2005年02月26日
地味blog
気になってアクセスログを毎日チェックしてしまうのですが、ぜんぜんカウントが伸びなくて、未だにイオ日記の1/10の来客数。しかも半分以上が、検索でエロゲーを求めてきてしまった人である模様。悲しい。実際に読んでくれている人って何人位いるのかしら。
ささやかなweblog盛り上げ作戦として、自分で少しコメントを付けてみました。余計、寒くなっていますか。
せめてimasaがコメント付けてくれてもいいんじゃないの?会社でお昼休みに「がんばれ」とか、そういう励ましのコメント。
いかん、いかん。これは私のプラクティショナー活動のために充実させていくblogだったっけ。愚痴ネタで絡んでる場合じゃなかった。まともなコンテンツを増やしていかないと。
掲示板をつけてもらおうかなあ。そうしたらもう少し明るい雰囲気になるのだろうか。
2005年02月25日
先行きの暗いタイ行き
結局、今日もイオはお休みです。外に雪が残っていて寒そうだったから。
私は結局、一日中PCにへばりついてネットサーフィン。タイへ行くためのあれこれを調べまくり。
出来るだけ予算削減を考えて、あれこれ調べるけれども、イオと一緒なので、例えばバンコク着は深夜じゃないほうが良いとか、滞在する部屋は、夜中に宿題が出来るようなスペースが無いとダメとか、いろいろあって面倒くさーい。
イオが赤ちゃんのときは楽だったなあ。スリングに入れときゃいいからさ、夜中でも。どこでも。
途中、雑穀シチューでお昼にしたり、生協で頼んだピザとたこ焼きをおやつに食べたり、イオにじゅげむを習ったりしながらもPCから離れることなくタイ行きへと詰めていく作業を進めましたが、本当に行かれるのだろうか。と心が重くなる。
だって調べれば調べるほど、私の条件は厳しくて、どんどん予算が向上して行ってしまうのよ。私一人なら1泊100バーツのドミトリーでもいいのに、学校とイオを通わせたい幼稚園の近くに1ベッドルームのサービスアパートを探すと安くても2万バーツ以上してしまう。いかん。どんどん心が重くなってしまします。だから旅行の準備って嫌。いつも前向きなimasaに軽く励まされて気を持ち直したけど、でもやっぱり滞在費高すぎ。って、私の予算が低すぎるのか。
だれかバンコクの安いアパートをご存知でしたら教えてください。空いている部屋を貸してくれる話とかないかなー。
2005年02月24日
もともと宴会向きじゃない私
たぶん昨年10月頃(ホメオパシー国際セミナーの前くらい)から孤独を感じております。
いや、特に理由は無いんですが(まあ理由が無いってことは無いのでしょうけど、不明)、ふとした時に孤独感を感じるわけです。
自分にも救いようが無い私で、でもまあ、それ自体には本質的に害が無い感じもしています。
先日、知人から「shokoさんて外交的だと思っていたけど、トリュフォーっていうのが以外。」と言われて興味深かったです。
「トリュフォーって内向的でしょう。」と。なるほど。私はゴダール派に見えるとよく言われます。確かに。でもトリュフォーとルイ・マル派で、好きな女優は、サンドリーヌ・ボネールとドミニク・サンダです。
自分のことって本当に笑えるくらい、目の前に見えていることですらわからないものだ!という清々しい気持ちを感じました。それを清々しいと言い切って良いものかどうかはともかくとして。しりあがり寿の「野次喜多道中」の清々しさか。
トリュフォーな私が孤独感を感じているわけですから、ますます宴会向きじゃない私です。自分のことを話すことにも興味ないし、人の話にも興味がない。酷い奴だ。飲み会に出るべきじゃない!
もしかしたら、ただの恥ずかしがり屋なのかもしれませんが、それにしては人の名前と顔を覚えなさ過ぎます。
前述の知人のshoko評は、たぶん社交的な印象らしいのでこんなことを書くともしかしたら驚く人がMさん以外にもいるのかもしれん。だとしたらレスポンスをください。私も驚きたいので。
でも誰かと向かい合って、その人の物語を受け取ることに関しては、この1ヶ月で猛烈に入れ込んでいます。すんごく人の話が聞きたい気持ち。このギャップが自分でも全く意味不明です。
そうして、実は飲み会がすっごく好き。こんな酷いこと書いているけど、誘ってね!
ホメオパシーのモニター募集
ホメオパシーのコンサルテーション・モニターを募集しています。
たぶんこのブログを読んでくださっている方は、shokoの個人的な知り合いであることはきっと間違いなしなので、モニターになっていただくことは出来ませんが、どうぞ対象となるお知り合いがいましたら、ご紹介くださいませ。お願いいたします。
ホメオパシーのコンサルテーションに興味があり、かつボランティア精神に溢れる方を求めています。
ホメオパシーとは?そしてホメオパシーのコンサルテーションとは?と疑問をお持ちの方は、ホメオパシー振興会のサイトでチェックしてみてください。
モニターの内容は、おおよそ1年間、1~3ヶ月に1回、1~2時間のコンサルテーションに参加していただくことです。
コンサルテーション費用は、レメディ代を含めて無料です。(交通費などの諸経費は個人負担となります。)
そのケースには、私の在籍しているハーネマンアカデミーの講師によるスーパーバイズが付きます。(のでご安心ください。)
スーパーバイズの指導の下にレメディを選択させていただきますので、実際のコンサルテーションからレメディをお渡しするまで時間がかかります。
提出したケース分析レポートが再提出になったりすることを考えると、レメディをお渡しするまでに1ヵ月位かかる可能性もあります。
レメディをお渡しした後、通常、次にお会いするのは1ヶ月くらい後ですが、必要があれば、それ以前に次のコンサルテーションをする場合もあります。
私の求める条件は下記の通りです。
ホメオパシーに興味を持っていて、継続的なコンサルテーションに積極的かつ協力的であること。
1~2ヶ月に1回の割合で、2時間程度のお話が吉祥寺近辺で出来ること。
(基本的にお会いする時間帯は、平日の午前9時半~午後1時ですが、お互いの予定が合えば他の時間帯でも可能です。)
shokoの直接の知り合いでないこと。
現在抱えている症状が重症でないこと。
処方された薬を継続的に摂っていないこと。
できれば独身女性が希望ですが、そうでなくても可能です。
(ゆっくりお話を伺うために、コンサルテーションには、お一人で来ていただく必要があります。)
10名ほどの募集をしたいと思っています。
ご希望の方は、どうぞshokoまで、メールにてご連絡くださいませ。
お知り合いの紹介を含めて!ご連絡をお待ちしています。
2005年02月23日
歯医者
昨年の9月から10年以上ぶりに歯科に通っています。この話は、簡単に済ませなくないので、どこかでじっくり書こう。なんといっても昨年の9月から通っているのに、やっと2月から治療が始まったのだから。
そして始まったとはいえ、今は下準備的な進行中。週に1~2回のペースでガンガンに行ってます。
実にホメオパシックは歯科で感動すること多しなのですが、いざ治療が始まるとそれはやはり歯科治療なわけで、それなりに過剰な刺激です。
昨日に引き続き、今日も9時半に行って終わったのが2時過ぎ。治療中に首を温シップしてもらいました。
かつての暴力的な刺激、局所的な治療から自らを取り戻すために、新たな過剰な刺激が必要なのでしょうか。それともこれも代償行為なのでしょうか?そのままではいられなくて、こうせざるをえないような状態。自らを傷つけざるをえないような状態。
そんな時、私のバイタルフォースはどうなっているのでしょうね。ちょっと弱っているのは感じます。すごく、体が重いので。治癒へ向けての一時的な退行と呼べるのでしょうか。
治療が終わって精算後に、次の治療で必要な費用を教えてもらった。結構まとまった金額で現金で持ってくるのだろうか?と思ったけど、どうやらそうらしい。
帰りに銀行に寄って家賃分の振替をしたときに、タイへ行く分しかお金が無いことに気付いて小さなショックを受ける。次に歯医者に持っていくお金をどうしたらよいのだ?タイに行く分しかお金が無いよ~。
なんかその瞬間に、うわ~んと泣きたくなった。「え~ん」とか「うわ~ん」とかいう感じで。涙は出ないんだけどね、その場合は。まー、いいや。何とかなるだろう。
過剰な刺激は、簡単に私を通り過ぎて行ってくれないみたいで(じゃなくてその刺激に私がしがみついているんです。貧乏性なもんで。)クレニオをして欲しい~~状態になります。仕方が無いので、自分で耳を引っ張ったり、仙骨に手を当てたりしましたが、今ひとつ。
久しぶりにホメオパシーのレメディを飲みました。Hypericum。arnicaと迷ったけど、麻酔が残っている感じで、頭がぼや~んと膨らんでいるようだったんですよね。だからHypericumにしてみました。眠くなりました。首にタオルを巻いて、イオと昼寝。
2005年02月18日
WELEDAのセミナー
夜、Weledaのセミナーに参加してきました。このスタディグループのセミナーに参加するのは初めてなのですが、なぜだか知った顔が多かったです。実際の知人も数人居ましたが、謎なのは、どこであったのか、いや会ったことがあるのかどうかもわからないけど、この顔を私は知っている・・・、と思える人が幾人も居たこと。なぜだろう。
今日は時間も短く、内容も概論的な話だったので、感動して何か書きたいことがあるというわけではないのですが、印象的だったのは、医者の世界を垣間見た、と感じた自分が居たことです。まるで家政婦は見た的に、見てきました。そしてはっきりと自分がその世界とは全く無縁なのだと思い知りました。それってちょっと演劇界における梨園のような感じ?え?全然違う?どっちの世界も良く分かっていない私です。
病んだ生命と共に歩むことを学んでいる私ですが、話を聞きながら、またもや「私って死亡診断書は、書けないんだよなー。」とぼんやり思ってしまいました。最後まで面倒見れないんじゃん、ワシって。とほほっていう思いです。が、すぐに「それは私の仕事じゃないから」と思い直す私がいました。良かった。かどうかはわかりませんが。医者になるには歳をとりすぎているからもう遅い、ということで医学校へ行かないと思っているわけではないです。
確かに時々、医師免許があればなー、とかせめて鍼灸師の免許があればな~、とか軽薄にも、そして不謹慎にも、ふと思うことがありますが、と同時に実に確信的に、もう太ゴシ50point位に「それは私の仕事じゃない」とものすごい勢いで畳み掛ける自分がいるのです。何でそんなに確信的に断言できるのか、自分でも良く分かっていないんですが。きっと魂の叫びなんでしょう。私が間違った方向へ行かないように、私の歪んだ自我をかき分けて叫んでくれているに違いありません。ありがたいことです。
常に、今の私に出来ないことは出来ないし、でも出来ることが出来る。
あーなんか。今いきなり、これからも益々地味な人生を送る自分を感じた。せめて家族を、いろんな意味において養っていかれる自分になりたいのですが。
タイへ行くのは、どうなのか。
毎日いろんなことが起ったり、いろんな馬鹿ネタを思ったりしているので、それを書いていきたいけど、遅筆なので困っています。
簡単なメールを打つだけで、驚くほど時間がかかってしまうのだ。永遠の中に一瞬が!と思う瞬間です。ひとり浦島太郎。
2月10日「シミリマム」にコメントをつけました。またつい煩いくらいに熱くなってしまった。しかも結構、意味不明。頭が悪いって迷惑なことが多くありますね。すみません。「偏見無き暖かな気持ち」で見守ってやってください。
昨日は暖かかったのに、今日はまた寒い。あ~、早くタイへ行きたい!
確かに春休み中に東京に居れば、ホメオパシープロジェクト2回、ひもろぎ庵のセルフヒーラー養成塾2回、王さんのオープンスクール3日間に出席できる。
ホメオパシーの宿題をするにしても、資料も家に多いし、ネット環境も整っている。
でもさー。本質的な時間の流れとか、自分自身の中心軸のあり方とか、言葉に出来ないけど、非常に重要な「立ち居地」みたいなものの「これ!」が、今は欲しいというか。まー、タイへ行けたとしても1ヶ月くらいで、自分が落ち着くほどの長さは無いんですが。
タイ行きのチケットが、意外に高くてがっくり来てます。エアインディアだと、授業を一日休まなくちゃいけなくなるし。
2005年02月16日
寒くて悲しかった
寒い寒い霙の降る一日。
歩いてはらっぱ園まで送ったところで、お誕生会用の花を忘れたことに気がつく。そんなのどうでもいいじゃないか。と思うわけだけれど、はらっぱ園+イオにとってはそうではなく、取りに戻らされる。
非常に悲しかった。寒いのが嫌いだし。ただでさえ少ない個人活動時間を奪われるのが辛すぎる。
花を取りに戻る道々、そんな感情に曝されていたわけだが、そんな時にはマリア保育園が恋しくなるのだった(涙)。そして全寮制のフリースクールに思いをはせるのだった(涙)。
は~。感情は所詮、私の中を通り過ぎていくだけのもの。こんなに辛くても悲しくても、やがて流れていくことでしょう。まだまだ未熟者な私は、一時的な感情に自分を支配されていますがね(苦笑)。
支配されて悲しみながらも、ちぇ、感情が吹き荒れちゃってもう。なんて思う私。これを成長と呼ぶのか、two willと呼ぶのかわかりませんが、立ち直りが早くなったことは確かです。
霙降る中を、フードを押えながら自転車に乗って、花を持っていきましたよ。少しでも時間を稼ぐために寒さを犠牲にした、私なりの解決策です。あ、こんな風に書くとすごく低レベルな感じが…(^^;
かーちゃんにとって、娘の幸せは優先されるべきものであるはず。そしてイオの幸せと安心のために花が必要であれば、それはもう単なる「花」の問題ではない。娘の幸せの象徴として、大事に扱われるべきものです。
彼女にとって、今一番大切なのは、この日常の安心感と満足感。残念ながら私にとっては、同じように大事なものと認識されにくいところに問題があるんですが。
やっぱり私って家族を捨てがちだよなー。べつにHさんのように悟りを開きたいわけじゃないんだけど。う~む。開きたいのだろうか、無意識的には。開きたい方向性ではあるよなあ。ベクトル的に。
家族を捨てないということが、今生の学びなんでしょうか。なんて悩んでいるうちに私が家族から捨てられたりしてね。そんなステイトにあるから、ここ数ヶ月、孤独感をふと感じたりするのだろうか。
は~。一人ですんごいディープな処へ行ってしまっている気がする。好きで来ているわけだが。
imasa(私の連れ)は、100年とか1000年とかのスパンで物事を見ている非常に素晴らしい人なのですが、私もそうでありたいものです。と同時に、一瞬一瞬を完全に生ききることの出来る密度が欲しいところです。それって結局、同じことだと思うのですが。一瞬の中に永遠が、永遠の中に一瞬が、確かにある。
2005年02月13日
3年目最後のホメオパシー授業
この週末は、ホメオパシーの授業で2日間を過ごした。
森有正氏の「経験と体験」の話。生徒たちがケーステイキングの中で抱えている疑問や問題点などの洗い出し。
マヤズムと2回目の処方についての解説。授業で繰り返し、様々な方向からこのことを語ってもらっているが、いつも発見がある。そしてケースを2つ。
うちひとつはケース分析が宿題になった。
もうひとつはAdam(ダイヤモンドのレメディ)のケース。豪華絢爛な印象のAdam.のケースしか知らなかったので、今回のケースは、私の中である種の落ち着きを見せた。そういうshiny・sparkleだね~と納得して。難しいね。物語の中心を見出すための「あれ?」と感じることの難しさ。というかセンスの良さ、というかアンテナ磨き、というか結局、人間力ってことか。ふふん。
以前、クラスで永松先生がやってくれた疑問や問題点の洗い出しのときに、私が具体的にこまごま抱えている問題や不安を話して、こんな私なんだけど、こんな私の認識からしか出発できないし、出発すること自体が、もうこんな私の場所に居られなくなっているということでもあり、そしてこんな私に出来ることしか出来ない。出来ることが出来る。という非常に感じる絶望と共にこれ以上ない位の希望がそこにはある。
ただ淡々とその事実が私の前に横たわっているわけだ。あれ?森有正に戻ってきたよ。
2005年02月12日
ハーネマンでの個人面談
もうすこし気楽に馬鹿日常を書いていこう。なんだかウェブログ上でケースモニターを募集しようとか考えると、もっと深い話を書いていかなくちゃいけないような気がして、プレッシャ~。まーいいや、地味に書いていこう。そうして、いろんな人に出会えたら良いなと思う。
土曜日、ハーネマンの授業後に個人面接があった。
今後の展望やら出していない宿題に関しての突込みやら、まったく人生上、善き生徒であったためしの無い私にとっては凍結するしかないような時間。
それが以外にも自分をびっくりさせるような発言をさせる時間になった。
いざトップバッターとして面接に望むと、先生方を前にして、なぜだか(本当になぜだか)、私にとっては悦びが自然に沸き上がって来るような場になった。先生たちは引いていたかもしれないけど(苦笑)。
「限りなく開くことだけが最善の選択である」というのがここでの私の学びであり、それが今の私自身の大きな柱となっていること、まだまだ借り物の巨柱にしがみついているだけだけど、でもそれが無い自分なんてもはや考えられないくらい大きな存在だということが急に湧き上がってきて、それを本当に満足+感謝しているというようなことを話した。
どんどんケースを取り始めているクラスメイトたちと比べると、今頃similimumに感動していたり、やっとケースを取ることが自分の中に認識できるようになったりしているレベルの私は2周遅れで追いつかれているようなものだが、でも自分的には新たな扉がやっと開いてすんごく嬉しい。
いろんなことが私の中に湧き上がってくるわけだけど、いくつか謎の湧き上がりもある。
SMCオーディションも私の中に参加の考えは全然無いものだったけど、土曜日午前中のUさんのaconiteを聞いていたら、なんだか楽しそうで自分もやりたくなってきた。しかも浮かび上がるのはなぜかars.本当になぜだか疑問。もう少しこのことは考えてみよう。
もうひとつは、春休みにタイへマッサージのブラッシュアップに行こうと思っているのだけれど、そこで今まで溜めていた宿題をやろうなんて思ってしまったこと。自分でも信じられない。旅行にたくさんの資料や本を持って行かなくてはいけなくなるし、それだったら東京に居たほうがいいくらいなのに。しかも宿題のことを面接で突っ込まれたときに、ついその話をしてしまった。みゅ~。馬鹿な私。
幸和先生から「welcome back to homeopathyと12月に言ったでしょう。本当に良かった。」と言われて「ホメオパシーだけじゃなくて昨年は、よく生き残った!と今は思えるような1年だった」と言ったら永松先生に「近いうちに、ゆっくりお話しましょう」と言われた。
ちょうど私も個人セッションの必要を急に感じていたところ。湧き上がってくる疑問や問題が全て、根源的なことのように感じ始めていたから。
最後のセッションは昨年の2月。ちょうどAdamが来ていた時でした。でも何を話したか、よく覚えていない。「私はどこへ行くのでしょうね?」という話だったか。
昔の指揮者のDVDを鑑賞して感動したのは覚えているけど。先月の授業でまたそれを皆で鑑賞して、あらためて深い感動があった。
2005年02月10日
シミリマム
ホメオパシーは「似たものが、似たものを癒す」という大原則に基づいて体系立てられている癒しの技です。
「似たものが似たものを癒す」という状況は、かならずしもホメオパシーの世界だけのことではありません。
その考え方自体は、ヒポクラテスも書き残しているし、多くの伝統医療や民間療法の中にも見出すことができます。
たとえばある種の心理療法は、似た状況を仮に作り出すことで、その人の似た状況(たとえばトラウマと呼ばれるようなもの)を癒すということをしているし、同じような経験や苦しみを抱いている人たちが集ってお互いを癒しあう会があることも、同様の法則を期待するものでしょう。良き友人のアドバイスなんかもその効果を発揮することがあるでしょう。迎え酒なんかはどうでしょうか?これは類似じゃなくて同種の療法か。トートパシーと呼ばれるものですね。
ホメオパスがする作業は、その人に一番似ているもの(レメディ)を探すことです。ホメオパシー用語ではシミリマムと呼ばれています。similimum。その人に最も近しいレメディであるので、その人がどんな病気や怪我、状況に陥っても、それがその人のシミリマムレメディである限り、最も効果的に治癒へ作用するレメディとなります。
たとえばその人のシミリマムレメディがCalc-c30Cだった場合は、風邪を引いても、怪我をしても、ペットが死んで寝込んでも、新しい仕事になじめなくて出社拒否症になっても、Calc-c30Cで治癒するのです。日本語では根本体質レメディなどと呼ばれていて、とにかくそのレメディさえ見つかれば、なにがあってもそれでOKですから、皆知りたいわけです。ホメオパスに会いに行って、根本体質レメディを教えてもらおうと思うわけです。ただし、そこに「ホメオパシーの唯一の欠点は、難しいこと」と言われているゆえんがあります。
まずその人に最も近いレメディを見つけるためには、その人がどのような人なのかを正確に知る必要があります。
生命は、彫刻のようにそこに固まっているものではありません。一見、固体のように見える私たちは、一瞬ごとにダイナミックに揺れ動き、一時たりとも同じことがありません。そんな風にダイナミックな私たちを、同じようにダイナミックに揺れ動いている生命であるホメオパスが見極める作業です。その人が生きてきた歴史や、その人が生きている環境を含めて、どのような命なのか?を正確に見極める作業は、神ではない凡夫である私たちにとって、どんなに難しいことかすぐにお分かりだと思います。
そして仮にその人がどのような人か見極められたとして、次にその人に一番似ているレメディ探しが始まります。
現在、作られているレメディはおよそ3700位です。レメディは今も次々にプルービングされていますし、ホメオパシーファーマシーはノンプルービングのレメディも販売しています。例えばある種の化学合成薬やワクチンなどから作ったレメディがトートパシー的に使われています。プルービングはされていないので、ホメオパシーのレメディとしてのMM(マテリアメディカ)はありません。
その3000以上あるレメディの中からシミリマムレメディを選べたとして、次にはどのポーテンシーであるのかを知る必要があります。同じレメディであってもポーテンシーが違うとまるで違うレメディのようだと、ホメオパシーの世界では一般的に言われています。
その人のシミリマムがその3000種の中にあれば、まだラッキーです。この世にはレメディになっていない物の方が多いのです。月の光やX線のレメディもすでにあるくらいですから、この宇宙のすべてがレメディ足りえます。その人のシミリマムレメディは、まだレメディになっていない可能性もあります。すでにレメディになっているものであっても、そのarnicaから作ったんじゃなくて、隣のarnicaから作られる必要があったかもしれません。その無限さは、考えればきりが無いくらいです。
そういうわけで私はシミリマムレメディという言葉にある種の絶望感を感じていました。
けれど、希望もあります。レメディがたった3000種しかなくても、ホメオパシー療法は200年以上その効果を認められて生き残っているうえに、現代にまた期待を持って注目されているのです。天才的なホメオパスでなくても、世界中の多くのホメオパスがクライアントの多くを治癒に導いているのです。その事実が非常に大きな希望です。
たったひとつのシミリマムレメディが見つからなくても、その人は癒される。
そんな風にこの間まで思っていましたが、今年に入って、ふと思ったわけです。
シミリマムはシミリマムであって、唯一ではないのだと。
ある点の周りには、無限の点を打つことができます。
そしてダイナミックな存在である私たちには、無限のシミリマムが存在するのです。求められているのはよりその人に近づいていくことで、その人そのものではありません。その人と同じでは、その人に変革をもたらすことはできないのですから。だからこそ最も似ていて、でも同じでないものが求められているのです。より似ていて、同じではない範囲に存在するものは、たった一つであるはずがありません。
ホメオパシーを学び始めた4年前に、選ばれるレメディに正解は無いのだということを習っています。シミリマムはシミリマムであって同一ではないのだと言うことも習っています。だから今更こんな、すんごく初歩的な発言をしている自分を、自分でも呆れてしまいます。
でも私にとっては、なんだか、すごく「そうか!」と新しい扉が開いたようなことなんですよ。自分だけで喜んでるけど。
今ふと思いついた例ですが、例えばマドンナのそっくりさん大会があって1000人のそっくりさんが集まったとします。皆とても似ています。本当にそっくりです。ある人は歌う姿がそっくり、ある人は立ち振る舞いがそっくりと様々に特徴があることでしょう。審査員の中でも意見が分かれます。ある審査員にとってはAさんが、ある審査員にとってはBさんが一番マドンナに似ているように思える。だいたい、マドンナがどんな人物であるかと言う認識が審査員の中で違っているでしょう。ある審査員にとってのマドンナは性的な魅力に溢れたアイドルかもしれないし、ある審査員にとっては、芸術的なセンスに溢れキャリアを磨きぬいたワーキングマザーかもしれない。で、審査の結果、誰かが優勝するわけですが、その誰かを決めるまでに審査員たちは喧々諤々の話し合いをすることでしょう。審査に残る最後の10人くらいなんかは、誰が優勝しても納得と言うレベルかもしれません。
シミリマムのレメディってそんな感じで見出されるんじゃないかと思うわけです。
もう無限に「まるでその人みたいなレメディ」はあって、だからこそたった3000くらいしかレメディ化されていなくても、その中に充分シミリマムは存在するでしょう。本当に才能のあるホメオパスであれば30種のレメディだけでも、凡人ホメオパスが3000種から選ぶシミリマムよりも近いレメディを見出したりするんじゃないかと思います。
以前、スイスの山奥の村々を巡回している老医師ホメオパスの話を聞いたことがあります。巡回ホメオパスですから数多くのレメディを持ち歩くことはできません。途中でレメディの補充もできませんから、かれは10数種のレメディだけで治癒に導いていたそうです。
ホメオパシーってなんとアートに溢れた療法なのでしょう。
2005年02月09日
バッチフラワー茶話会つれづれ
バッチフラワー茶話会を始めて3年ほどたちました。
最初、私が思い描いていた茶話会の図は、まさしく1日オープンのeasy come easy goの茶話会でそこにフラワーレメディのキットがあって、作りたい人が毎月来て、いつでも自分のボトルを作れると言うもの。ボトルを作りに来て、ホメオパシーやフラワーレメディやら、いろいろなおしゃべりが出来たら良いだろうなあと思っていた。私はクレニオをしたりして。
始めて数ヶ月で、バッチフラワーとは?と言う話をいちいちするのが大変で、まとめてやることになった。で、そうしたら、もうその話を必要ない人は必要ないわけで、だから午前中にバッチフラワーとは?と言う話をして、午後はしない、という風にした。
同時にセッションを必要としている人たちのためにひもろぎ庵を招いてミニセッションをしてもらって、もう少し深くフラワーレメディを学びたい人たちのために夜の連続セミナーもお願いした。
初めの2年間は、皆で話をシェアしながらボトル作りをしていたけれど、ざっくばらんな茶話会というよりもここ1年は、各個人のミニセッション的な流れになっている。きっと私がそのような場を作っているのでしょう。
はらっぱ園でのフェアや子ぶたカフェや個人的な依頼でのセッションが昨年は意外に多く、非常に深い病理の方に出会ったりすることも多く、このような状況は全て自分が呼んでいるのはわかるけれども、家庭人としての私がびびったりして、自分の抱えるディリュージョンを様々に感じる1年でした。
いろいろともがいてみましたが、っていうか今でも模索中なんですが、基本的にはなるようになるというか、その場でできる最大限のことをしようと思っています。常に。
流れとしては、今まではあえて一期一会だったんですが、今はもう少し長いスパンでのコンサルテーションをしたい気持です。
ちょうどホメオパシーでもケースを取らなくてはいけないので、今年はそのような1年にしたいと思います。ホメオパシーとフラワーレメディで10ケースずつ位とりたいです。ボランティア精神に飛んだ未知の協力者を広く求めています。
夜中の酷い咳
夕べ、夜中に急に隣の部屋から狼の鳴き声のような音がして、なんだろ~?と思っていたら、実はイオの咳でした。びっくりです。最初は、外で狼が鳴いていると思っちゃいましたよ。なんで狼がいるのかな?とか。
本人もショックだったのか寝ぼけていたのか、錯乱していて、悲鳴をあげて泣くばかり。抱き寄せても、よほど痛みが強いのか、わーわー我を失って泣いていて、疳積を起こしています。
慌てて、レスキューを飲ませて、カモミラを1粒飲ませて、暖かな部屋のソファに寝かしました。
相変わらずベウッベウッと狼が鳴くような咳をして、のどが痛いとひーひー泣くので、生姜湯にレスキューと(少し迷いましたが)ドロセラを溶かして、少しずつスプーンで飲ませました。
疳積は収まりましたが、息がちゃんと出来ていなくて、苦しそうに泣いています。クレニオセイクラルのワークをしたら、咳が落ち着き、ふーっと息をしだしたので一安心。何が効いたのかわかりませんが、とにかく良かったです。
しばらくしたら、冷えていた手足に熱が戻り、微熱が出てきたので、そこでもう大丈夫という感じがしました。
クレニオをしていると、落ち着く感じだったので、体のあちこちをワークしつつ、朝を迎えました。
またもや救急車ものの激しい症状を体験してしまいました。はー。びびったっす。イオはきっと生命力に溢れている分、症状が出るときは非常に激しく出ることが多いのです。本当にエマージェンシーという感じで、見たことも無いような状態になってしまいます。
翌朝は、普通の咳と微熱。そういえば咳風邪に罹るのは、生まれて初めてかもしれません。いつもは激しい一晩の高熱、という感じですが、今回は咳で体力を使っているためか、その後は、微熱でやんわり進んでいました。
そんなこともあるのでしょうかね。
クレニオセイクラル(頭蓋仙骨療法とも呼ばれています)、非常に役に立ちました。家庭で使うのに簡単なワークもあって、いろいろな場面で使えるので、知っておくと便利だと思います。クレニオも含めて簡単なセルフケアのクラスとかがあったら良いのになあ。あ、快医学の一日セミナーは、ちょっとそんな感じだけど。んーでもちょっと違うか。悪くないと思うけど。
2005年02月08日
バッチフラワーミニセッション@マザリングフェスタ
自然育児友の会と言うNPO法人が主催して毎年行われるフェスティバルが、今年も3月18(金)・19(土)に行われます。
今までは日本ホメオパシー振興会のブースやひもろぎ庵のお手伝いとして参加していましたが、今年はフラワーレメディ研究会のメンバーとして参加します。
マザリングフェスタへ参加するためには、入場券を事前に申し込んで購入する必要があります。
マザリングフェスタへの参加申し込み方法
http://www.shizen-ikuji.org/MF2005/mfyoyaku0318am.htm
左メニューから「入場するには」のご希望時間帯をクリックして、お申し込みください。
入金を持って正式な受付となるそうですから、ご注意ください。
1)入場券 会員および同居家族 おとな1人 500円
一般 おとな1人 800円
子ども(高校生以下)は無料
フラワーレメディ研究会では、2日間バッチフラワーの調合ボトルを作るミニセッションを行います。
個人のミニセッションは2,000円、親子セッションは3,500円で、両日とも4名のプラクティショナーがセッションに参加する予定です。当日の混乱を避けるために、事前予約制になっています。
セッションは、http://www.ewaf.net/RFR/MF2005/index.htm にあるお申し込みフォームからご予約ください。
2005年02月07日
プロフィール
東京渋谷区下町育ち
芝居と音楽と自然療法好きの母の元に育つ。よく言えば教育熱心な母。シュタイナーにはまる。
美術大学で映画を専攻。映画制作と記号学とトリュフォーの研究。音楽・アートの世界に首を突っ込み、8mmカメラを抱えてロンドン+ベルリンを歩く。
TV局のドラマ部でバイト。後に劇場中継班専属となる。
予期せずして、小劇団の制作となる。黒豚のとんかつが美味しかったのと、ハマちゃんにあまりに可愛いくお願いされたから。
好奇心と好奇心によって舞台衣裳の仕事を始める。
香港映画の美術の仕事を経験。1ヶ月の別府ロケは、すんごい無謀な経験だった。けど意味ある経験だった。無邪気な体育会系の日々。Gに出会えた。
2時間ドラマの衣裳の仕事を経験。好奇心によって手を出してしまった。でも2時間の女王の仕事をやって気が済んだ。
また香港映画の衣裳の仕事を経験。いろんな学びを得た。ロケ弁当は食べ続けたくないとか、一般人の友達と会ったりもしたいとか、そういう重要なこと。
衣裳の仕事をして、合間に海外に出かける日々を送る。生牡蠣と地ビールを求めてふらふら旅をする。1年中、バレエ・オペラ・芝居の日々。人間観察には事欠かない、実に興味深い人々ばかりの仕事場、にしてプライベート。
大学時代の同級生と同居6年目にして、妊娠。人生最大、自分の体をエンジョイできた妊婦生活。妊娠7ヶ月目でも旅公演の搬出で洗濯機を持てたくらい好調。
野口整体にどっぷりとはまる。わりに本質的な学びが無く、エンジョイしすぎた馬鹿妊婦だったために子供を逆子にする。妊娠8ヶ月でタイの寝台車には乗らないほうがいいよ。
緊急手術の可能性があるため、出産直前に入籍。
野性に還った妊娠出産体験で私の中の何かが芽吹き、まるで別の人間になってしまったみたいになった。
パスポート更新のために除籍。っていうの?脱籍?
生後8ヶ月の娘と共にシンガポール-マレーシア-シンガポール-バンクーバー旅行。得るものが多かった長旅の経験に気を良くして、その後も家族であちこちに旅行する。ジャマイカとかイギリスとか。
産後、ホメオパシーを学び始める。最初は独学で、あちこちのセミナーに出かけたりして。次にハーネマンアカデミーに通って。
フラワーレメディも独学で学び始める。家庭で使うクレニオセイクラルを藤巻さんに学ぶ。快医学の講座へ出かける。
2001年冬、タイに子連れで留学。タイマッサージを学ぶ。帰国後、ネットでモニターを募集し、マッサージ三昧な日々を送る。
2002年春、ご縁があってハーネマンアカデミーのディプロマコースに入学。
同年に、ずっと気になっていたクレニオセイクラルを本格的に学び始める。
友人助産婦の活動に賛同し、乳幼児からの性教育講座を主催。性教育をライフワークと感じる。
その後も様々な講座をほぼ毎月、企画運営する。
2002年よりホメオパシー茶話会、バッチフラワー茶話会を立ち上げる。
2002年秋、シュタイナー教育と自然育児に共感する親たちによる自主運営幼稚園の立ち上げに参加する。
2003年春にはらっぱ園として幼稚園が始まる。
2002年冬、ホメオパシープロジェクトに参加。
2004年春、バッチフラワーを本格的に学ぶ勉強会を主催。
3度目のリフレクソロジーを学ぶ。
現在は、はらっぱ園(三鷹台)・サンバハウス(北浦和)・子ぶたカフェ(東中野)にて毎月、フラワーレメディ茶話会+ミニセッションを行うと同時に、いくつかの勉強会の運営スタッフ。
- プッサパータイマッサージ専門学校にてタイマッサージプロフェッショナルコース、サムンプライ、リフレクソロジー履修。
- 天籟にてクレニオセイクラルワーク、レベル2履修。
- ラファエルヒーリングセンターにてリフレクソロジー履修。
- ハーネマンアカデミー オブ ホメオパシーにてディプロマコース履修中。