って道を渡りバスを待つが、30分以上待っても来ない。地図を見るとルートが違うようだ。待っている間に、50cm位の高さの所から落ちて頭を打ったイオpさん。慌ててアーニカとレスキューレメディを取る。落ち着くために、私もレスキューを取る。すぐにイオpさんも落ち着いておっぱいを飲んで寝てしまった。良かった。が、私は、イオpさんを抱いたままバス停を求めて放浪の旅へ。散々探して、やっと、ものすごく変なところにあるバス停にたどり着いた。途中でデパートの駐車場係の人に聞くと、何人も人が集まり「あーでもない。こーでもない。」とやりだした。結局、「マダム、タクシーを使ったほうが良い。」と言われる(笑)。タクシーを呼んでくれるというが、丁寧にお断りして、再度バス停を確認すると、心配そうに教えてくれて、「エアコン無しの3番バスが駅まで行くから。それしかないから。」という。BTSのシャトルバスは、使えないという認識なのだろうか。バス停で5分ほど待つと無事にバスは来て、BTSの駅まで戻れた。「タイ人て優しいよなあ。」と思う。

心底疲れてしまって、このまま終点のON NUTまで戻ることにする。ちょうど向かいに座っていた白人男性二人をボーっと見て、「こんな人をマッサージするのは大変そうだよなあ。脛とか凄く長くて、いつまで経っても終わりそうに無いよ。でも骨の本数は、同じ・・・。」とか、くだらないことを思った。その中年男性二人のムードが、何か変。「ええと、何?」と回らない頭で思って、彼らがゲイのカップルであることにようやく気づく。(いや、別にそんなことに、気が付かなくても良いんだけど。)もう、長い付き合いのようだ。こざっぱりした服と髪型。きっとヨーロッパ人であろう。話声が聞こえて、イギリス人であることが判明。其々が、趣味の良い時計をしている。一人は頭髪が後退していて、もう一人も目の下の肉が垂れてきているが、若い頃は二人ともさぞや魅力的な男性であっただろうことは、容易に想像できる。「う~ん、セ・ラ・ヴィ。」くらだない人間観察は、彼らがサイアムで降りて終わる。イオpさんに微笑を投げかけてくれて、ありがとう。

LOTUSのフードコートでテイクアウトに挑戦して、家の前にある惣菜屋でご飯と玉蜀黍を買って、夕飯にした。イオpさんは、玉蜀黍に、はまり食いしている。デパートでの様子と打って変わって、物凄くお利口なイオpさん。よく話し合って、和解したのが良かったのか。自分でも悪かったと思っているのだろうか。寝る前にもテキパキとおまるに座って、後片付けもして、さっさとベッドに上がって絵本を選んでいる。マッサージを求められて、暫くマッサージ。「気持ち良い。」と評判もよく、私も嬉しい。今日は、暑かったね。ご苦労様、イオpさん。

2002年01月05日

ごめんね、イオpさん

6時半に起きる。マッサージを受けたためか、途切れ途切れながらも久しぶりに「寝た」と言う感じだ。イオpさんは、今朝久しぶりにおまるにおしっこ出来た。ちゃんと自分で流しに行く、きちんとしたイオpさん。先日、ワチャン先生に「チャトチャックへ行かないの?ぜひ行きなさい」と勧められたこともあって、今日は、ウィークエンドマーケットへ行くつもりだ。夕食にしようと買っておきながら、食べずにいたカオマンガイとバーミーで朝食。なんだか食後に舌が少し痺れる感じがする。味の素のせいだと思う。食堂や屋台の料理には、大抵入っているのだ。今度は、「味の素を入れないで」と言ってみよう。ここのカオマンガイは美味しくて、ちゃんと鶏で出汁を取っているのに、その上に味の素も入れてしまうのだ。もったいない感じ。

イオpさんは、勝手気ままに過ごしている。何を頼んでも、ちっとも言うことを聞いてくれないし、実行も当然してくれない。そうこうしている内に10時半を過ぎてしまって、なんだか怒りを感じる私。チャトチャックには、午前中に行って戻ってくるつもりだったのに、もう無理だ。急に疲れがどっと出て、左の下腹部がとても痛くなる。疲れるといつもそうだ。とても痛い。ソファに横になると、イオpさんが来て、まとわりつくので煩い。「おっぱいが出来ない」と言うと大泣き。10分くらい泣いて、ソファにおしっこをしてしまう。なんだか、またもや怒りが湧く私。「おっぱいで寝る~」とイオpさんが泣くので、まだ11時過ぎだったけれど2Fへ行く。ベッドへ行っても「おっぱいは、夕方までお休み」と言うと、またもや大泣き。「断乳で泣かせたくないと思っているのに、こんなことで泣かせてしまうとは情けない」と思いつつ、どうしてもおっぱいをやる気になれない。散々泣いた挙句、諦めたのかベッドの上で遊び始めたけれど、またもやベッドにおしっこをしてしまう。大騒ぎする私。「ベッドから降りて遊んで」と言うと、またもや大泣き。泣いて落ち着くと、いたずらをして、それで私が怒って、また大泣きの繰り返し。酷い一日だ。具合が悪くて寝ている私の横で、おっぱいが出来ずに、泣いては遠い目をしている可哀想なイオpさん。そのうちに「抱っこ、抱っこして」とぎゅ~っと抱きしめてくる。とても可哀想になって、ぎゅーっと抱いて目をつぶっていると、そのうちに寝てしまった。私も少し寝た。目が覚めると少し具合が良くなっていたので、下に降りると、すぐにイオpさんが泣いて目を覚ました。上に上がって、抱いておっぱいをやると目をつぶったまま、一生懸命におっぱいに吸い付いて、また寝てしまった。安心したんだろうか、今度は落ち着いた顔をして、ぐっすり眠っている。本当に悪いことをしてしまった。今思えば、レメディを何か取るべきだったのに、必死でイオpさんの相手をしていると、そんなことを考える余裕がなくなってしまう。やはり二人きりというのは、とても良くない。

3時過ぎに、イオpさんはご機嫌に目を覚ました。イオpさんに充分に謝る。今からどこかへ出かけようと思うが、どこが良いだろうか。イオpさんは、「乗り物に乗る。犬さんに乗る。」と言うので、よくよく聞いてLOTUSへ行くことにした。お昼を食べていないので、まずフードコートで米麺を食べる。それから犬や象に乗って、スーパーで買い物。イオpさんの何故何故攻撃に辟易する。夕食を何か買って帰ろうと、フードコートへカートのまま戻ると、デザート売り場のおばちゃんに、赤いゼリー玉(?)をちゃっかりイオpさんが貰っている。鶏チャーハンを買った後、なぜか甘いものが食べたくなって、デザート売り場へ戻る。

はと麦とナタデココ、慈姑に仙草ゼリーを選んで、白蜜をかけて、氷を乗せてもらう。イオpさんが、赤玉ゼリーを欲しがるが、無視しているとおばちゃんがボールのように盛ったカキ氷の上にちょこんと乗せてくれた。なんだか雪だるまみたい。大喜びするイオpさん。それをみておばちゃんも大喜びだ。カートの中から何度もおばちゃんを振り返っては、歓喜の笑顔を送っているイオpさん。そんなに嬉しかったのか。そんなに美味しいのか、その不味そうなものが。はと麦は硬くて、イオpさんに不評だった。同じ理由で、ナタデココと慈姑も。残念だ。こんなに美味しいのになあ。二人それぞれに満足して、デザートを食べる。イオpさんは「少しずつね。たくさんはダメだからね。判った?」なんて小姑なことを言っている。やたらと私に食べさせたがったりして、自分がやられていることを全部、私にお返しだ。「そんなことより自分の面倒をちゃんと見てくれよ。」と心の中で思う、心無いかーちゃんである。

帰宅後、さっと夕食を食べて、お風呂に入ってベッドへ行くと、イオpさんが「マッサージして」とまたパジャマを脱ぎだした。オムツもはずして、仰向けに寝ている。久しぶりにゆっくりマッサージをすると、「気持ち良い~」と満足げにしている。ずっと私がマッサージをしたり、されたりしているのを見ている為か、自分から「ここして、そっちして」と指示してくる。「手をす~っとして」とか「背中、トントンして」とか結構細かくて、違っていると「違うの!」とそのうちに怒り出す。最後に「足ぶるぶるって、またやって」とリクエストされたので、やってやると自分から「もうおしまい」と言って終わった。パジャマを着ながら、また「気持ちよかった~」と言っている。イオpさんに今日のことをまた謝る。「こんなに怒ってばかりいるかーちゃんは、嫌だね。」と言うと、深く頷くイオpさん。「もう、かーちゃん辞めようか」と言うと「嫌~、おかあさん、好き~」と何度も言ってくれる。どんなかーちゃんでも、子供はかーちゃんが好きなんだね。ごめんね、イオpさん。

2002年01月04日

動物園

6時前に起きることが出来た。が、だらだらと過ごしてしまい、あまり早起きの意味が無い。私が起きる少し前に、おっぱいでまた寝てしまったイオpさんは、8時近くになってやっと目を覚ました。今日は、どこか別の公園へ行くつもりだ。動物園も考えたけれど、DACOという日本人向けのフリーペーパーに乗っていた、尼寺へ行こうと思う。タイの瀬戸内寂聴さん的存在の尼僧が居るところらしい。なんでも富豪だった人が出家して、その財産で尼寺を起こして、そこを公開しているようだ。緑の多い寺のようで、精進料理やマッサージも受けられるというのが、とても魅力的。近くにジャスコもあるようなので帰りに買い物をして帰ってきても良いし。とても遠そうなのだけれど、地図を見るとバスで行かれそうだ。

とりあえずエカマイまでバスで行く。乗り換えようと、エカマイ内のバス停まで行くが、乗る予定のバス番号がバス停に書いていない。暫く待ってみるが、来るのは72番ばかりで154番は、全然来ない。時々23番が来る。30分以上待っても72ばかり来るので、とりあえずそれに乗ることにする。エカマイの奥で降りるつもりだったけれど、立体交差で曲がってしまって、降りる機会を逸してしまった。あらら。地図で72番の行き先を見ると、動物園の近くを通っているらしい事を発見。今日は、動物園にしておけということか。

そのままのんびり30分以上バスに揺られて、動物園の近くで降りた。ラマ五世像や国会議事堂を見ながら、動物園へ。お昼ご飯に、ガイヤーンとカオミャオを買って入園する。30Bなり。(前は、20Bじゃなかったっけ?)ここは、制服を着ている学生だと5Bで入園で出来るせいか、やたらとデート中らしい学生が多い。グループ交際あり、熱烈カップルあり。ストレートあり、ゲイ(男女共に)あり。幼い子供連れの家族も結構、遊びに来ているが、とにかく学生で込み合っている感じだ。お昼の心配ご無用、食堂があったので米麺を食べる。買ってきたガイヤーンも。米麺は、20Bで値段も味も他と同じだ。食堂を出て動物のところ平行とすると、児童遊園があって、早速いおpさんは遊び始める。ちょっと遊具の多い公園といった感じで、幼児連れがたくさん遊びに来ている。バンコクには、児童公園のようなものがあまり無いので、こういう所が重宝されているのだろう。散々遊んだイオpさんに「もう行こうか」と何度も声をかけても全然、無視だったのに、こちらが諦めて待とうと思いすぐ側にあるスタンドで「何か飲物を買ってくるからね」と言うと「おぴーしゃんも、行く~」とついてきた。変なの。

お茶が(あの不味い)レモンティしかないというので、なぜかアイスココアを買ってしまう。当然、イオpさんにねだられて「しまった~」という感じ。仕方ないので少し飲ませると、神妙な顔をして「美味しい」と言っていた。ハイテンションになったら嫌だなあと思ったけれど、大丈夫だったみたいだ。

ココアを持って、動物を観に行く。最初は、トラ。いたくイオpさんのお気に召したようで、ずっと観ている。「とらさ~ん」と呼びかけて、側に来てもらおうとしている、イオpさん。トラもちゃんと答えて来てくれてよかった。次は、カバ。学生や子供がパンをあげている。こちらに向かって、すぐ側まで来て大きく口をあけるので、少し恐いくらいだ。でもイオpさんは、楽しいらしく「お口、あ~んってあけてるね。」「向こうに小さいカバさんも居るね。」と興奮気味に色々としゃべっている。おサルの類はあまり好きではなかったらしく、素通り。途中いろいろな動物を見て、象を探した。逆の方向に居たので、湖の周りを大きく回って、象のところまで行く。インド象が3頭居た。私は疲れてベンチで一休み。イオpさんは、象にへばりついて見ている。気が付いたら、もう4時前になっていて、そういえばイオpさんはお昼寝をしていない。動物園を出て、バスを待っている間に、おっぱいを飲みながら寝てしまった。「楽しかったね~」と言っていた。

バスを乗り換えて、シーロムまで1時間以上掛かって出かける。Holistic Health Centerと言うところへ行ってみようと思うのだ。そこは、自然食品のお店で、マッサージなどもやっているとDACOのタイマッサージ特集号に乗っていたので、興味がある。小さなお店で、感じは良い。食品類はあまり無くて、あとは化粧品など。タイ語がわからないので、乾物やハーブ類に興味があっても何に使うのか不明だ。とりあえずマッサージを頼む。2時間と言うと、子連れなのに?と言う感じで、少し驚かれた。イオpさんには、よくお願いして、奥のマッサージ室へ行くと、何人かフットやボディのマッサージを受けていた。若い男性にマッサージをしてもらう。その人によって、色々とやり方が違うので、とても参考になる。イオpさんは、その辺をうろついたりして遊んだり、おっぱいを飲みに来たり、行ったり来たりしながら過ごしてくれた。お姉さん達が、やっぱり遊んでくれて、米とココナツ粉のお菓子を買ってくれたり、いろいろと相手をしてくれた。イオpさんも機嫌良く相手をされていてくれる。あまりストレッチ技などなく(イオpさんがまとわりついていたので、出来なかったのかもしれない)ゆったりと2時間が過ぎた。最後に肩をぐりぐり揉まれて、凄く痛かった。コリを押し潰さんばかりの勢いで、思わす「痛たた~」と声が出た。痛いのは、嫌だ。やはりオステオパシーは、素晴らしいよな。5gの圧で体を緩めていくのだから。でも気持ちよいのは、痛くないタイマッサージだ。ワチャン先生の治療は、凄く強い力で押しているけれど、全然痛くない。

バスを乗り継いで、家に帰ると、二人ともすっかり疲れて、お風呂に入るとご飯も食べずに寝てしまった。ベッドの中で、「今日は、楽しかったね」と言うイオpさん。「何を見たっけ?」と聞くと「象、カバ、トラ、フラミンゴ、ダチョウ」など結構、動物を覚えている。「後、何を見たっけ?」と聞くと「え~っとお、鳩とカラス」だって。「そうだね。居たね。」「餌あげたかった~。」「そうか~、残念だったね。」「うん、残念だった。」2歳を過ぎてから、この「~したかったあ。」と言うのが結構、多い。時々、ご飯を食べた後で「ご飯食べたかったあ~。」とか言って、ボケ老人のようなことになるのだが、イオpさんが色々と考えているようで、興味深い。

2002年01月03日

久しぶりの学校

なんだか寝坊があたりまえになってきてしまった。いかん。起きたら、6時半だった。今日は、午後からタイ語があるので、久しぶりに学校へ行く予定だ。朝ご飯を食べて、午前中から出かけることにする。とは言っても、なんだかんだとやっている内に、エンポリウム横の公園に着いたのは、11時前になっていた。バスの安さに気を良くして、バスで出かけて時間を取られたせいもあるかもしれない。

屋台で揚げ芋を買って公園へ行くと、日本人の子供が数組、遊んでいた。皆、幼稚園前といった年齢で、イオpさんとも歳が近そうだ。が、イオpさんは関係なく、芋を持って裸足で砂場をうろついている。ちょっと浮いているか、ワシら。きっとほとんどが駐在員婦人+子供だろうから、私達のような勝手に遊びに来ている貧乏親子は、浮いて当然か。やがて子供達は、少しずつ減って親子一組を残すのみになった。皆、お昼に帰ったのだろう。イオpさんがベンチで水を飲んでいると、隣のベンチにいた12・3歳の女の子が、イオpさんにナツメの甘草漬けをくれた。何かを話し掛けてくれるが、私には全然わからず。申し訳ない。その子は、砂場で遊んでいた子供の相手をしてあげている。カナダにもいたよなあ、子供好きの10代。ん?日本にもいるのかな。私が会ったこと無いだけで。イオpさんも砂場で一緒に遊びだす。勝手にお砂場セットを借りている模様。私も参加して、子供と一緒に遊んでいる母と話す。子供は、1歳台の男の子と3歳台の女の子。どちらも幼稚園へ入っていないらしい。やがて、もう一組2歳半の女の子を連れた親子が登場。日本人会の、親子サークルのことを少し聞くが、なかなか厳しそうだ。なんか、規則とか、それに伴う人間関係とか。そういえばバンコクの日本人学校は、世界一規模が大きくて、親の活動も力が入っていると聞いたことがあったっけ。その予備軍が、同様であることは想像に難くない。私達なんてお呼びで無いって感じだけれど、いつまでも4冊の絵本をかわるがわる読んでいるのも可哀想だし、やはり子供図書館へは一度行ってみようと思う。

1時過ぎまでたっぷり遊んで、両替行脚に出かける。バスでナライパンへ行くが、聞いたほど両替率が良いということは無かった。さんざん、あちこちをうろついた挙句、時間になったのでエンポリウムまで戻って、公園前の両替屋で両替した。結局、一番レートが悪いところで両替してしまった。とほほ。一人なら、両替率の良いところに戻って両替するのだけれど、イオpさんを抱いていると、もう戻ったりするのが嫌になってしまうのだ。道を渡るのも一苦労だし。お昼ご飯も食べられずに、学校へ行くとワチャン先生の奥さんが、お昼を買って待っていてくれた。ありがたい。イオpさんに食べさせて、私は授業へ。今日も、藤垣先生とラダ先生がイオpさんを買い物へ連れ出してくれると言う。まだお正月休みなのか、お店が昼だと言うのに混んでいるので、イオpさんが邪魔にならないように出かけてくれるのだろうか。申し訳ない感じだが、ありがたく出かけてもらう。イオpさんは、ご機嫌でお出かけした。

久しぶりのタイ語授業だったけれど、ぜんぜん進展しない。なんか、復習して実際に使ってみるまで至らないのだ。イオpさんと一緒にいると、使う機会にノートを見たりして反復できないし。やっとなんとか屋台でテイクアウト出来るようになった位だ。それも、限られた種類の物のみ。先日、おおむが夕食を買ってきてくれた時、LOTUSのフードコートで買ってきたと聞いてとても驚いてしまった。ぜんぜん見たことも無いような食べ物ばかりなのだ。「ええ~、どこにそんなものが売っているの?」と、とてもショックだった。言葉がわかれば、フードコートでも様様なバリエーションも食べ物が食べられるのだ。もっと精進しなくては。

4時半に授業が終わって、暫くしたらイオpさんもご機嫌で戻ってきた。また何か買い食いさせてもらったのだろう。先生達は、新年だからか一緒に食事をするというのに、私達も誘われてついていった。なんと韓国料理。いつも思うのだが、どうして日本の韓国料理屋だけ、他の国のそれと何だか雰囲気が違うのだろう。大久保辺りだったら、そうじゃないのかしら。NYの韓国料理屋へ行っても、いきなり小皿でが~んとキムチ類が出てきたし、ここでもそうだ。「韓国では、どこでもそうだ」と藤垣先生が言っていた。キムチ類は、とても美味しいけれど、サラダも辛くて、いおpさんには食べられない様子。先にきた石焼ビビンバをワチャン先生の奥さんが「イオpさんに」と分けてくれるが、これも辛くて食べられない。半泣きのイオpさん。やっと冷麺が来て一安心。細いどんぐり麺で、スープも辛くなく、イオpさんは、バクバク食べている。麺好きで良かった。さっさと食べ終わってその辺をうろついているイオpさんを、ワチャン先生の奥さんが相手して、私に食事をさせてくれる。ワチャン先生の奥さんは、店員相手にイオpさんに色々とタイ語を言わせて、なにやら自慢している。イオpさんも調子に乗って、ワチャン先生の奥さんと一緒に1から10まで数えたり、歌ってお遊戯したり、いつの間にそんなに覚えたのかと思うほど、いろんな事をタイ語でやっていた。ワチャン先生の奥さんは、イオpさんに「もうずっとここに居なさい」なんて言っていたみたいだ。イオpさんが賢くて本当に良かった。教え甲斐が無いと、相手をしていてもつまらないものね。

2002年01月02日

家で過ごす

朝、起きたらもう7時だった。夜中に何度も目が覚めて、起きて何かしなくては~とは思うのだけれど、きちんと目を覚ますことが出来なくて、なんだか一晩中、うとうととしていたみたいな感じだった。冷蔵庫の中にあるもので、適当に朝食を取る。今日は、どこへも出かけずに家で過ごすことにしよう。

洗濯と簡単に掃除。台所を掃除して以来、台所にアリが出なくなったのは良いけれど、その代わりにダイニングにアリが出るようになってしまった。イオpさんの食べこぼしなどにアリが集るのだ。嫌な感じ。イオpさんは、またもや裸でうろついている。朝食後、私はタイ語の宿題を済ませようと思う。が、なかなか進まず、そのうちイオpさんがぐずりだす。適当に相手をしながら宿題をするが、しつこくちょっかいを出してくるイオpさんに怒りが湧く。イオpさん的には、どんどんしつこくなってあたりまえなんだが、そんなことを思いやれるほど、私に余裕は無い。逃げ回りながら、宿題を済ます。その行動の情けなさが、ますます怒りとなってしまう。フラワーエッセンスを取らなくては。結局1時過ぎまで掛かって、宿題を終わらせた。

イオpさんに謝って、おっぱいでお昼寝をする。なかなか寝ないイオpさん。やっと寝たときは、私も疲れ果てて、一緒に寝てしまった。このお昼寝時間にするべきことは、多くあったのだけれど、叶わず。3時過ぎに起きて、簡単に食事。青菜と豆腐と海苔やクコを入れた米麺・雑炊など、もう定番が決まってきた。こんな粗食でいいのだろうか。おやつは、果物やポンセン、カオミャオなど。外食も多いので、家ではこれで良いのかもしれない。イオpさんがひもじい思いをしている様子は無いので、OKとしよう。

夕方は、CDをかけてビールを飲みながらイオpさんと踊る。久しぶりに小島麻由美「二十歳の恋」なんて聴いてしまった。それからJames IhaやK.D. Langなど。東京では、ヒーリング系のCDを聞くことが多かったけれど、バンコクへ着たらあまり聴く気がしない。落ち着かない生活をしているからだろうか。午後遅くに食事をしたせいか、はたまたビールのせいか、夜になってもお腹がすかない。いおpさんも同様のようだ。「上行って、寝よ。」なんて言う。お風呂に入って、絵本を読んでいるうちに、またもや私も眠くなってしまった。こんなことで良いのだろうか。疲れているのか、イオpさんと私。

2002年01月01日

新年だ

皆様、新年おめでとうございます。って、この日記、imasa以外の誰か、読んでいる人がいるのでしょうか。だらだらとつまらない内容で長いので、読む人はいないかもしれん。

夕べは、新年をかみ締めながら、一人ビールを飲んで(本当はシャンペンを飲みたいところだけれど300B以上して手が出せず)4時近くまで起きていた。今朝は、衣穂pさんに起こされて7時半にお風呂。朝食にお雑煮を作って食べる。学校で餅つきをした時にお土産に貰っていたのだ。

11時過ぎに東急デパートに着くと、もう餅つきは始まっていた。混雑するのかと思っていたら、あまり人出は無くてこじんまりやっていると言う感じ。早速、側で餅つきを見学。小学生くらいの子はお餅を付かせてもらっていたけれど、イオpさんには、まだ無理。つきたてのお餅に黒餡・白餡を乗せたものを貰う。祭壇の象像脇の階段に腰を下ろして、御餅を食べる。若い女性が何人もお供物を持ってお祈りに来ている。縁結びの神様かなんかだろうか。早速ちょっかいを出されるイオpさん。私が水を貰ってくる間に、新たにお汁粉を誰かに貰って食べていた。

二度目の御餅つきを見学してから、せっかくだからマーブンクロンに寄って行く。なんだか、また小奇麗になっている様子だ。子供服などを見るが、どれもLOTUSのバーゲン品のほうが良品で安い気がする。イオpさんは、途中で寝てしまった。ひとしきり見て、サイアムセンターまで歩く。イケアを覗こうと思ったけれど、どうにも肩が痛くなって断念。お茶をしようかと迷うが、節約してバスに乗る。WTCで降りて、ナライパンで両替しようと思うが休み。WTC内の比較的両替率の良いほうは、NO MONEYと札が出ていて休みだった。もう一軒のほうは開いていて、混雑していたが、両替率が悪いのでやめにした。ここでも一瞬、イタ飯屋でお茶をすることが頭をよぎったけれど、バスでON NUTまで戻った。地図に近所にキャリーフォーが工事中のように出ていたので、もしかしてもう出来ているかもしれないと行ってみたけれど、やはりまだ工事中だった。秋頃には出来るのか。イオpさんを一日抱っこして歩いていたら、ヘロヘロになってしまった。さすがに重くなってきている。肩も痛くて死にそうだ。

LOTUSで休もうとフードコートへ行ったけれど、音がうるさくて辟易する。比較的静かでおしゃれな(笑)ピザハットに入ってしまう。何かのコラムでタイ人にとってピザ屋はおしゃれなデートスポットだと書いてあったけれど、なるほど恋人たち向けのLOVERS何とかいうコースメニューがあった。メニューと言えば、最初タイ語だけのしかも写真も無しのメニューを持ってこられて固まってしまった。タイ語読解力の必要性を思った。暫くして店員が英語メニューを持ってきてくれて、死ぬほど感謝した。シーフードピザとアイスレモンティを頼んだ。レモンティは、若干の不安どおり凄く甘くてまずかった。失敗。ピザは、まあまあ美味しい。アメリカ式のパンピザなので、台のところをイオpさんに食べさせる。あと海老。イオpさんは、どうやら海老好きのようだ。107Bなり。高い食事だったけれど、疲れているせいか、どうしてもゆっくりとした場所に座りたかったのだ。

水とビールを買って、遊技場で少し遊んで帰宅。本当に疲れた。暫くベッドから起き上がれなくて休む。少し寝てしまった。7時前に力を振り絞って、夕飯を作る。玄米麺を椎茸のスープで。海苔・クコ・青菜などを入れて食べたらとても美味しかったので、嬉しかった。作ってよかった。イオpさんも「美味しい、美味しい。」とたくさん食べてくれた。今日は、早く寝よう。