2005年08月12日
ヒトが今、生きていること
昨日、ほぼ2週間ぶりにケーススタディのコンサルテーションを行いました。午前と午後に2組の方にお会いしまして非常に良い時間と場の共有をさせていただきました。
お話を伺いながら、合宿をはさんで自分が思いのほか変化していることに気がつきました。非常に今、グニャグニャに柔らかい状態です。明らかに変容している。たぶん目に見える変化じゃないのだと思います。その柔らかさは、繊細になっているとかそういう類のものではありません。青虫がいったんさなぎの中で溶けてしまうような感じですかね。印象としては。まあ、そのことについては私以外のヒトは放っておいてくれてOKみたいな状態です。
imasaの日記を読んでいて、ヒトのあり方について少し考えています。
ヒトがこの地球にどのように生きるのか。長い歴史の中で個人がどのように自分の使命を全うするのか。私なりにこの8日間で学んできましたが、未だ考察中です。
「人間が生物進化の失敗例だ」として、間違うことが出来るのがヒトだしそれを成長の糧にして成長するのがヒトです。
地球の歴史が46億年位だとして、人類が生まれたのが300万年前くらい、ホモサピエンスになって3万年ほどの歴史があるといわれています。急激に人口が増えだしたのが、この200年余りです。星としての地球の寿命は100億年程と言われているので、この星に生きる生物としては地球の寿命の真ん中あたりに生きていることになりますね。
恐竜のようにその種の命を鳥や爬虫類などに大きく形を変えてつなぐものがいるように、ヒトの今後は種の絶滅を含めて計り知れない可能性があります。因みに恐竜の歴史はおよそ1億5千万年間位だと言われています。そう考えると人類の歴史3万年て誤差の範囲に入ってしまうくらい短いのですね。
ヒトが存在してからの歴史を振り返ってみると2000年くらいの周期でヒトの社会は動いているそうです。そうやって見ると今はちょうど新しい周期に入るところです。新しい周期への変化の時期というのがもちろんあって、それはおよそ400年ほどだそうです。今は変化の時期を250年ほど過ぎたあたりで、あと150年ほど変化の時期を過ごすことになります。そのような時代に私たちは生きているわけです。
1. 子供を守る・育てる
2. 食べるために働く
それは私にとっては
1. 次世代を育むこと
2. 生きるために活動すること
としたほうがしっくり来ます。そこにヒトのごまかしがあるとimasaはいうのかもしれません。(ちょっと関係のない話ですが、ここ数年間不食のヒトって150人くらいいるそうですね。私はもっといるんじゃないかと思っていますが。)
「生き物として病んでいる」状態の私たちが今後、どうなって行くのか。まず病んでいる状態を充分に生きてからじゃないと変化できません。私自身、今この時代に生きているさまざまな教育の弊害を自分に感じていて、そこからより善き自分のあり方を自分のうちに見出し直す作業をしているところです。その過程でより多くの間違いを冒すのかもしれません。
長い歴史の中でたった100年あまりの私の時間をどのように過ごすのか。どのようにこの世、この時代に貢献できるのか。どのように私が生き生きと毎日を過ごせるのか。かなり遠回りしていますが、その時間を入れてもそれが私にとっての必要最小限の時間だったとしか今の私は理解できません。
「希望を持って自覚的にひとつずつ「正しい選択」を重ねていくこと」が「今の自分」を出発点にしなければ、新たな抑圧を生むことになります。それを無視してショートカットはできません。
今が変化の400年中であることを考えると、もうすでに目覚めてとっくに次の時代を生きている人もいるでしょうし、過去の2000年の価値観の中で人生を終える人もいるでしょう。それぞれのヒトがこの時代を自分の役割を持って生きることしかできません。その役割や生きている時代に自覚的になれることが望ましいのはもちろんです。
地球がヒトを生み出し、存在が続いていること。それはその必然に於です。現代のヒトのあり方も、それしかない状態として、そうあるのでしょう。それを自覚して、なぜ今、皆が癒されたいのかということを日常の中に見出したいと思います。そしてなぜ私がこの道を歩んでいるのか、自分の役割を実感したいと思います。私になされた刷り込みが、私を生物としてその本質(imasaのいう1・2であるのかもしれません)を生き生きと生きさせないのだと気がついて、今、その軌道修正中なのです。私もまた人類の長い歴史の極小さな、けれどもこの世に存在する以上、なくてはならないヒトコマですから。
imasaにしたらヒトの日記をネタにぜんぜん関係ないこと書かないで!って感じでしょうか。彼の文章を触媒にして私の中に生まれたあれこれでした。
2005年08月10日
疲労中
思いのほかトレーニング中に使い切った(いろんな意味で)ためか、それとも東京の暑さのためか、一人でいられないストレスのためか、体が重~く眠いです。でもお昼寝さえ許されない過酷な日常におります。昨日は三角でちょっと寝ちゃいました。夜は寝てるんですけどねー。この重苦しー状態から、どのように抜け出たらよいのか、まったく見えていませんが、そのうち慣れるのでしょう。
いおぴーが我が家に来てからというもの、私の人生に必須であったブラックアウトの時間がまったくありません。私にとっては寝ないで6年間過ごしているようなものです。この合宿でそれをこっそり期待していましたが、そんな甘ちゃんな自分を思い知らされましたね。でも毎日、お迎えに行かなくてよいのは素敵でした。時間切れ(お迎えに行かなくてはいけない)ストレスって私の心に棘のように刺さるものだったのですよね。常に一日を自分のリズムとは関係なく細切れにされているようで。
独りになって1週間過ごしてみて、自分の流れとかリズムのようなものに意識的に気付くことが出来ました。東京のこの家に戻った今、非常に多くのものに興味を失っている状態です。このままの勢いで物事を整理してしまってよいのかどうか、それより誰が引き受けてくれるのか?というようなことをボンヤリ思っています。
長野で撮影した写真をPCに移すときに何かトラブルがあったようで、行方不明+そしてカメラからは消失してしまいました。たぶんPC内に壊れた形であると思うのですが、私には見つけられません。このノートPCは、私の前に持ち主がいて、それをそのまま譲り受けているためか、私が使い始めてから何かが違っているのでしょう。だんだん調子が悪くなっているような気がします。最初からCDとか再生できないし。そろそろ修理時だろうと思いますが、その間PC無しでどうやって過ごすのかが難しいところです。東京にいなければ別にかまわないと思うけれど。PCが戻ってくるまで1ヶ月とかだったら・・・、ちょっと考えるのが怖いです。
今日は、なんだかイオと二人でゆっくりと夕食をとることが出来て、夕食後の時間もゆったりとおしゃべりが出来て楽しかったです。イオガ何を大切に思っているのか、思いのほか深い話が出来たことに驚きと喜びを感じております。
2005年08月08日
フラワーエッセンス合宿8日目・絵を描くこと
椅子を丸く並べて各自が座り、順番に自分の絵を見せることになりました。ただ絵を見てもらう人もいれば、今の自分のこのカードの関係性を語る人もあり、メッセージを語る人もあり、個性に富んだ発表会でした。同じタロットカードから啓示を受けて描いたものであっても、まったく違う絵になっているそのオリジナリティの豊かさに驚嘆しました。中にはいわゆる「お絵かきトラウマ」を持つ人もいて、描くこと自体が非常にチャレンジであった方もいるようです。
何を隠そうこの私もお絵かきトラウマを持っています。自分にとって食事をするくらい身近だった絵を描くことが、まず最初に友人に誘われて美術大学入試を決めたときからお勉強になってしまったこと。自分の絵が初めて「(入試的ポイントとして)上手くない」と判断されたことがあると思います。その次は、imasaと住んで、自分の絵をバカにされたこと。きっとimasaはからかっているだけなのかもしれませんが、この家族の中での私の絵の評価はずっと変わらず、そしてその評価を気にする私がいて、それ以来、私は絵を描いていませんでした。
だからこのトレーニングの持ち物表に画材が入っていることで、心は重かったし、その絵が植物観察をして書くものではなくて、自分のタロットを1枚選んで自分の内的世界を描くことと聞いて、絵を書き出すまでに時間がかかりました。一人でいられたから描き始めることが出来たと思います。講義の時間外に教室に集まって皆で楽しく書いていた方たちもいらしたようですが、私自身は絵を描くときには一人でいる必要がありました。imasaと暮らすまでは、人前で絵を描くことに抵抗はありませんでした。
自分の内的表現を自由に絵で表現することは、やはり無理で、カードを見ながら模写することが精一杯でした。絵を描きながら、思うように「上手に」かけない自分が悲しかったりしましたし、あらかた完成した絵を見て適当に「上手に」まとめている自分の絵が悲しかったりしました。求められているのは上手な絵ではなくて、その絵が本当に自分の内的な色や形であるか?ということです。色に関しては、思い切って60色の色鉛筆を購入したことで比較的、自分の内的なものが表現されていたように思います。
持ち物表に「色鉛筆・出来るだけ色数は多いほうが良い」と書かれていて、ユザワヤに色鉛筆を買いに行ったら、24色でも3000円以上するのに、ちょうど今日までのバーゲン価格で、ファイバーカステル社の水彩色鉛筆が60色3600円くらいで売られていたのです。渡りに船で思い切ってそれを購入しましたが、それは本当に良かったと思います。あれこれ考えなくても自分の色により近いものを見出すことが出来て、だから実際の絵も自分の色から遠くはなることがありません。
カードを真似して描いていましたが、まったく同じにかけるわけじゃないし、カードの意味や表意を思って描いていたせいか、実際は「ぜんぜん似てないじゃん!」という絵になりました。思いのほか色が鮮やかだったことが自分の驚きでした。「私の内的世界は、こんなに鮮やかなんだなー」と驚きましたね。
まったく下書き無しでいきなり色鉛筆で書き始めたので(なぜか鉛筆で下書きすると言う発想がまったく浮かびませんでした。)色を塗っているうちに形がどんどん変わってしまったところもあります。例えば背負っている荷物はもっと小さいはずなのに、どんどん大きくなってしまいました。強欲さ?そして犬は白いはずなのに、なぜか紫色に。
私の絵を皆が見たときに、とても歓迎・受容を感じて、それに対して戸惑いや喜びを感じる私がいました。私にも「お絵かきトラウマ」があって、描き始めるまでに時間がかかったこと、自由に表現することは無理であったこと、自分がある調和した世界からもうすでに新たな旅に出ていて、私の準備はぜんぜん出来ていないけれど、暴挙とも取れる旅に出てしまっている自分を自覚していること、などをお話しました。そしてカードをまねして書いたつもりだったけれど、カードで一番表現されていた、生き生きとした躍動感や、純粋無垢な感じが自分の絵には表現できないことを書いているときに発見したことなどを話しました。なんだか緊張してしまって、皆がどんな反応をしてくれたかは、ぜんぜん覚えていません。荷物が大きくなってしまったことを話したら「荷物の中味は何でしょうね?」と問う方があり、頭の中では「錬金術の道具?」と思いましたが「家族」と答えていました。
たまたま次の方も同じカードを選ばれていたのですが、その表現の力強さ、自分自身の表現、テーマになっているところが素晴らしかったです。おおむね、どの絵も非常にその方自身を表現していて、絵の中の人物は本当に作者そっくりなのが興味深かったです。顔や体の動きなどが、もう笑えるくらいそっくりなのです。私の絵にはそれは見出せません。もちろん絵は、私が表現する何かではありますが、自分自身が素直に表現されている感じを、自分では見出せませんでした。
一通り全員の絵を見た後に、河原に出て最後のお祈りを行いました。素晴らしい、厳しい8日間でした。皆が順番に自分の祈りをささげている間、ここに辿り着けて本当に良かったと、しみじみと思いました。長く参加している方たちを見て、その素晴らしさを思わないこともありませんが、10年前には無理だったけれど、今やっと巡り会えることが出来た自分の成長に喜びを感じています。このトレーニングに参加したことも私にとっては「the fool」であるのです。imasaは、この旅を喜んではくれないだろうけど、でももう歩みだしています。
東京に戻り、いおぴーを迎えに行くと描いた絵をプレゼントしてくれたので、私の描いた絵をいおぴーにプレゼントしました。見本のカードよりもずっと好いと言ってくれたので嬉しかったです。
今、こうして書きながら、私はもともと哲学か心理学を学びたいと思っていて、そこで(今で言う)アートセラピーを学びたいと思っていたのでした。そのようなジャンルがきちんとあるかどうかもわからなかったし、そのことを相談する相手もいなかったし、図書館でも関連本を見出すことが出来なくて、美術大学に誘ってもらったときにアートの側からそのようなことも勉強できるかな?と思って美大受験を決めたのでした。浅はかな私です。結局、映像の魅力に目覚めて映画を専攻することになったことで、ますますアートセラピーの道からは遠のきました。いおぴーを通して、人智学的な水彩に出会うことでやっと当時望んでいたものにたどり着きましたが、今の私は水彩画を学ばずにフラワーレメディやホメオパシーを生きています。シュタイナーのコミュニティで水彩を学びながら生きていくほうが良いのかな?
それにしてもこうやって細かな日記を書き続けられたこと、それを最後まで出来た自分を評価したいと思います。愚劣なほどに垂れ流していますが、トレーニング中の昼休みの使い方として植物観察・日記・昼寝が推奨されて、その必要性の説明を受けたことで、それもあり?と思えたのです。そうじゃなかったら語ることは何もなかったですね。私が講義の本質ではなくて、詰まらんことばっかり勝手に受け取っている気がしているので。
このトレーニングでは、宿題をたくさん受け取った気がするので、今後どのようにしてそれを消化していかれるのか、しばらく考えたいと思います。とりあえず4大元素について、もう一度調べたり、考察したいと思います。自分の中のMappa Mundiが混乱しているので。
フラワーエッセンス合宿8日目・セクション2最終日
はー。とうとうこの地を去る日がやってきました。終わらない芝居はありません。(かつては「初日が来ない芝居はない」と言うのが前についていましたが、初日の来なかった芝居が本当にあって、いきなり説得力がなくなりましたね。)
夕べは、絵を仕上げて、ひとりひっそりと完成記念のの地ビールを飲んで、荷造りを8割が足して寝ました。寝るのが惜しくてダラダラやっていたら2時近くになってしまいました。夢は面白い夢を見た覚えがあるけれど、記憶にありません。楽しく創造性に富んだ夢だったような感触があります。
お風呂後に最後の悪あがき。絵に少し手を入れました。水彩色鉛筆を使うのは初めてで、最初は、とても使いにくくて、やっぱり水彩じゃなきゃ、と感じましたが、絵を書き進めていくうちにその良さを体感しました。こうして気軽に絵を書き加えられるのも、色鉛筆だからだと思います。色の混ぜ方が難しいのが難点です。どうしても多色の色鉛筆が欲しくなります。
朝食の席では(たいてい4人ずつのテーブルに分かれます。)、クライアントとの関係をどのように健全に作り上げていくかの話で盛り上がり、やはり職業として続けていらっしゃる方の話は得るものが多くあります。そしてDVの話。なかなか奥が深い話で、充実した朝食の席でした。
2005年08月07日
フラワーエッセンス合宿7日目・四大元素
午前中の講義は、最後に2種類のフラワーレメディを体験する全感覚を開くワークで終わりました。レメディを飲んだら汗をかいてきて、部屋が暑いせいなのかレメディの効果なのか、とにかく発熱していました。
今日もお昼を食べずにお散歩。風の涼しい外を歩いても暑いので、発熱しているのは自分だということを自覚しました。午後にレメディ名を聞いたのですが、これはローズマリー効果でした。冷える人には良いレメディかも知れません。
この周辺は、人のお庭や畑を含めて、本当に多種の植物が観察できて、楽しいです。ずっと植物観察を自主的にする気持ちになれなかったのですが、今日は成り行きで散歩をすることにして、道を歩いていたら、植物がとても気になり、手触りを楽しんだり、形を観察したり、つい入れ込んでしまいました。ちょっとその辺を歩くつもりが1時間半もお散歩して、でもあっという間の感覚で帰宅しました。
宿題の絵に取り掛からなければ!と奮起して、「the fool」の絵に取り掛かりました。象徴とかその真意とかは、やっぱり良くわからないので、カードをそのまま模写することにしました。いきなり色鉛筆で下書き無しで書き始めて、ざっと書き終わって時計を見たらもう4時まえではありませんか!2時間以上もかかってしまいました。文章を書くにも時間がかかりますが、こんなちょっとした絵に2時間以上もかかってしまうとは、悲しいです。案外、楽しんで描けたのでそれがせめてもの救いです。
お風呂もお昼寝も諦めて、午後の講義の準備をして、スモモを食べてから教室へ向かいました。皆、教室で絵を描いていて、それぞれの絵のが、それは素晴らしいのに驚きました。自分のイメージを豊かに膨らませて、実際のカードの絵柄とはまったく別の、でも同じ象徴の世界を描いています。素晴らしい。
午後の講義は、午前中のまとめ解説から始まり、ハンズオンのワークを行いました。レメディの全感覚ワークは、何人かで集まって帰省のレメディを飲んでその感覚を味わってレメディ当てをしたり、新しい自分で作ったレメディのリサーチをしたりするのに良いとのことで、またやってみたいと思っています。
今回、ハンズオンは男性と組みました。まず私が足の痛みを主訴にワークしてもらって、その後私が感情を流すワークをしました。肉体のエネルギーが溢れている男性で、足からワークを始めたのですが、勢いに負けそーという感じでした。ところが私がふとピンクのショールを見たとたんにそのタフなエネルギーがとても柔らかい豊かなエネルギーに変わって、おだやかなワークに変化しました。
午後はそこで時間切れとなり、夕食後にまたちょっと続き。
明日はもう、セクション2も終わります。持ってきていたホロスコープを使っていない、ということになって、急遽、自分を知るワークとして自分のホロスコープを見て、全惑星とアセンダントの4大元素のバランスを見ることになりました。それぞれの数を数えて、4大元素でグループ分けをすると、これが笑えるくらいに地グループが圧倒的に多いのです。一番強力な人で地の要素が9個!す、すごい。その次が風で、火と水グループは各2名ずつ。因みに私は水でした。ほぼどの要素も平均してあって、風の要素だけ少ない変なバランスです。こんなに旅行が好きなのに、ずっと子供の頃から結局、東京を出ないのは、風の要素が1つしかないからでしょうか。うーん、自分は地だと思っていたなあ。でも忘れっぽいのは水のためだと納得がいきました。
各グループを観察して、その違いの比較や、土グループが輪になってその中に違うようその人が入ってみたときの違いを見たり、風グループでそれをやったり、最後は「暑い!」というとっても土の人を私たち水が2人で手をつないでその輪に入れてみたり、いろんなことをしてみました。因みに水でかこんだ時には、若干、冷されていたみたいですが、私たちのほうがどんどん蒸発していく感じで、焼け石に水とはこのことでした。2人じゃエネルギー不足だったようです。私の中には火も土の要素も強く入っているので、期待されたほど水を発揮できなかったと思います。残念。この実験は、思いのほか盛り上がってとても面白かったです。またやりたいー。
部屋に戻って、集中して絵に取り掛かってみました。1時間ほど格闘して、でもこれ以上やってもな的に投げやりな気持ちになったところで、終わることにしました。見本になったカードと絵を並べてみたら、ぜんぜん違う~ということを発見して悲しかったです。絵面は真似していますが、発するエネルギーがぜんぜん違います。まったく関係がない絵のようです。いくらなんでも本質をわかっていなさ過ぎると描き直す必要を強く感じましたが、これからまた描いても良い絵をかけない気がして、諦めました。まあよしとしましょう。これが現状ということで。
フラワーエッセンス合宿7日目・転移/逆転移
帰化植物が繁殖していること、そして都市部の線路脇や駐車場や狭い道路脇などの、あまり環境の欲ないところで繁殖していること、そのことを改めて考えて見直してみると、その関係性や表現するもの、その役割まで考察できるようで、なかなか興味深いです。
朝、教室へ行くと王さんが肋骨を骨折しているという男性のヒーリングをしていました。ヒーリングクラスの女性が一人サポートしていて、それを見学している人たちに、王さんは細かい解説を加えながらヒーリングを進めている様子でした。私も見学させていただきました。なんだかとても魅力的でした。いわゆるヒーリングには興味がない私なのですが、単純に人の体に触れることの心地よさというようなところから感じているような何か「魅力」的なものです。なんでしょう~。
講義は、転移と逆転移について。そしてそれをフラワーレメディのプラクティショナーとしてはどのようにその概念を受け取り、どのように実際のセッションを健全なものにしていくのか、などなどのことが語られました。なんだかその話はみなの心に染み渡っているようでしーんとしてしまって、それを受けて、王さんから参加者を3つグループに分けて、グループスーパービジョン(グループディスカッションのようなもの)を行う指示が出されました。
私のグループはしばらく誰の発言もなかったので、私が現在行っているケーススタディ上での自分の問題点を話してみました。そこから話が進んで、どのようにケーススタディを健全なものにしたら良いのかの話し合いがなされました。そこで私は希望の光を得ることが出来て、実に意味あるディスカッションとなりました。研修中の身としてどのようなことが出来るのか、どのようにあるのか、その健全なスタイルの方向性を見出せた感じです。
フラワーエッセンス合宿7日目・助産婦の仕事
早いもので、このトレーニングに参加してはや7日目です。そんなに長くここにいるという実感がありません。この辺でオフ日があって、そこからまた1週間くらいトレーニングしたい感じです。贅沢すぎですか。
夕べは気がついたら12時を回っていて、本を読みつつ就寝しました。
今朝もお風呂で昨日と同じ方に出会い(だいたい皆、お風呂に入るパターンが決まるようで、会う人と会わない人がいます。)またもや、性の話で盛り上がりました。もう私の暴走は、放っておいてください(涙)。
本日は、助産婦の役割についてです。もちろん女性のライフサイクルに沿っていこうと考えてくださる産婦人科の医師と付き合っていくことが出来れば、それが素晴らしいと思いますが、私は日本各地にいる助産婦をもっと活用するべきだと思うわけです。命を現場で知る女性たちです。私たちの人生の先輩でもあるかもしれないし、まだ若い助産婦たちは若い女性たちの友人となるでしょう。
性の知識を知り、命の営みを知る女性たちの智慧をわかちあう循環を助産婦という貴重な人たちを通して、生み出せれば、それが素晴らしい地域のコミュニティーとなると思うのです。
10代、20代の女性たちが集まって(もちろん男女混合でも素晴らしい)助産婦を囲む会があったら素晴らしかろうと思います。T助産婦の有望な娘Kちゃんがその橋渡しになってくれるかもしれませんね。なんといっても自分が赤ちゃんの頃から、お産に数知れず立ち会ってきている手錬ですからね。
子供を持つ私たちも更年期の問題を助産婦を中心に話し合っていけたらよいだろうなあと思います。今、お世話になったT助産婦(あ、これは別に実名でもいいのか)をかこむ赤ちゃん交流会というのが毎月行われていますが、それを卒業していくだろう私たちがそこから出来る話し合いの場があれば嬉しいですね。
あとは自然育児友の会の更年期~老年期バージョンですか。そんなコミュニティってあるのかな。ありそうだけど。私が知らないだけで。
あ、夕べ見た夢。「レ・ミゼラブル」(たぶん)の芝居を舞台袖から観ている夢。客席らか見切れているのが、ちょっと心配で、小道具をどけて狭い袖に寄ったら、そこにはIちゃんがいて、でも私は彼女がそこで仕事をしているのを知っている。いろいろとおしゃべりして「いつ仕事が終わるの?」と聞くと「この後大阪へ行って、その後はいつ終わるかわからない」とのこと。この芝居の評判が良くてTV化だか映画化だかの話があるらしい。その撮影が始まれば、Iちゃんはそのままその現場に連れて行かれる。「じゃあ、いつ遊べるかわからないね。」
一方、その芝居にはMさんのお子さんが出演している。Mさんは3人の男の子の母で、その長男くんが役者デビューして演技の素晴らしさが表現になっている。シュタイナー教育のお宅なのに、子供を舞台に立たせるんだなーとかボンヤリ思う私。彼女と舞台裏であって、おめでとうを言う。彼女は、まったく予期していなかったこの展開に戸惑いと喜びを感じている。子供が舞台に立つのは望まないけど、それが彼の才能であれば、とのこと。実際に楽屋?で彼に会うときらきらと輝き、喜びを全身で表している。自分の生きる道を見出したものはいいなあ、と思う。羨望やねたましさなどはなく、本当に喜びを分かち合う感じ。幕間でKさんに会っておしゃべり。子役の母は共通の友人なので、その話など。
芝居が終わって、なにかのようでKさん宅へ行くと、夫が出て、まだ芝居から戻ってきていないとのこと。とても広いお宅で、あまりに広いので、Mさん一家と共に暮らしているとのこと。夕食をご馳走になり、夫も席を離れ、独りで新聞などを読んでいると、いつの間にか皆、就寝モードになっていて、非常に失礼に場違いな自分に気付く。慌てて帰ることにするが、お土産をもらっていたり、子供が寝ているのに電気をつけていたりして、とんでもなくずーずーしい自分にうろたえるが、平静を保とうとしている。
Kさんが帰ってきて、少しおしゃべり。夫同士も仲が良く、2家族は非常に良い状態で同居している様子。私は、ずーずーしくてごめんなさーいと心で叫び、でも表面上は穏やかに別れる。
結構、覚えていたなあ。変な夢。長男くんは「the fool」だろうか?それにしては聡明そうだったけど。
2005年08月06日
フラワーエッセンス合宿6日目・ハンズオン
朝一番は、各自の太陽の星座を四大元素にグループ分けして、その要素を代表する花たち3~4種を選んで発表することを行いました。私の星座は蟹なので、要素は水です。
因みに水の星座は、蟹座、うお座、蠍座。火の星座は、獅子座、射手座、牡羊座。風の星座は、みずがめ座、天秤座、ふたご座。地の要素:牡牛座、乙女座、山羊座です。
圧倒的に風グループが多かったのが面白かったです。水が最小グループで22名中たった3人。各グループが話し合っている様子は、それぞれの要素の特徴をグループごとに表現していて、それも面白かったです。やっぱりその要素が表現するものってあるんだなーと。
4グループ全部が発表した後、それぞれにコメントがあり、その後は、もんのすごい勢いで、タロットのRider-Waite版を使って、22枚のカードの表意解説が行われました。わたくしついて行くのに必死です。
そのままの勢いで、お昼も食べずに部屋でタロットについてネットで調べ物をしました。電話回線を使っているから、遅いし、なぜか切れやすくて、ストレス満載でしたが、今まで調べたことのなかったジャンルだったので、いろいろ調べられたのが面白かったです。あまり深く突っ込めなかったのが残念です。あー、電話代いくらになるんじゃ。
その後ふと思いついて、絵を描くことにしました。水彩も出来る色鉛筆は、初めての画材だったので、どうやって使ったらよいのか良くわかっていなかったし。やっと絵を描くところにたどり着いたって感じです。心の赴くままに色を重ねていって、それを水を含ませた太筆でなぞって水彩風にしていきます。水彩と違って、色を濃くするのが結構難しくて、でもまーそれも面白かったです。水彩よりも気軽でいいかも。
この勢いで休み時間を使ってしまうとせっかくのアファメーションも意味がなくなってしまいます。というわけで、しばしお昼寝。
夢を見ましたが、忘れました。緑が綺麗だなーとか眺めながら(ベッドから大きな窓越しに、緑豊かな山が見えます。)寝ていたら、遠くから雷が近づいてきて、やがて壮大な雷、そして突然の激しい雨がやってきました。気持ちの良い勢いの雨です。こうして静かな部屋で暖かいベッドに包まれて、ダイナミックな雷と雨を感じている幸せに浸りました。
午後の講義はハンズオンの実習でした。レメディを使っての手によるヒーリングです。2人二組になって、お互いにレメディを選び、不調のある部位を中心に実にヒーリングをする実習です。今までマッサージやリフレクソロジーにレメディを使ったことはありますが、いわゆるヒーリングには使ったことがありません。
初心者グループに入ろうとしましたが、経験者グループに入りなさいと言われて、そちらに参加しました。どきどき。私ったら手を使ったエネルギーワークは、ちゃんと習ったことないのです。セミナーとかには何度か行ったことがあるし、ラファエルヒーリングセンターのひろこさん伝授のリフレはエネルギーワークともいえると思いますが。あ、あと私が習ったクレニオセイクラルはエネルギーワーク的なクレニオでしたが。ハンズオンはともかく初めてです。
まず組になった相手にやってもらいました。首が詰まっていることと仙骨のスースーがまだ感じられるのでそれを伝えました。レメディは、メマツヨイグサ。荒地待宵草と呼ばれている植物のレメディで、王さんが作ったものです。私はそのマテリアメディカを良く知りません。FESにもイブニングプリムローズのレメディがありますが、それに似ているのでしょうか?よくわかりませんが、3つくらいのレメディ候補を言われたときにすぐに「メマツヨイグサがいいです」と答えていたのです。わたくし。
やってもらっている間、黄色が良く見えましたが、ほかに漆黒に銀とかも見えました。そして白い花や赤い花も一瞬見えました。
さまざまなことを映像で思い出しましたが、面白かったのは、なぜかキャメロンディアスが出てきたことです。なぜ?しかもコメディ映画のしょーもない一場面が。脳のどこが刺激されて出てきたんでしょうか?謎です。
身体的にはとてもリラックスできて、途中で重かったおなかの中の何かがバターがスーッと溶けてしまうように流れて言ってしまったのが気持ちよかったです。
相手に習って私もレメディを選び、しばしハンズオンを堪能しました。足の裏からぐぐっと押し寄せるものがあり、それが手のひらから流れ出ていく感じです。勝手になるので、別に自分は呆けているわけですが(あ、もしかしたらそれじゃいけないのかもしれません。)、始めてすぐにとても綺麗な水彩精密画で描かれたようなお姫様が現れました。たぶんそれは眠りの森の美女。とても可愛らしい上品な顔立ちで、蔦などの植物に溢れた玉座に座っていました。そしてその後にすぐ、タロットの女祭司のイメージが現れてすぐに消えました。不思議です。何の妄想でしょうか。
このように私に浮かんだ妄想は、自分の胸のうちにしまっておくべきことだそうです。それが相手のものか自分の反応なのかがわからないからです。相手に浮かんだものを相手が伝えてくれたときには、それはもちろん受け取ります。
キャメロンディアスに疑問を残しつつ、夕食。現代におけるセックス十字軍の活動話を聞いて驚愕!私には良く理解できません。それで癒される人がいるのはわかるけど、でも本質的な癒しがそこにあるとはとても思えない。別の形で傷つきそうな気がする。それが具体的にどのような活動なのかは、もう少し調べてみようと思います。
夜の講義は、植物研究の発表。植物はナガミヒナゲシ。ご存知ですか?はらっぱ園の近所に春になるとたくさん咲くオレンジのポピーです。私は、はらっぱ園に来るまでその花をみたことが(たぶん)なくて、きっと近所の園芸種が増えたのだろうくらいに思っていましたが、これは1961年くらいに東京で初めて見られた帰化植物なのだそうです。はらっぱ園の近所では、井の頭線鉛線に広がりつつあるようで(もしくは広がっている)、井の頭公園には見られないし、中央線にも見られません。不思議です。どのように繁殖しているのでしょうか?そしてなぜはらっぱ園周辺に繁殖しているのでしょうか?発表を聞きながら、考えさせられることが多くありました。
発表後に質疑応答があって解散でしたが、王さんがご自分のタロットカードを並べて見せてくださっていました。きっといろいろお話が聴けることだろうと思いましたが、なんだかすぐに部屋に戻ってきました。なんか。ほんとーに疲れてきたみたいです。ボディワークをやってもらったので、グデグデしています。
フラワーエッセンス合宿6日目・チェスナットバット
調べ物をしていたら、あっという間に12時を回ってしまい、占星術の本を読みながら(っていうか開いたとたんに)寝ました。
明け方に長い夢を見たけれど、忘れました。覚えているのは、後半。白いボールペンのボディを開けると、中にオレンジのBB弾みたいな飴が半分くらい入っていて、ボディのふちなどに緑の粒粒が張り付いているのです。それがずいぶん古いものだよ、といわれたのに私はそれをざーっと口に入れると、そのみどりのつぶつぶは、皆無視で、それが私の下肢にわーっと張り付くという夢。痛痒くて、食い付いているから、ちょっと払った位じゃ取れないのです。仕方がないので、叩いて、それを払いおとして、たくさん噛み後は残ったけど、ああ、良かったと思う夢です。謎。その後も夢を見続けたけど、それも忘れてしまった。
夢を覚えているのは難しいです。
お風呂でセクション2から来た人に話しかけられ「昨日の話しの続きを聞きたい」なんていわれてしまったものだから、またもや性教育を熱く語ってしまいました(赤面)。どーしても語りたい私がいるのよー。チェスナットバッと風呂に入らないとダメかも。もう、そこで泳いだりしないとダメかも。終わってる、ワシ。
2005年08月05日
フラワーエッセンス合宿5日目・セクション2始まり
夕食までの間は、さまざま雑用をこなしているうちにあっというまに時間がたってしまいました。残念。慌ててお風呂に入って、夕食前にいおぴーに電話。
今日は、JRのスタンプラリーに参加して4つのスタンプをもらったこと、餃子をおばあちゃまと作ったこと、青とピンクの甚平を2組買ってもらったことなどなどなど、今日は少し長電話でした。
(たぶん)ポケモンのスタンプラリー。まったくポケモンを知らなくても多分、スタンプ集めは好きだから結構楽しめている様子です。明日も4つ集めて、最後にノートみたいなのをもらえるんだといっていました。
先日、ハーネマンのセミナーのためにJRに乗って、スタンプラリーに参加している多数の親子と同乗しました。そのときは、こういうことって一生しないだろうなーと思ったのですが、私がしなくても母が付き合ってくれてラッキー。
顔ぶれの変わった夕食の席で、ふと性の話となり、気がついたら性教育を熱く語っている私がいました(恥)。なんだか久しぶりの話題だったので、つい熱く語ってしまったです。
夜の講義が始まり、最初の自己紹介で、申し訳ない感を表明しましたが、皆さま、暖かく受入れてくださって、ありがたかったです。そうしてすぐにそんなことを忘れるチェスナットバットの私。とほほん。
セクション2は、いきなりまたレベルが高くなり、ひーッとなっております。私はここにいちゃダメでしょ感が内的に溢れていますが、とりあえず何とか食いついていきたいものです。
4大元素の話と、星座のアーキタイプの話、そしてタロットカードの話しをざっとして今日は終わりました。
今の自分を象徴するタロットカードを1枚選んで、その表意を理解し、それを象徴する花を理解し、それを自分の絵として表現する宿題が最終日提出で出ました。そんなこと、できませーん(号泣)。
タロットカードの紹介を受け、自分がもう抜き差しならぬところにすでにいる、ということを認めざるを得ませんでした。たぶんそれは私が子供の頃にさかのぼれるほど、昔から避けても避けきれぬようなところに私はいるんでしょうけれど、でもそれでも逃げて抵抗している私がいるのです。勉強も面倒くさいことも山登りも嫌いだし、私。ってそんなことじゃないですか?ん?
なんだかここへ来て、今、私の生活は大きく変わらざるを得ないんじゃないかという気がしています。嫌だけど。だって私は常に保守派で変化が嫌いだし。ほら。
ああ、どうしよう。今あるものを捨てそうだー。方向としてはより進んでいくことになると思うし、本質的な何かを捨てることはないと思いますが、より近づくために何かを捨てるのかなーワシ。捨て嫌いだけど。私の太陽は蟹なので、脱皮のときが来ているってことでしょうか。水に流れていくのかなー。でも流れていくのは何なんでしょうか。
ううう。恐ろしいよう。私の中にどっかりと居座っている怠慢さがこの恐れをうんでいるだけなのでしょうか。もしそうだったら。情けない・・・。
フラワーエッセンス合宿5日目・セクション1終了
夕べも何度か目を覚ましたり、夢うつつになったりして、明け方に、このホテルで部屋の裏に通っている廊下(実際の建物にはそのようなところはありません。)で、皆が自分の服をアイロンか消している夢を見ました。なんだかわからないけど、アイロンがけってどうしているの皆?と思って裏の廊下に出ると、殆どの参加者が皆、自分の服にアイロンがけしているのです。で、私はそれをみて、あー皆まめだねーとか、まあ私はしなくてもいいか、とか思うわけですが。
朝食後、最後の講義で時代のアーキタイプが語られました。歴史を追って2千年ごとに変容する、おうし座の時代・おうし座の時代・うお座の時代。そしてみずがめ座の時代。徐々に変容していくのに400年ほどかかるそうですが、今はみずがめ座の始まりから250年くらいが経ったところで、あと150年くらいかかる変容の合間にいるそうです。
その時代に生きていることを基盤に、このスクールのあり方、目指すところが語られました。プラクティショナーになるということは、そのような人になることであり、そのような人生を歩むこと、そこまで至る道程には、時間をかけることが必要であるし、支えあう仲間が必要であるし、共通の興味を持ったコミュニティが必要であるとことでした。
深く深く納得すると共に、日常的にもそのようなコミュニティの中に居心地良く暮らしている自分の幸せさをかみ締めましたね。それはimasaとの関係に於も、はらっぱ園の仲間に於も、勉強をしている仲間たちに於も、常に魂のレベルで話をすることができるし、同時に非常に日常的な事柄も共有しています。
ひとつひとつは小さなコミュニティですが、それが横に広がり、さまざまに重ねあう部分を持ちながら、私の社会を作り上げています。確かに私の方向性はマイノリティで、でもわかってくれない的な苦しみをそれほど感じないで生きられている自分が非常にラッキー。
休憩の後に河原に出て、各自が作ったアファメーションを読み上げて、お祈りをしてセクション1のクラスが終わりました。
参加者皆が、それぞれの学びの過程にあって、それぞれのレベルにいるにもかかわらず、ひとつのクラスとして5日間、同じ話や実習を充分に満足して共有できているのは、この場がひとつの素晴らしいコミュニティとして機能しているからだと思います。
2005年08月04日
フラワーエッセンス合宿4日目・ヤロー
夕方まで本を読むつもりだったのに気がついたら寝てました。瞬間的な深い眠りと、あとは現実に外の声を聴いていたり、その延長にある夢を見ていたり、なんだか浅いところを行ったり来たりしながら時間が過ぎていきました。眠い。
夕方からは、午前中にやったレメディの全感覚的表現を、違うレメディでもう一度行いました。今回は、具体的な花の形状や色なども多くの人から共通のイメージが語られていて、面白かったです。
そのレメディは私に強い肉体的影響を与えて、いろいろな症状が出ました。内的に汗をかくような感じ。そしてしばらくの間ずっと仙骨がスースーして、それは寒気じゃなくて汗をかいて外気に当るとなるようなあのスーッとするような感じです。それと後頭部が引っ張られるような感じが長引きました。他にも変な身体表現がいろいろあり不思議でした。
因みにそのレメディはヤローだったのですが、南カリフォルニアのヤローですがFESのものではなくて王さんが作られたものだそうです。フラワーレメディは、作る人の違いによるレメディの違いがいろいろと表現されるようです。ホメオパシーでも同様のことはないとは思いませんが。
その後の講義では、チャクラと色をフラワーレメディ的な視点から見る話しを聴きました。
夕食をはさんで、夜はフラワーレメディと付き合うことはどういうことなのか、どのように付き合っていくのか、そしてプラクティショナーとしてのあり方をさまざまな観点から語られました。フラワーレメディを生きるということがどのようなことなのか。基本的にはハーネマンアカデミーで学んだこと、語られたことですが、王さんに語られて実に襟を正されましたし、私の中で光が当たった部分もずいぶんとありました。
自分の中の芸術的な部分を大切に育てていく必要があると思いますが、なかなかねー。センスの無さコンプレクスが私を覆いつくしますね。特にimasaと暮らしているとその方向へ強く吹き溜まっていく感じがします。それでもしぶとく立ち上がって平気な顔して芸術的に生きていく人を彼は望んでいるのでしょうけれど。ネガティブ・シンキングなワシです。
そんな私のために、最後の講義は、アファメーションについて。アファメーションと祈りと誓いについての話しを聴いて、選んだレメディを基礎に自分のためのアファメーションを作る課題が出ました。
ボトルを作った3つのレメディをテーマにアファメーションを作りましたが、どうかなー。とりあえず今、声に出して読んでみたら、息が深くなってので自分にはよいかもしれません。
来週から寝る前にいおぴーとアファメーションをしてみようかしら。今はお祈りをしていますが、もうすこし個人的な祈りの言葉が欲しいなあと思っていたところでした。このアファメーションを基礎にして、祈りの言葉も作ってみようかしらと思いました。今。
フラワーエッセンス合宿4日目・緑と私
午前中の講義は、植物分類学的にフラワーレメディの視点から見た植物洞察についてでした。もんのすごい勢いで、バラ科、ユリ科、キク科、しそ科、イネ科などなどの植物解説とその洞察の仕方の講義を受けました。
詰め込むだけ詰め込まれた後に、全感覚を磨く実習をしました。ホメオパシーのプルービングみたいな感じです。ボトルに入ったレメディを各自が飲んで、その変化や印象を書きとめて、最後に各自がそれを発表していきます。
何人もが語る同じピクチャーについて考えてみると、なかなか興味深かったです。最後にレメディの種明かしがありましたが、語られた言葉は、全部間違っていない。というか語られた言葉には正否は無いということが深く理解できた感じです。レメディを当てるとか当てないとかいうことではないということです。
私を含めて、幾人もがその花のある部分を感じているのが「それはなに?」という感じです。一部分を見るってなんなのでしょうか?レメディは、花全体を使って作られていて、受け手がその一部分だけを感じる。それはその人にとって花と繋がるきっかけのようなものでしょうか?それともそれが感受性?
フラワーレメディのプルービングとは、果たして何なのか?ということが私の中でカオスになっていて、まーどうでもいいですよ治癒だから、と思うわけですが、でもカオスがそのままあることは確かです。そのうち受け止められることがあるのでしょうか。
今日は昼におそばを食べました。美味しかった!同席した男性2名に、ある形を成してビジョンを見てしまうことの限界や自分のディリュージョンなどどについて、ぐちぐちと愚痴。
クライアントの話しを聞くこと(通常、あまり明るい話題ではない)が、でも実は、この気持ちのよい花々の咲く森とまったく同じものであることに、このセミナーに来て実感が持てました。今までも話をするその人の向こうにその人の本来の姿を見て、非常にうれしく幸せな気持になることを何度か経験していますが、それは貴重な何かであると同時に、それがそのセッションのすべてであるというような感じになるのがセッションのあるべき姿なのでは無いかと思います。
そこは穢れた吹き溜まりの場なのではなくて、森と同様に生命に溢れた美しい花たちが喜びを表現する場であるのです。精進すれば、実感できるようになると期待をかけております。と同時に自分自身が森になる。そのような存在として居ることで、森と同様の場がそこに出来るわけですよね。素晴らしい。
まだまだ講義で頭がいっぱいになってしまって、素直に花に身を任せられない、入れ込むことが出来ない私、他の皆のように自然の中で自身をのびのびと解放できない私にとっては、果てしなく遠い道のりです。
こうして部屋から緑を感じていることで、確実に私に大きな変容が訪れていることは実感しています。それは多分私がearthyで、緑に愛されているためかと思います。ありがたいことです。その愛情を素直に堪能し、最大限に生かすことをしていない私。なんとか解放されたいものです。何を開放するのかすら、よくわかっていないのですが。
フラワーエッセンス合宿4日目・ドクダミ
ううう。夕べも何度か目を覚まして、今朝はめちゃめちゃ起きられませんでした。眠い。とりあえずそのままという感じでお風呂へ。
森の木々を見ながら、ドクダミについて思いをはせてみました。夕べの学習発表を思い起こし、彼が最後に語ったレメディとしての定義に抵抗を覚えたわけですが、今はそれが単に受け取り手の問題なのだと理解しています。
彼の学習発表をどのレベルで受け取ることが出来るのか?ということであって、まだまだ智慧と洞察の浅い私が聴くと、そこ(植物学的洞察とレメディとしてのあり方)に深いつながりや確信がもてない。と、ただそれだけのことなのです。
自分の未熟さを研究発表にぶつけてしまって申しわけなかったです。それが混乱と言うことなのでしょうけれど。この混乱のあり方もホリー効果なのだと思います。
相変わらず鬼瓦みたいな顔をしている私です。こうしてPCに向かっていると、ホテルのデスクって、前の壁に鏡がはってあるから、ついじぶんのかおをみてし舞うことになるのですよねー。困ったことです。可愛い顔で学びを進めていけるようにならないと。というわけで、しばし顔のマッサージ。・・・。あまり変化はみられません。このむくみなんでしょうか?食べすぎ?
今朝、水を飲むときに昨日習った方法で水を美味しくしてみようかと、ふと思い、水のボトルを持ってやってました。戸惑い気味にはじめたのですが、雑念満載でボトルを見ているとボトルの左側から右側にすーっと小さな虫のような羽を持った人?が飛んで行くヴィジョン(っていっていいの?)が見えました。
うーむ。でもどうしても自分の妄想のようにしか見えません。それは私にとっての現実であることが重要で、実際、その後、右側から左側へと気のようなものが流れ始めて、右、左とやり取りが楽に実感を持って出来るようになったということが問題の本質なのだと思います。私が何をそこにみるかというのは、動でも良いことなのであって。もしかしたら、どうでもよくないのかもしれませんが。
2005年08月03日
フラワーエッセンス・トレーニング 3日目・午後
本日も昼食は取らずにノート整理などをして過ごしました。13時半から希望者で0磁場なるところへ行きましたが、特にそれに関する印象はなく、けれどもかなり高いところまで車で登ったので、周辺の草花や木々の観察が出来たことが良かったです。
帰宅後、お風呂に入って、しばしまったりしました。例の活性化された調合レメディを少しずつ飲んでいますが、なんだかどわ~んと作用して、ポーッとなってしまうのです。
夕方からの講義は、そんなぽーっとなった皆が思わずのめりこんでしまうような、まあちょっと怪しい系のお話でした。なんとなく情報としては得ているけれど、その関係性や実はどうなの?的にぼんやりしていた部分が、一気にクリアになって、すっきりしました。なんだか人間という肉体をもつ生命に愛情を持つなあ。
夕食前にふと思って、いおぴーに電話をしました。りつこには「毎日電話をしてください。」と言われている私ですが、落合の実母に「里心がつくから電話しないほうがいいかも」と昨年言われたこともあり、まあ実際は、それどころじゃなくて電話しなかったんですが、レメディ効果でしょうか、ふと数分の時間があることに気がついて、部屋から電話をしてみました。
いおぴーにありがちなそっけない電話でしたが、そのそっけない声の裏に少し泣きの気配も見られ、なかなか頑張っている様子です。ちょうど大好きな従兄のミンミンが来ていたので、それも良かった様子。きっと実母が助けを呼んだというところでしょう。
いおぴーとさらっと電話を終えた後、実母に変わると「TVをみるなって言ったの?TVを観ないっていうんだけど。」と言われて「うー、うん。でもTVをみなくて一人で遊べるんだったらTVを見てほしく無いって言った。おばあちゃまにTVを見せないで欲しいと私からは言えないといおぴーには言った。」と伝えると「夕方におじゃ丸を見せないと、私が持たない」と泣きを入れられ「じゃあTVみていいと言ってるって言っといて。」と伝言しました。
無茶を言っているのは、私です。かわいそうないおぴー。挫折感に浸っているかも。ラッキーって思っていてくれるといいけど。私は子供の頃、母に密かに言われていたことを、でも子供だからすべてフォローできずに、敗北感と挫折感を味わった覚えがありますよ。
そんなこんなで私の心のどこか一部分が、ささやかに震えるような状態で夕食を食べました。罪悪感?動揺?寂しさ?うーん、難しいですね。きっと最後にいおぴーの声で慰められて終わりたかったのが、「私からいおぴーに言う?」「いいわ。じゃあね。」ガチャン。と電話が終わったことが誘引だと思います。いつもいきなり電話切るからなー。唐突な人です。彼女なりの愛情なんだと思うのですが。それは。
超活性化レメディのために敏感になっているだけで、それほど注目するような心の動きでもないのですけれど。本当にささやかな揺れ動きです。でもそんなところにまで、この鈍感な私が「あら?」って感じで気付いてみました。
夜の講義は、参加者の一人による「ドクダミ」の研究発表でした。アルケミスト的なアプローチでフラワーエッセンスとしての植物を理解、洞察とのことで、面白く話しを聞くことができました。良い研究発表でした。
ただ最後にレメディとしてのドクダミのメッセージを語られていて、それを私は聞きたくなかったかもしれません。その植物から受け取ることの出来るメッセージはOKですが、レメディとしては~のようなレメディだと思う。というのはそのレメディがリサーチされていない(たぶん、私が知らないだけかもしれません。)だけに、その人の胸のうちにしまっておいて欲しかったです。リサーチして、その結果を改めて植物洞察にフィードバックしたのちにマテリアメディカとして発表して欲しかったかも。
フラワーレメディは、プルービングが出来ませんから、こうやって手探り的にレメディ定義の指針を見出した後に、それにしたがってレメディのリサーチをしていく方法をとるのかもしれませんね。ただ私は、それだと自分の勝手な思い込みや妄想が入り込みやすいんですよね。
例えば、そのレメディ本来が持つエネルギーに焦点をあわせて、このようにサポートしてもらうために使いたいという発言には、やはり抵抗があります。クレマチス的な印象があって。私はやはり、今の私という現実を見据えて「今、癒されるべきは何か?」というところから少しも離れたくないのだろうと思います。
健全な形で花のスピリットを見詰めたり、錬金術的洞察からレメディを広げて、直感を得ていくことは、望んでいることだし、ぜひとも得たいと思っていますが、同時にそこに物語を作り上げるというFearがあります。
確信を持つことを学ぶというのは、まあつまり、そういうことなんでしょうけれど。サミュエル・ハーネマンの悪しき影響かなー。でも実験・実証を私は愛して信頼しているのです。んー。もちろんそれと直感は共存、そして助け合ってより素晴らしい高みへ成長できる可能性をはらんでいるわけですが。
もうちょっと混乱、困惑していようっと。
フラワーエッセンス・トレーニング 3日目・午前
午前中は昨日の続きから始まりました。希望者の中でまだ発表が終わっていない4人の発表とフィードバックのやり取りです。
その後、自分の選んだレメディのボトル作りをしました。まず水の活性化ということを学び、そこから順序だてて、少しずつボトル作りの過程を踏んで、その過程ごとに服用し、その格差を感じるという方法で実習は進んでいきました。
朝からヘロヘロ状態だったので、ついていくことが出来るのか?>じぶんって感じでしたが、なんとかボトル作りの過程は踏めたようでした。むしろ自分の力強さを認めざるを得なかったですね。そのレメディの変化を体験してみて。変化や格差や印象などの違いを味わうことがとても面白くて、過程を順にノートにとって見ました。あまりに貧弱な言葉で表現されるのが悲しかったけど。
最後に、グラスで非常に高い活性化の方法を学んでそれを服用したあたりから、参加者が皆、酔ったようになってしまって、私もグラスから飲んだとたんに手元が怪しくなって、キーボードが上手く打てなくなってしまいました。
私は酔ったようにはなりませんでしたが、時間を経てさまざまにレメディの影響を感じることができました。時間がたつと体が軽くなって、頭頂に集約されていくのが実に興味深かったです。手元の怪しさは、変わらず。大きな変化としては、眼の痛みがほとんどなくなり、また眼鏡なしでも大丈夫になってきました。
あまりに皆がへろっているので、予定を変えて浄化の実習を教授されました。私はまったく鈍いし、オーラの色や形が見えるとかいうのもまったく、ぜんぜんありません。
2人組になって順番にお互いのアストラル体の掃除をしたわけですが、私が受けた印象は、相手の体の周りに少しクリーム色っぽい、半透明のクリーム?バターのようなものがべったりとついているのです。でもそれを掃除していくとそれが自らさらさら解けて流れて行ってしまうのです。ある部位だけその脂のような物が取れないのですが、相手にそのことを伝えると、昔から症状を持っている部位だそうです。不思議。しばらくそこを何度も掃除していくとその脂の上っ面は、取り去れましたが、何か中から沸いて出てくるものは続いていました。不思議。
私の中に沸いてくるこの手の印象や映像は、どうしても私の勝手な妄想と思ってしまうし、その妄想に確信ももてない感じがするのですが、と同時に、その印象を平気で明確に伝えられる自分がいることも不思議です。
因みに私がやってもらったら、背中に何かしょっているのに気がつきました。すぐにそれは去りました。後頭部と仙骨が熱くなっているのだそうです。その熱は、産みたがっている熱じゃないかと言われました。
認めたくないけど、認めざるを得ないのはわかっています。単なる抑圧された渦巻くエネルギーということではなくて、それはまさしく出産のエネルギーなのでしょう。こういうところに自分の実年齢と肉体年齢(精神年齢)の大きなギャップを感じるのです。これが現代人の悪しき結果なのでしょうか?それとも私がただ「そのような人」ってこと?
imasaも見た目が若いんですよねー。精神も若いし。っていうか内的な若さが肉体に表現されているわけなのですが。旅行先とかでよく姉弟?といわれていました。今は大抵、いおぴーがセットになっているので、家族に見られることが多いです。
このような若さって、ほんとうにほんとうに肉体的な若さといえるのでしょうか?はなはだ疑問です。それが私をして、今から出産?と思わせているわけですが、体はそうは思っていないわけですね。いやそうではなくて精神的に内的欲求が出産に向けて高まっている結果、肉体表現として仙骨と後頭部の熱になっているのです。これを素直に受け取るべきなのでしょうか?それとも現代人の勘違い?
ああ、なんか手元も怪しいし、脳みそもとろけかけているので、いつにもまして変な文章になってしまいましたが、これも経過ということでアップしておくことにします。
フラワーエッセンス・トレーニング 3日目
夕べは、本を読みつつ12時前には寝たのですが、やっぱり眠りは浅かったかな。きっと内的には興奮状態にいるのでしょう。両眼にテンションを感じます。むくんでいるのでしょう。顔の表情も険しい(涙)。
6時半にベッドをでて、やはり健康な人って美しさは必然だよな。とか、緩んでいると人は可愛いよね。とか、やっぱり顔の筋肉は、不随意筋だね、三木先生。とか思いながら、お風呂へ。今朝も清々しい朝です。
本当は、もうすでに飛び込んでしまっている「自然」の中で、見ないようにしている愚かさを思って、湯船の窓から山々を見ました。象徴としてではなくて、目の前にある物質としての山々は、すでに私の眼の中にあります。
この数日、私が使っている「自然」という言葉の意味が、非常に乱雑に使われているので、きっとこのブログを呼んでくださっている方には???という感じだと思われます。shokoが混乱しているという風に受け取っていただければ幸いです。こんな風に、こんなにも混乱できる自分の幸せさを思い、しみじみしております。
自分が育った自然環境や、友達ということ、また私の母の交友、母がどのように生きているのか?ということなどに、しばし思いをはせながら、のんびり入浴を楽しみました。
部屋に帰ると、体が重く、筋肉痛さえ感じている自分を発見しました。ちょっと風呂を堪能しすぎました。朝から疲れている私。眠くなってきちゃいました。
2005年08月02日
フラワーエッセンス・トレーニング 2日目の午後
1時半からは自由参加でフィールドワークが行われました。川を渡った向こう側の丘の上にある、大反魂草の群生を見たり、クレマチスとアケビの共生状態を見たり、大待宵草や蓬の花をみたりしました。
フィールドワークに恐れのある私としては、本当にそれを受け止めることに内的な抵抗を感じていましたが、群生の中にいると嫌でもその場のありようや、エネルギーと呼ばれるようなものを感じないわけにはいかなくて、いつのまにか入り込んでしまっているのでした。あああ、恐ろしいよう。
目の前に「自然」という壮大な世界が広がっているわけですよ。私はどこへ踏み込んで行こうとしているのでしょうか。いや、これが私ののがれようも無い必然の方向性だということは、わかっているのですが、でもあまりに世界が壮大で、しかも目に見えるものであったりするので、fearがそこにどうしても沸いてきてしまいます。うーん、この調子で行くといつの間にか自分の人生になっている気もするのですが。まだ、ちょっと抵抗。
4時半から午後の講義が始まりました。フラワーレメディの組み合わせを考える上で、図形と色を象徴として使う方法で受け取る学びです。
1種~6種くらいの組み合わせのアーキタイプを学び、その後、自分用のレメディ3種を三角形に組み合わせる実習をしました。
夕食をはさんで、10名ほどがそれを発表して、皆からのフィードバックをもらう実習を続けました。各自が自分をテーマに、花のジェスチャーから受け取る色や形や三角形のバランス配置、そしてマテリアメディカを基礎にして、そのあり方を発表します。
受け取る側は、写真で作られた三角形と本人の印象を受け取って、またその受け取った印象を自分の中でよく反芻して、自分勝手な投影が無いかどうかを確認し、その人に何が提供できるのか?ということを考えてフィードバックをします。
その人や花のジェスチャーにその全てが余すところなく表現されている、ということにまったく異存はありませんが、自分がそれを余すところなく受け止められるのか?というと全然そんなことはなく、今の私にとっては、想像や妄想といった自身のディリュージョンの世界の比重が非常に大きく感じられてしまいます。
そして本当はどうなのか?ということをグループセッションで確かめるとか言うことも出来ないし、今の私にとっては非常にハードルの高い実習でした。あまりに世界が深く大きすぎて、目に見える情報から、その人の中心を見出そうと一生懸命になるあまり、脳みそが非常に疲弊しました。
入れ込んだためか、苦悩のせいか、部屋に戻ってふと鏡を見たら、すんごく人相が悪くなってました(涙)。目も一重になっちゃってて、眼球がむくんでいる感じです。ずっと眼鏡が必要なかったのに、今は眼鏡が無いとPCの文字が読めませーん。激しく、容量オーバーって感じです。この調子で1週間持つとは思えないけど、どうなるのでしょうか。流されていくのでしょうか。
空いた時間でホメオパシーのケース分析をしようとレパートリーとかMMとか持ってきているけど、それどころじゃないっすよ、まったく。未読の必須図書も読めていません(涙)。早くこの勢いに慣れないとーって慣れることなんか出来るんでしょうか。
脳みそ使っているから、それが無理なんだろうと思います。全感覚を開かないと。
それって結局ここでも「超感覚がないとね」とかいう話?ですか?私のように傍若無人で鈍感な、そして超現世的な人間にたどり着く境地とは思えないのですが、はいはい、それって誰でも持っているわけですよね。あ、ちょっとなげやりになっていますか?そんなこと無いですよ。謙虚に前向きに取り組もうと思っております。
フラワーエッセンス・トレーニング 2日目
夕べは、まだ聞き終わっていない必聴講義CDを聴きながらベッドに入ったせいか、または窓を閉めて寝たせいか、枕が替わったせいか、あまり良く眠れませんでした。興奮しすぎでしょうか?
やっぱりまたもやクレマッチー(クレマチス)な私なのかもしれない。いや、そうなんですが(恥)。うう、顔むくんでるー。
6時半に起きて、お風呂に入りました。露天風呂は無いけれど、大きな窓いっぱいに見える緑や山々が、それはそれは清々しいのです。
「年齢」についてささやかに考察しつつ、入浴。その後、ふと「今度来るときには、あれを持って来よう」とか考えてる自分に気がつき、苦笑。今を生きられない、クレマチスは私です。私にとっての今って、どうしてこんなに価値が無いような薄い状態があるのでしょうか。実際には、その今に一喜一憂しているというのに。
体が実は、疲れていたことを発見。やっぱり盛り上がりすぎているのかもしれません。小さい頃よく、自家中毒になっていたしなあ。ゲンチアナですかね。
朝食は、Buffe形式だったので、助かりました。夕べは、皿数の多い食事で、気がつくとおなかいっぱい状態になってしまったので。
初対面の4人でテーブルを囲み、タイの話、石の話、そしてシュタイナーの話で盛りあがりました。3人とても興味深い背景をお持ちで、それぞれの立場からさまざまなことを語られるのが、ふだん幼稚園児の母している私には新鮮でした。わ~ん。こんな人たちが30人もいるなんて素敵です。
午前中の講義は、まず外へ出て山や川の神にご挨拶の祈りを捧げるところから始まりました。なんだか香港映画の撮影初日みたいです。線香を焚いたりはしませんでしたけどね。
その後、周辺で見られるフラワーレメディの花たちを観察しました。見ることが出来たのは、ミュレイン、鬼百合、蓬、宵待ち草などなど。そのジェスチャーをみることで、花そして花の持つエネルギーと深く理解しあえるという考えです。
講義は、事前学習の講義CDや書籍に関する質問から始まって、お昼まで壮大なアルケミーの話がなされました。話のスピードが速いことと、その壮大さ、深遠さに圧倒された数時間でした。すごいウズに巻き込まれていく感じで、ノートをとるスピードもぜんぜん追いつかない。頭のスピードもぜんぜん追いつけない。ちょっと深く入り込んで効きすぎ出ているのでしょうか?でもとてもさらっと聞くことなど出来ません。それくらぐぐっと力強い話ばかりなのです。
とにかく「自然がバイブル」だということの重要性が深く心に刻まれました。
この世に天の全てが表現されているということです。そしてレメディを理解するためには、自然の中にそのあり方を見出すことから始まります。
と同時に、書籍の中に入り込んで深く言葉を理解することも必要です。哲学と感覚が一体となって、エネルギーとしてのレメディと人を理解することができるのでしょう。なんという壮大で大きな世界なのだ。私がフィールドワークを恐れていたのは、その博物学的な壮大さ、自然というものの大きさに踏み込んでしまうことの恐れです。哲学だけでも終わりなき世界なのに。
もーいやになるくらい終わりなき世界。あっという間に森羅万象の全てを内在化すること体現化することって出来ないのかな~。といつも不謹慎なわたくし。反省してお昼ごはんは、抜くことにします。
2005年08月01日
王由衣さんのフラワーエッセンス・トレーニング
本日より始まった、8日間の合宿セミナーに参加しております。本当に参加したいのかどうか、6月頃までまったく見えていませんでしたが、やっぱり英国旅行に行かれなかったのが、何か大きく影響しているようでimasaに反対されても呆れられても、無理くり来てしまいました。
夕べは夜遅く、はてしなく酔っ払って帰ってきたので、当然、荷造りなど出来るはずもなく、今朝起きてからイオの分をとりあえず荷造りしました。いおぴーは今日から落合のshoko両親宅にお泊りです。どうなるのでしょうか。見送るときに「これが最後の我が子の笑顔になったりしてなー」と縁起でもないことを一瞬ですが、しんみり考えてしまいました。まだまだエーテル体を共有している私たちのようです。本当は、離れちゃいけないのかもしれません。でも、そうせざるを得ないのが私の必然というか、凸凹っていうか。まーそれしかないわけさ。
その後に自分の荷造りをしましたが、絵を描く道具を入れて、レメディ類を入れて、教材書籍を入れて、まだ読み終わっていない必読書を入れて、空いた時間にホメオパシーのケース分析しようとレパートリーとマテリアメディカを入れて(って本だけで15冊ほども入れて)、その段階でもう、着替えはどこに入るの?状態。鞄の上に乗っかって、ぎゅーぎゅーファスナーを閉めることで、結局、スリッパまで入れることができました。よかったです。やっぱり私ってパッキングの天才かもしれません。
自分のスリッパって結構ホテルの部屋を自室化するのに有効アイテムだと思います。あと蜜蝋蝋燭も。それにしても独り分の荷物って少なくていいなあ。重いけど。
新宿からバスで長野までやってきましたが、自然が豊かで美しい場所です。宿泊施設の前には川が流れていて、見渡す限りの山々、そして色濃く咲く花々は生命力に溢れている様子です。
3時過ぎにチェックインして、5時までフリーだったので、荷物を紐解いて部屋をあれこれ作った後、送る約束になっている調合ボトルの分析をして、しばらく悩み、ボトルつくりをしました。
あっという間に5時でしたが、フロントで研修の受付を済ませた後、6時の夕飯までまたもやフリーと言うことだったので、少し早いけど、温泉につかってのんびりしました。風呂上りには、夕涼みの散歩。近所をふらふら歩いて、川まで降りて、水に足を浸してみました。柔らかな良い水です。
夕食で簡単に自己紹介をした後、19時半から最初の講義が始まりました。あらためて参加者全員が、名前と今のレメディをひとつ言っていきました。多くの人がFESのレメディ名を言っていて(まあ、当然なんですが)、FESをほとんど知らない私は早速、学ぶべきことが多い状態に突き当たりました。FES。いつか私にご縁があることがあるのでしょうか。今の私の中には、FESの居所みたいなものが見当たらないのですけれど。
参加者が全員で32名もいるのは、なんだか多すぎるような気もしますが、いろんな意見や質問を聞くことができるだろうと思うと、これくらい多くてもいい感じもします。
最初の講義と言うことで、その後はざっとこの付近で見られるフラワーエッセンスの花々の場所や状態などの説明や、今後のカリキュラムやスケジュールのことが語られました。
そのカリキュラムなんですがね!概要とそれをなぜ学ぶ必要があるのか?と言う簡単な説明だけで、なんだかもうワクワクするというかそわそわしちゃうと言うか、あまりの壮大さに圧倒されたと言うか、とにかくこの1週間の体験は、私にとって、すごいことになりそうです。ど、どうしよう。どうしよう。
何だか巨大な渦巻きが、ぐわーっと私を飲み込んで、錬金術と言うブラックホールに巻き込んでいくような感じです。そこは阿頼耶識?
どうしよう、これが新しい4年間の始まりとか言うのだったら。うーむ。困ります。うーむ。
まあ、いいや。今はまだ困っていないので、困ったことになったら困ろう。そんな心配よりも、この数日間でついていかれるのか?と言うことのほうがずっと「今まさに心配しなくてはいけないこと」です。現実問題として。とりあえず、もう寝よう。