駐在員の社会
2002年02月05日
夕べは、なんだか寝苦しかったらしく、何度も目を覚まして泣いていたいおpさん。私も4時ごろに呼ばれた時点で一緒に寝てしまって、二人で起きた時は、もう7時半。慌てて出掛ける。
いおpさんを幼稚園に送ってから、幼稚園の奥にあるお店によってみた。この幼稚園は、タイ北部にあるエイズ患者のための施設にいる人たちにシュタイナーの遊具を作ってもらって、それを海外に輸出することもしているそうだ。お店には、草木染めの布が何種類もある。あとは、レインボー染めのシルク。これは、日本で買うよりもずっと安いけれど、私にとってはやはり高かったので諦める。衝立も伐採が必要なゴムの木を使っているので、とても安い。買って帰りたいけれど、いおpさんを連れているので、これ以上の荷物は一人では無理かなあ。ああ、簡易サウナも本当は買って帰りたいのだ~。おままごと用に、木の食器セットを3セットと大きな種のセットを買って、あとはピンクと緑の布を買った。ピンクの布しか買うつもりは無かったのだけれど、緑の布の色があまりに綺麗だったので、つい買ってしまった。領収書に、io's motherと宛名があって、笑った。
その荷物を持ったまま、プラトゥーナーム市場へ出掛ける。自分の服を何か買おうと思って、出掛けたのだけれど、結局いおpさんの冬服のセットを2セットで300Bで買っただけだった。バンコクは、日本語Tシャツブームは去ってしまったようで、寂しい。今は、中国語の漢字ブームらしい。あとはグランジ系のTシャツ。そこから伊勢丹へ歩いていって、imasa実家へ蘭の花を贈る。帰ったら法事があるので、それ用にと思って。
ちょうどお昼前になって、もしかしたらKさんとお昼をご一緒できるかもしれないと、急いで学校へ行ってみる。ちょうどお昼休みに入るところだった。他の初級を受けている女の子達と一緒に、近所の総菜屋へお昼ご飯を食べに行く。Kさんは、盛んに疲れたと言っていた。私もそうだったことを思い出す。最初の3日間は、猛烈に辛かった。その後からだが段々となれてくるのか、だいぶペースがつかめて生活を勧めることが出来たけど。初級を受け初めて、火曜日・水曜日くらいまで、ほとんどの人が必ず「キツイ」「疲れる」と盛んに言う。Kさん、それに加えて帰っても子供と過ごす仕事が待っているので大変だ。私も夜、眠れないのが辛かった。(今も辛いけど。)本当に「独身であること」は、なんと身軽であったことだろう。ずっと月に住んでいて、急に地球に戻って、その重力の重さに驚いている感じだ。しかも地球に住む限り、その重さからは逃れられない。
お昼後、私はエンポリウムへ行って、カードを何枚か書く。もっと早くしなければいけない雑事だったけれど、後半、どんどんと忙しくなってしまって、出来なかったのだ。最近、ますますいおpさんが夜、ちゃんと寝なくて、私が夜あまり作業が出来ないので、夜やるべき仕事を昼間やることにした。
少し早めに幼稚園にお迎えに行った。いおpさんは、少し大きな子達と幼稚園の中ほどにある東屋(舞台?)で遊んでいた。私を見つけると、すぐにやってきて、いろいろと幼稚園の説明をしてくれる。自分の部屋に戻るときも「ここプールだよ。」とか、廊下の一段下がっている所を歩きながら、「あ、ここ恐いところだよ。」と教えてくれたりとか。いおpさんもがんばって、この2週間で自分の居場所を作ってきたのだなあ、と感慨深くなった。バーンラック幼稚園は、本当に素晴らしく居心地の良いところだ。緑も多く、穏やかな空気が流れている。この緩い感じもとてもいい。可能ならいおpさんを卒業まで通わせたいところだ。そのためにバンコクへ引っ越したいくらいだ。
いおpさんとタクシーで学校へ戻る。I親子まで、いおpさんが来たら喜んでくれた。皆に受け入れられているのを感じてとても嬉しかった。いおpさんは、先に来ていたKさんの子供・はやとくんの車を借りて、遊びだす。私は、生徒の男性二人にバンコク暮らしの情報あれこれを伝授する。何も出来なかったような私の暮らしでも、いくらかは伝授できるような情報がある。ラダ先生を巻き込んで、おしゃべり。
Kさんが、お友達に声を掛けてくれて、夕食をご一緒できることになった。嬉しい。このところ、ずっと誰かと一緒に夕食を取っていたので、いおpさんと二人の夕飯がとても寂しく感じるのだ。ずっと、やってきたことなんだけれど。トンクルアンに大人5人・子供5人が集まって食事。毎日、タイ料理を食べていると感じていたけれど、思えばレストラン料理を食べていなかった。学校で行くのは、いつもイサーン料理だったし。なまずをふわふわに揚げたものとか、スープとか、サラダとか、トート・マン・クンとかいわゆるタイ料理をバンコクへ来て以来、初めて食べることが出来て嬉しかった。いおpさんも皆での食事に食が進んでいたようだ。レストランも懐かしのトンクルアン。何年も前に知子に連れてきてもらって、蟹を一人一匹とか、それはもう凄いメニュー選択で驚いた笑える思い出がある。マッサージやホメオパシーの話と共に、駐在員の家族の暮らし、というかバンコクにおける駐在員家族達という社会の話を少し伺って、いろいろと感じるものがあった。例えば、それは一見「海外の日本人社会」と言う風に見えるけれど、あくまで「駐在員社会」であって、自分は、その中に入ることは出来ないのだなあ、とか。入りたいわけじゃないけど。日本人が多く住む土地であれば、どこでもこうした二重社会みたいなものは、ある。仕事によって来ることになってしまった人たちと、自分で来たくて勝手に住んでいる人たちの社会が違うのは、あたりまえか。経済状態や暮らし方も全然違うだろうし。
それにしてもネットは、ありがたい存在だ。この滞在でもMLで出会った人たちに、本当に救われた。直接の知り合いではないけれど、お互いに多くの情報を分かち合って、影響しあっている。私も、どんどんと情報を発信して、分かち合って、生きていきたいと思う。
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