寒くて悲しかった
2005年02月16日
寒い寒い霙の降る一日。
歩いてはらっぱ園まで送ったところで、お誕生会用の花を忘れたことに気がつく。そんなのどうでもいいじゃないか。と思うわけだけれど、はらっぱ園+イオにとってはそうではなく、取りに戻らされる。
非常に悲しかった。寒いのが嫌いだし。ただでさえ少ない個人活動時間を奪われるのが辛すぎる。
花を取りに戻る道々、そんな感情に曝されていたわけだが、そんな時にはマリア保育園が恋しくなるのだった(涙)。そして全寮制のフリースクールに思いをはせるのだった(涙)。
§
は~。感情は所詮、私の中を通り過ぎていくだけのもの。こんなに辛くても悲しくても、やがて流れていくことでしょう。まだまだ未熟者な私は、一時的な感情に自分を支配されていますがね(苦笑)。
支配されて悲しみながらも、ちぇ、感情が吹き荒れちゃってもう。なんて思う私。これを成長と呼ぶのか、two willと呼ぶのかわかりませんが、立ち直りが早くなったことは確かです。
霙降る中を、フードを押えながら自転車に乗って、花を持っていきましたよ。少しでも時間を稼ぐために寒さを犠牲にした、私なりの解決策です。あ、こんな風に書くとすごく低レベルな感じが…(^^;
かーちゃんにとって、娘の幸せは優先されるべきものであるはず。そしてイオの幸せと安心のために花が必要であれば、それはもう単なる「花」の問題ではない。娘の幸せの象徴として、大事に扱われるべきものです。
彼女にとって、今一番大切なのは、この日常の安心感と満足感。残念ながら私にとっては、同じように大事なものと認識されにくいところに問題があるんですが。
やっぱり私って家族を捨てがちだよなー。べつにHさんのように悟りを開きたいわけじゃないんだけど。う~む。開きたいのだろうか、無意識的には。開きたい方向性ではあるよなあ。ベクトル的に。
家族を捨てないということが、今生の学びなんでしょうか。なんて悩んでいるうちに私が家族から捨てられたりしてね。そんなステイトにあるから、ここ数ヶ月、孤独感をふと感じたりするのだろうか。
は~。一人ですんごいディープな処へ行ってしまっている気がする。好きで来ているわけだが。
imasa(私の連れ)は、100年とか1000年とかのスパンで物事を見ている非常に素晴らしい人なのですが、私もそうでありたいものです。と同時に、一瞬一瞬を完全に生ききることの出来る密度が欲しいところです。それって結局、同じことだと思うのですが。一瞬の中に永遠が、永遠の中に一瞬が、確かにある。
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コメント
Lychee7414 2005年02月18日 02:28
monosugoku kyoukan dekimasu
toiuka shoko-san ga sonnahuunikanjiteirutoha.
mottto ikujini tekisei aru hitobitono nakamadato
omottte imashita.
mojibakesurutame nazeka ro-majidesu.
kazokusute,sorehamasani
watashinokotodehanaikato.
shoko 2005年02月18日 09:48
ライチさん、レスをありがとうございます。
ええ~、そんな風に思われていたなんて、私ってやっぱ二重キャラかしら。
ひろこさんのクラスでも褒めあいワークで「しっかりしてみえる」とか「頭よさそう」とか褒められて、後日ひろこさんに「抜けてるんだよねー。そうは見えなかった」と言われましたっけ。
子供苦手、全寮制の学校発言は、ずいぶんあちこちで話しているつもりなんだけど、そう見えないって、お徳ってこと?え?褒められてない?
そうだね。ライチさんも一度家族を捨てていることになりますか。生き延びるためには、そこにはもう居られないという意味に於の家族捨てですね。そして家族の再構築中な現在、最初の出来事はある種のカタルシスと言えるのでわ。そこに新たな家族がより素晴らしい形で、しかも元の家族を包括して再構築がなされるわけですから。
私の家族捨ては、ある種の暴走ですね。
前述のHさんは、家族を捨てるのはありという意見で、まー私もそれには納得しています。お釈迦様、バッチ博士路線ですね。でもHさんには家族を捨てて欲しくないけど。ありえないんですかね。家族という煩悩を抱えたまま、矛盾や苦悩なく、ある種の悟りの淵に立つのは。
文字化け、申し訳ないです。imasaに聞いて見ます。
Macだと文字化けするのかなー。なじぇ?
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