2002年02月06日

マッサージ三昧・買い物三昧

2時過ぎに起きることが出来たけれど、いおpさんの度重なるおっぱいコールで、ほとんど何も出来ず。明日は、一日部屋の片付けに費やされることだろうから、自由に行動できるのは実質、今日一日だけだ。いおpさんを幼稚園へ送って、市場へ急ぐ。カーとプライを見つけたい。市場は予想以上に広くて、探すのに一苦労する。とくにプライは、どこにも置いていない。聞いてまわって、やっと売っている所を見つける。カミンもあったので、少し買った。

市場からバスに乗って、ワットポーへ移動する。本当は、いおpさんと一緒に来て、去年と同じように、猫に見えるトラの石像に乗って写真をとりたいのだが、そうすると他の買い物が何も出来なくなってしまうので、残念だけれど諦めた。ワットポーでプラコップ(ハーブ玉マッサージ)をやる。なんだか以前のように気持ちよくない感じ。ハーブの配合が違うのだろうか、体も全然黄色くならない。でもマッサージ自体は、とても気持ちが良かった。やはりワットポーの人は、上手い人が多い気がする。

船着場まで歩いて、船で北上する。予想よりも時間が早く行動できているので、急遽、行ってみたかった植木市場へ行くことにした。道沿いにずっと様様な植木が並んでいて壮観だ。じっくりと見てまわった。満足して、またも移動する。今度は、WTC前のナライパンへ、いおpさんのままごと道具を探しに行く。バス停まで歩く間に、とってもローカルな金物+食器屋を見つけて、ちょうど探していたような鍋とやかんを見つけて大喜びする私。二つで220Bなり。東京で3000円近くするプラスティックの鍋を買わなくて良かった。アルミの鍋のほうがずっと可愛らしい。まあ、荷物にはなるけど軽いから大丈夫だと思う。

バスに乗って、ナライパンへ行くが、思ったような木の小物が見つからない。バーンラック幼稚園にあるような、木の小物入れとか、籐の入れ物とか、あるといいと思うのだが。見てまわるうちに、自分用にアンティークシルクのパンツが欲しくなってしまって、つい見てしまう。可愛らしいフィッシャーマン・パンツが450Bなり。パッチワークになっていて、全部違っているので一枚を選ぶのが難しい。結局、選びきれずに3枚になってしまった。一生懸命に値切って、1060Bにしてもらった。昨日、市場で見たインドシルクのパンツが350Bだったことを思うと、良い買い物が出来たと思う。でも、いおpさんの小物は見つからない。結局、木のお玉と竹のお盆を買った。お盆は、またもや傷をたてに値切って、1枚200Bを2枚300Bにしてもらった。私は、値切るのが凄く下手なのだけれど、バンコクでしばらくいて、ずーずーしくなったかもしれない。東京の家で、レンゲと小皿が割れて困っていたことを思い出して、セラドン焼きのレンゲと小皿を購入。3つずつで150Bなり。なんだか、凄い勢いでお金を使っている私。あっという間に、お財布が空になってしまった。

郵便局へ行くのに、やはりお金が入るので、ナナ駅で両替をした。郵便局で手紙を何通か送る。一通19Bだった。前に駅のメールサービスで送った時は、もっと高かったような気がする。メールサービスは、手数料を取っていたのだろうか。やはり郵便は、ナナの郵便局に限る。

プロンポンへ移動して、I親子のお勧めフットマッサージへ行く。お勧めどおり、凄く上手かった。まわりも観察したけれど、皆バランスよく、マッサージが上手い。参考になること多し 。ただ、団体客の多い大型ホテルのすぐ横という立地のせいか、あまり雰囲気が良くない。私がいる間も日本人の親父たちが次々に来て(皆、同じツアー仲間の様子)、飲み屋と勘違いしているような話をマッサージ師の女の子達にしていた。感じ悪し。

学校へ、荷物を置きに行く。家に持って帰って、またここへ鞄を持ってくるのは大変そうなので、明日、ここで買い物の荷造りをさせて貰う事にしたのだ。助かるなあ。結構、膨大な量になってしまった。大丈夫だろうか…。タクシーで空港まで行くしかないか。

幼稚園へいおpさんを迎えに行って、また学校へ戻る。ここで一度もフットマッサージを受けていなかったので、受けておこうと思って。マッサージ尽くしの一日。もったいないけど、時間が無いから仕方が無い。受けるたびに勉強になることが多いのは、事実だし。いおpさんは、ラダ先生とカーフールに行ってしまった。出掛けるときに、ちらと見たら、またもやお化粧をされている。いおpさんが「やって」とでも言っているのだろうか。素早い。

マッサージが終わって暫くすると、ご機嫌ないおpさんが買い物から帰ってきた。夕ご飯をご馳走になる。バンコクへ来て、初めてお味噌汁を飲んだ。お味噌もお醤油もバンコクで作られているそうだ。贅沢にも蛤のお味噌汁だ。いおpさんは、疲れたのか、カーフールで食べたというアイスクリームのせいか、イライラしている様子。あまりお腹がすいていないのも手伝って、ご飯で遊んだり、挙句の果てにはお箸を投げたり、酷いありさま。受付の男性にお風呂に入れてもらったら、落ち着いた。痒かったのだろうか。

9時前に帰宅して、いおpさんは、そのまま寝た。私は、まず部屋掃除だ!台所を磨いて、風呂場を磨いて、部屋にモップかけをして、怪しく夜に働いた。1Fの部屋掃除が終わると、今度は荷造りだ。いろんな人にいおpさんの服を買ってもらったり、自分でも買い足したりしたせいで、家にある荷物だけでも結構な量になってしまった。学校にも相当量の荷物を置いてきているのだが、入るのだろうか…。ぜひとも入れたいところだが。

2002年02月05日

駐在員の社会

夕べは、なんだか寝苦しかったらしく、何度も目を覚まして泣いていたいおpさん。私も4時ごろに呼ばれた時点で一緒に寝てしまって、二人で起きた時は、もう7時半。慌てて出掛ける。

いおpさんを幼稚園に送ってから、幼稚園の奥にあるお店によってみた。この幼稚園は、タイ北部にあるエイズ患者のための施設にいる人たちにシュタイナーの遊具を作ってもらって、それを海外に輸出することもしているそうだ。お店には、草木染めの布が何種類もある。あとは、レインボー染めのシルク。これは、日本で買うよりもずっと安いけれど、私にとってはやはり高かったので諦める。衝立も伐採が必要なゴムの木を使っているので、とても安い。買って帰りたいけれど、いおpさんを連れているので、これ以上の荷物は一人では無理かなあ。ああ、簡易サウナも本当は買って帰りたいのだ~。おままごと用に、木の食器セットを3セットと大きな種のセットを買って、あとはピンクと緑の布を買った。ピンクの布しか買うつもりは無かったのだけれど、緑の布の色があまりに綺麗だったので、つい買ってしまった。領収書に、io's motherと宛名があって、笑った。

その荷物を持ったまま、プラトゥーナーム市場へ出掛ける。自分の服を何か買おうと思って、出掛けたのだけれど、結局いおpさんの冬服のセットを2セットで300Bで買っただけだった。バンコクは、日本語Tシャツブームは去ってしまったようで、寂しい。今は、中国語の漢字ブームらしい。あとはグランジ系のTシャツ。そこから伊勢丹へ歩いていって、imasa実家へ蘭の花を贈る。帰ったら法事があるので、それ用にと思って。

ちょうどお昼前になって、もしかしたらKさんとお昼をご一緒できるかもしれないと、急いで学校へ行ってみる。ちょうどお昼休みに入るところだった。他の初級を受けている女の子達と一緒に、近所の総菜屋へお昼ご飯を食べに行く。Kさんは、盛んに疲れたと言っていた。私もそうだったことを思い出す。最初の3日間は、猛烈に辛かった。その後からだが段々となれてくるのか、だいぶペースがつかめて生活を勧めることが出来たけど。初級を受け初めて、火曜日・水曜日くらいまで、ほとんどの人が必ず「キツイ」「疲れる」と盛んに言う。Kさん、それに加えて帰っても子供と過ごす仕事が待っているので大変だ。私も夜、眠れないのが辛かった。(今も辛いけど。)本当に「独身であること」は、なんと身軽であったことだろう。ずっと月に住んでいて、急に地球に戻って、その重力の重さに驚いている感じだ。しかも地球に住む限り、その重さからは逃れられない。

お昼後、私はエンポリウムへ行って、カードを何枚か書く。もっと早くしなければいけない雑事だったけれど、後半、どんどんと忙しくなってしまって、出来なかったのだ。最近、ますますいおpさんが夜、ちゃんと寝なくて、私が夜あまり作業が出来ないので、夜やるべき仕事を昼間やることにした。

少し早めに幼稚園にお迎えに行った。いおpさんは、少し大きな子達と幼稚園の中ほどにある東屋(舞台?)で遊んでいた。私を見つけると、すぐにやってきて、いろいろと幼稚園の説明をしてくれる。自分の部屋に戻るときも「ここプールだよ。」とか、廊下の一段下がっている所を歩きながら、「あ、ここ恐いところだよ。」と教えてくれたりとか。いおpさんもがんばって、この2週間で自分の居場所を作ってきたのだなあ、と感慨深くなった。バーンラック幼稚園は、本当に素晴らしく居心地の良いところだ。緑も多く、穏やかな空気が流れている。この緩い感じもとてもいい。可能ならいおpさんを卒業まで通わせたいところだ。そのためにバンコクへ引っ越したいくらいだ。

いおpさんとタクシーで学校へ戻る。I親子まで、いおpさんが来たら喜んでくれた。皆に受け入れられているのを感じてとても嬉しかった。いおpさんは、先に来ていたKさんの子供・はやとくんの車を借りて、遊びだす。私は、生徒の男性二人にバンコク暮らしの情報あれこれを伝授する。何も出来なかったような私の暮らしでも、いくらかは伝授できるような情報がある。ラダ先生を巻き込んで、おしゃべり。

Kさんが、お友達に声を掛けてくれて、夕食をご一緒できることになった。嬉しい。このところ、ずっと誰かと一緒に夕食を取っていたので、いおpさんと二人の夕飯がとても寂しく感じるのだ。ずっと、やってきたことなんだけれど。トンクルアンに大人5人・子供5人が集まって食事。毎日、タイ料理を食べていると感じていたけれど、思えばレストラン料理を食べていなかった。学校で行くのは、いつもイサーン料理だったし。なまずをふわふわに揚げたものとか、スープとか、サラダとか、トート・マン・クンとかいわゆるタイ料理をバンコクへ来て以来、初めて食べることが出来て嬉しかった。いおpさんも皆での食事に食が進んでいたようだ。レストランも懐かしのトンクルアン。何年も前に知子に連れてきてもらって、蟹を一人一匹とか、それはもう凄いメニュー選択で驚いた笑える思い出がある。マッサージやホメオパシーの話と共に、駐在員の家族の暮らし、というかバンコクにおける駐在員家族達という社会の話を少し伺って、いろいろと感じるものがあった。例えば、それは一見「海外の日本人社会」と言う風に見えるけれど、あくまで「駐在員社会」であって、自分は、その中に入ることは出来ないのだなあ、とか。入りたいわけじゃないけど。日本人が多く住む土地であれば、どこでもこうした二重社会みたいなものは、ある。仕事によって来ることになってしまった人たちと、自分で来たくて勝手に住んでいる人たちの社会が違うのは、あたりまえか。経済状態や暮らし方も全然違うだろうし。

それにしてもネットは、ありがたい存在だ。この滞在でもMLで出会った人たちに、本当に救われた。直接の知り合いではないけれど、お互いに多くの情報を分かち合って、影響しあっている。私も、どんどんと情報を発信して、分かち合って、生きていきたいと思う。

2002年02月04日

またサンペンレーン市場

今日は、バス運の悪い日だ。朝、せっかく早起きをして幼稚園へ出掛けたのに、バスの中でおばちゃんに話し掛けられたりしている間に乗り過ごしてしまって、とても遠くまで行ってしまった。戻って幼稚園へ着いたのは、9時。がっかりだ。サンペンレーンへいおpさんのパジャマを買い足しに行こうとして、幼稚園の側からバスに乗ったら、これもバスマップで見たのと違って、なんと川を越えて知らない町へ行ってしまった。また川の側に戻ったところで降りて、渡し舟に乗って川を渡り、エクスプレスボートでサンペンレーンへ着いたのは、なんと11時過ぎだった。とほほ。午前中に用事を済ませて、学校へ行きたかったのに。

パジャマを買って、中華街を抜ける途中でお腹がすいてバーミーを食べる。スープの出汁が魚で取ってあって、とても美味しかった。元気が出て、バスに乗ってWTCへ。CDショップでタイの古典音楽のCDを探すが、良いものが見つからない。というかほとんど無い。どこへ行ったらたくさん選ぶことが出来るのだろう。王様が73歳のお誕生日記念にリリースしたジャズのCDに心惹かれるが、1000バーツもして、ちょっとびびった。王様は、本当に多趣味だなあ。視聴したけれど、王様のサックスは、結構いける感じだ。何度もタイを訪れているうちに、すっかり王様ファンになってしまった私。今日は、サンペンレーンで王様ステッカーを買ってみた。ふふ。

アジアブックで学校のためにタイ・ハーブの本を買う。ふと「ホメオパシーの本なんてあるのかな」と思って、探すと何冊も置いてあった。欧米人には、アロマセラピーくらいは普及していると言うことか。いいなあ。そのコーナーのハーブ本を見ていたら、タイ語のどうやらサムンプライの本を思われる図鑑を見つけた。相当に厚く、辞書のようになっている。所々、植物や動物・鉱物の名が英語で併記されている他は、皆タイ語だ。でも絶対に良い本だという確信を持った。以前、先生に「サムンプライの辞書は無いのか」と聞いたら、「無い」と言っていたので、これを見たら喜ぶことだろう。カウンターでその本がサムンプライの本だという事を確認して、購入した。ついでにベビーマッサージの本も買った。これは、イギリス出版のもの。何故か定価よりも安くなっていた。ラッキー。

学校へ行くと、なんだか生徒で溢れている。上級で引き続きI親子が二人。中級で一人。初級で、なんと7人の生徒が学んでいた。なんだか活気があって、いい感じだ。まずラダ先生に本を見せると、写真を見ながら「これは美味しい。これも美味しい。」と(笑)いろんな植物を教えてくれる。藤垣先生は「今日はお昼に校長先生が来ていたので、見せたかったなあ。」と言いながら本を見ていた。タイ語を読めない私が持っていても、宝の持ち腐れになってしまうので、タイ・ハーブの本と共に学校に買い取ってもらうことにした。

バイクで幼稚園へいおpさんを迎えに行くと、居残りの年長さん達と一緒に遊んでいた。私を見つけると「ウンチ出ちゃいました~。」と明るく報告。「え?今出たの?」と聞き返すと「ううん、さっき出ました。」とまた明るく答えた。先生も苦笑い。教室を抜けて玄関に行く途中で「ここでお昼を皆で食べたの~。」とか「プールしたよ。」とか色々と教えてくれる。楽しい時間を過ごしているようで安心した。

タクシーで学校に戻ると、皆、いおpさんを見て大喜びだ。いおpさんもワチャラ先生と奥さんに会えて大喜び、。「先生~。おばあちゃま~。」と駆け寄っていった。私が、藤垣先生と話をしている間に、帰ろうとしているワチャラ先生夫妻と共に玄関に降りて、下駄箱で勝手にサンダルを穿くいおpさん。先生が「ここでさようならだよ。」と言っても、「一緒に行く~。」と譲らない。私が「お母さんは、まだ行かないよ。」と言っても「先生のおうちに行く~。」と言い張る。「一人でお泊まりしに行くの?」と言っても「一人で行く。」と言う。先生まで「じゃ、今日は泊まる?」なんて私に言うが、着替えも持っていないし、明日、幼稚園へ行くのが大変になるので遠慮する。何故泊まりに行かれないか、いおpさんに説明をして、「でもどうしても離れたくないなら、駅まで一緒に行こう」と私が荷物をとりに言っている間に納得したのか、先生にさようならをしていた。

私達も帰ることにする。なんとなく寂しくて、直帰する気になれず、いおpさんとまたも禁断のケンタへ。7時過ぎまで遊んで、ご飯を買って帰った。

2002年02月03日

タンブンと川遊び

朝、鶏の声に起こされる。6時半頃にベッドを出る。いおpさんは、まだ寝ている。ビデオカメラを持って家のあちこちを撮って回る。気持ちの良い朝。さすがお山の朝と言う感じで、夏の蓼科のように寒い。起きて来たいおpさんを、ラダ先生の娘さんが抱いてきてくれる。ラダ先生には、14歳と10歳になる二人の娘さんがいるのだが、名前がウサギとリスなのだ。カテーとカタイ。可愛い名前だ。二人ともよく家の手伝いをしている。タイの子供は、本当に穏やかに見える。そんなに喧嘩もしないみたいだ。いおpさんが、何を欲しがってもすぐに譲ってくれるし、なんでも手伝ってくれる。日本の子供には見られない光景だと思う。だいたいお土産にTVゲームを貰ったら、先を争ってやりたがるだろうし、いおpさんみたいな幼児が触りたがっても相手にしてくれないだろう。それが、ここだといおpさんが横に来ただけで、すぐにコントローラーを渡してくれるのだ。ゲームの良し悪しはともかくとして、その自然な光景は、ちょっと感動物だ。

私が撮影している間、いおpさんは裏庭をお散歩。ふと気が付くと、ラダ先生のお母さんが抱いて歩いていた。いおpさんは、本当に年寄り好きだ。静かで穏やかなのが、良いのだろうか。

子供を数人連れて車で朝市に出掛けた。この家に寝ているのは、ラダ先生の両親と娘さん二人だけだったのに、ご飯の仕度は、十数人分を用意しているみたいで、凄い量の買い物になった。大量の新鮮なハーブと共に素麺とカオミャオで朝ご飯。素麺にカレー汁を掛けたものがとても美味しい。あとネズミも。10cmほどの小さなネズミを開いて焼いたものが、結構いける。テーブルの周りには、既に10人以上の人がいる。不思議だ。

今回の帰省目的は「タンブンがあるから。」だそうだ。タンブンというのは、仏教思想をベースにした善行の事で、今回は、お寺建設のための寄付が目的らしい。ラダ先生のお兄さんの一人が、お寺で修行を始めたのだけれど、その寺がまだ立ち上がったばかりで、お寺らしい建物も無いそうだ。それをどうにかしようと街の人たちで寄付を集めるらしい。バナナの木の茎を柱にして、竹を割って作った櫛にお札をはさんでゴムで留めたものを刺していく。ラダ先生が学校で集めたお金を出した。私もついでにタンブンさせて貰う事にして100Bを出す。お札をはさむ作業が結構楽しい。ビデオに撮っておこうとしたら、バッテリー切れになってしまった。残念。トラックの荷台に、大人も子供もぎっちり乗ってお寺に出掛ける。100人以上の人たちが、簡単なブロック建ての(でもロクに壁も無いような)場所に集まっている。駄菓子や色紙で作った飾りがあちこちに揺れていて、まるで寺山の映画の世界。実に不思議でシュールな光景だ。楽しい。お坊様の居る所へお金を奉納しに行く。皆でお経を受けて、水をグラスに入れ替えて、お金を奉納。その後は、食事を振舞われた。なかなか豪華な食事だ。どぶろくのようなお酒もある。外で偉そうなお坊様が豪華に飾られた玉座に座って、マイクでお経を読んでいる。らしい。まるで民謡のような節がついていて、「いい喉を聴かせてもらってる」って感じだ。大きなシートで屋根を張ってあって、そこに100人くらいの人たちが座ってお経を頂いている。楽しい。

家に戻って、いおpさんと少しお昼寝。2時過ぎに起きると、川へ魚を捕りに行こうと誘われる。家の裏を車で1・2分行った所にほとんど流れも無いような川がある。幅は、4~5mほどか。木を一本渡してある橋に子供達と並んで、足を水につける。いつもよりも水が多いそうで、結構冷たい。いおpさんも早速、裸になって一緒に橋に座ると足をバチャバチャさせている。そのうちに子供達が、服を着たまま、次々と水に入って泳ぎだす。水は、淡い抹茶色で濁っている。5cmくらいしか下が見えない状態だけれど、水は綺麗だそうでシジミが住んでいる。考えると、一見不潔そうに見えるこの川の水は、シジミが生息しているほど綺麗なものだ。それに引き換え、プールの水は清潔だけれど、殺菌のために塩素が大量に使われていて、何の生物も生息できない。動物である人間がいる場所としては、川の水のほうがずっと安心できる気がする。病気のリスクも考えに入れたとしても。そういえば、プール熱の原因て何なのだろう。

ラダ先生も川に浸かって、小さな網で川海老や小魚を取っている。いおpさんも抱かれて水に入ったけれど、水の冷たさに驚きに悲鳴をあげる。私も誘われて水に入った。当然、服を着たままだ。変な感じだが悪くない。水は、私の首辺りまである深さ。いおpさんよりも少し大きな子供が、藤垣先生の背に負ぶわれて泳いでいるのを見て、いおpさんも私に手を伸ばすので負ぶってやった。泣くかと思ったら、喜んで足をバタバタさせている。水が濁っているので、おぼれて沈んだら探せないと思うと、さすがに不安でいおpさんの手はしっかり首のところで握って、背負ったまま、泳がせてやった。喜んでいる。「自分で、自分で。」と言うので、前で手を握って浮かせて泳がせて見たら、案外泳げている。楽しそうだ。子供達に水を掛けられたりして、大騒ぎで喜んでいる。暫く泳いでいたら、いおpさんの唇が紫色になってきたので、上がろうとすると嫌がる。でもその声が震えてきたので、無理やり上がらせる。橋に座って陽にあたって温まる。「寒いんじゃないの?」と聞かれると「ぜんぜん、寒くないもん。」とがたがた震える声で答えるので大笑い。私に「水に入る。水に入る。」と煩い。暫く暖をとって、それでも「泳ぎたい」と盛んに言うので、また水に入る。子供達は上手にシジミやタニシを足で捕っている。それをいおpさんが水に浮かせたバケツに入れている。ああ、なんて楽しいんだ~!

魚や貝を捕り終えると、今度は、次々にシャンプーで頭を洗い出す。「そんなの、ありだろうか?」と物凄く驚いた。その自然な感じは、しょっちゅうここへ体や頭を洗いに来ていると言った風だ。それでもシジミは、生息しているのか。自然の自己治癒力は素晴らしいなあ。ここの人たちにとっては、まだ自然なんて大切にするようなものではない。いくら使っても、まだまだ溢れているものだ。でもエコ教育も大切だと思うぞ。

陽が傾いてきたので、家に戻る。着替えて、いおpさんは、また少し寝る。たくさん泳いだので疲れたのだろう。夕食にもネズミが出た。今度は、20cmくらいの大きなもの。肉の食べでがあって、とても美味しい。ネズミは冬の間しか食べないそうだ。たぶん、夏は、草が生い茂っていてネズミを見つけ難いからだろう。簡単に夕食をご馳走になって、バンコクへ戻る。

家に戻ったのは、11時過ぎだった。お疲れ様、いおpさん。盛りだくさんで、映画のように楽しい一日だったね。

2002年02月02日

イサーンへ行く

朝起きて、あまりに部屋が汚いので少し掃除をする。いおpさんには、トマトを食べていてもらう。ついでに庭の掃除と水まき。今週末はいないので、緑が枯れてしまわないように充分に水をあげていく。藤垣先生は、10時過ぎに迎えに来ると言っていたけれど、10時半を過ぎても来る気配が無いので、近所へ麺を買いに行く。私にバーミー、いおpさんにセンレック。とても美味しそうだ。急いで家に戻って、食べ始めたところで先生が迎えにくる。以前の私なら、すぐに片付けて出発するところだが、すっかりずーずーしくなってしまったので「今、丁度食べ始めたところなんです。」と言って急いで食べる。いおpさんにも麺を半分食べさせて、服を着せて、やっと出発。藤垣先生に「いおちゃんは、家ではいつも裸なんですか。」と笑われる。

ロータスによって買い物。今夜は、トンカツらしい。他にも山ほど買い物をして(例えばブドウだけで500B分も!)、まるでアメリカ人のようにカートを一杯にした。気分が良かったけど。途中で休憩を入れながら4時間ほどのドライブで、夕方やっとコーラートに着いた。市場で夕飯の支度を完全にするための買い物をして、なんと!冷蔵庫を買ってラダ先生の実家へ。

木々が生い茂る赤土の土地に、高床式の家が建っている。2Fがリビング兼寝室で、1Fは台所にしている。庭には、屋根つきの竹ベッド、と言うよりもまるで部屋。6畳分くらいはある。トイレと風呂場(水浴び場と言うのか)は、家の裏にある。裏庭には、私の身長ほどもある大きな水がめが4つ並んでいる。そこから階段を2/3段上って裏の畑に出る。数々のバー部類と果実の木々。実に豊かに実っている。特に手入れをしている様子は無いのに、これだけの種類の作物が簡単に手に入るなんて、やはりタイは豊かな国だ。日本で悲壮感を漂わせて作物を作っているのが、きっとタイ人には馬鹿らしく見えることだろう。食べ物に対する倫理観や文化が大きく違っていてもあたりまえだ。皆が夕飯の支度をしている間、いおpさんは、さっそく子供達と砂遊びを始めた。一体、誰がこの家の人なのか不明なくらいたくさんの人がいる。当然子供も。就学前の子供だけで、6人は遊んでいる。いいなあ。

いおpさんと二人で先にお風呂を貰う。泣くかなあと思ったら、バーンラック幼稚園で毎日、水浴びをしているせいか、泣くどころか大喜びして、水を浴びている。結構、水が冷たくて、ひ~っとなるのだが、それが楽しいらしい。二人でキャーキャーいいながら水浴びをした。

庭先にテーブルを出して、夜風に吹かれながら皆で夕食。大勢入るので、なんとなく始まって、勝手に其々が食べる、いいかげんな食事だ。子供達は、まるで鳥の餌付けのように、ご飯を一口ずつ口に入れられている。遊びながら、こちらの子に一口、次にこちらの子に一口。お姉さんが、お椀とレンゲを持って、遊びまわっている子供達の口に、ご飯を入れてまわっている。側で口をあけて待っている子もいる。いおpさんもついでに一口入れられている。すっかりあたりも暗くなり、子供達の食事が終わると、お土産のケーキをデザートに出す。竹ベッドの上に子供達が輪になって、ケーキにろうそくを立てると、お誕生日の歌を歌って、ろうそくを皆で消した。特に誰かのお誕生日と言うことではなさそうだ。いおpさんも仲間に入れてもらって、少し大きなお姉さんに面倒を見てもらっている。

大人たちが、子供に踊れ踊れと言って、何人かの子供が歌を歌いながら踊ってくれた。流行の歌を歌いながら器用に踊る子ら。5歳くらいの男の子も指を反らして、上手に踊っている。彼は、すでにオカマ志願だそうだ。社会的規制がないと、子供のジェンダーってそんなに早くから現れるものだろうか。なんだか気が楽そうで良いけれど。

夕食も終わって、だらだらと過ごす。ラダ先生に呼ばれて裏庭に行くと、焚き火を始めていた。火の周りにゴザを敷いていおpさんと寝転ぶ。星が綺麗だなあ。いおpさんは、初めての焚き火をじっと観ている。火は、魅力的だ。なんだか眠くなってきたので、家に戻って寝る仕度。リビングに小さな蚊帳をつって、いおpさんと二人で寝た。もう10時過ぎだ。

2002年02月01日

CLUBデビュー

今日は、先生の研修で幼稚園が休みなので、いおpさんと久しぶりに一日を過ごす。ラマ4世通りにあるLOTUSまでバスで出て、遅い朝食を取る。いおpさんは、カオマンガイを一人でバクバク食べた。慌ててパッタイのオムレツを買い足して食べる。そこからバスでシーロムのほうへ出て、フットマッサージを受ける。メソッドは、習ったものと似ているけれど、ここは棒を使わずに全部手で行っていた。気持ちがいい。いおpさんも隣に座って、じっくりと観察したり、私の足に実践したりして1時間を過ごした。サービスのハーブティーを飲んで、暫くゆっくりとする。

BTSの駅まで歩く途中で、麺を食べて、本屋さんで少し立ち読みをしてから学校へ行く。皆、いおpさんに久しぶりに会って大喜びだ。今日の午後から週末一杯を使ってI親子とフィリピンからの女性二人がフットマッサージの講習を受けている。私も早速、練習台として参加した。フィリピンの女性に、にわか先生となって偉そうに指導する私。ワチャラ先生とラダ先生に「今日は、馬場さん、先生ね。」と言われて恥じ入る。いおpさんは、先生や奥さんにまとわりついて遊んでいる。楽しそうだ。

藤垣先生が、夕飯を皆で一緒に食べに以降と誘ってくれた。総勢12人がピックアップトラックの荷台にぎっちり乗って、以前行ったイサーン・レストランへ繰り出す。半分野外の田舎風インテリアが心地よい。生演奏と女性のダンスを堪能しながら、たらふく食べた。いおpさんは、踊ったり食べたりしているうちに、寝てしまう。一日中で歩いていたので、疲れたのだろう。

藤垣先生が、「食事の後にちょっと飲みに行きませんか?」と言う。何度かいく機会はあったけれど、いおpさんがいたので行かれずにいた気になる店だ。いおpさんはぐっすり寝ているし、もうこれが最後だと思うと、「行ってみようか」と思う。「行きます。」と答えると、ラダ先生が大喜びしてくれた。どうしても、私を連れて行きたかったのだそうだ。連れて行かれた店は、実に不思議な場所だった。大きなホール?舞台のあるディスコ?レストラン?とても広い場所だ。ぎっちりと並んだテーブルに店員が懐中電灯で案内してくれる。舞台では、男性二人が掛け合いトークをした後、一人が歌いだした。ノリの良いタイの民謡風ポップス。こぶしが利いている。舞台の前のスペースでは、客が踊りまくっている。子供もいる。この大音響にもめげすに、いおpさんはぐっすり眠っている。ビールで乾杯して、果物を食べていると、一緒に来た生徒達が次々と舞台前に消えていった。踊っている。踊りながら、回りのタイ人と話をしたりして、住所交換などしている模様。楽しそうだ。そのうちに舞台に女の子のダンサーが10人ほど出てきて歌にあわせて踊りだした。中途半端にセクシーで中途半端に振り付けらしいのもがあるダンス。面白い。歌手は、次々に交代して、歌を途切れさせることなく続いている。踊り狂う人たち。舞台前どころか、テーブルでも皆踊っている。店中が揺れているようだ。もちろん手はヒラヒラの、沖縄の踊りにも似たタイ・ダンス。ディスコダンス風に踊っている若者も多い。いおpさんが目を覚まして、一瞬びっくりしていたけれど、すぐに「歌~。歌だね。」と言って踊りだす。私も楽しい気分になって、いおpさんを片手で抱いて、踊った。ラダ先生に連れられて、舞台前にいおpさんと移動して、皆で踊る。凄く楽しい気分。こんなに楽しい面白い場所が、バンコクにあるなんて!!

ふと、もうずいぶん以前に、ベルリンのクラブでニナ・ハーゲンに会った時のことを思い出した。生後2・3ヶ月の赤ちゃんを連れてきていたっけ。「凄い乱暴な事をするなあ、さすがタフなニナ・ハーゲンだ。」と、その時は思ったけれど、今、私も同じ事をしているのだ。酷いかーちゃんだなあ、私って本当に。imasaが知ったら、とても怒って悲しむに違いない。でも、楽しい。満員の店を出て、家に帰り着いたら、もう1時過ぎだった。もちろん、いおpさんは、ぐっすり夢の中。ごめんね、いおpさん。夜更かしさせて。でも、楽しかったね。夜遊び。