フラワーエッセンス・トレーニング 3日目・午後
2005年08月03日
本日も昼食は取らずにノート整理などをして過ごしました。13時半から希望者で0磁場なるところへ行きましたが、特にそれに関する印象はなく、けれどもかなり高いところまで車で登ったので、周辺の草花や木々の観察が出来たことが良かったです。
帰宅後、お風呂に入って、しばしまったりしました。例の活性化された調合レメディを少しずつ飲んでいますが、なんだかどわ~んと作用して、ポーッとなってしまうのです。
夕方からの講義は、そんなぽーっとなった皆が思わずのめりこんでしまうような、まあちょっと怪しい系のお話でした。なんとなく情報としては得ているけれど、その関係性や実はどうなの?的にぼんやりしていた部分が、一気にクリアになって、すっきりしました。なんだか人間という肉体をもつ生命に愛情を持つなあ。
夕食前にふと思って、いおぴーに電話をしました。りつこには「毎日電話をしてください。」と言われている私ですが、落合の実母に「里心がつくから電話しないほうがいいかも」と昨年言われたこともあり、まあ実際は、それどころじゃなくて電話しなかったんですが、レメディ効果でしょうか、ふと数分の時間があることに気がついて、部屋から電話をしてみました。
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いおぴーにありがちなそっけない電話でしたが、そのそっけない声の裏に少し泣きの気配も見られ、なかなか頑張っている様子です。ちょうど大好きな従兄のミンミンが来ていたので、それも良かった様子。きっと実母が助けを呼んだというところでしょう。
いおぴーとさらっと電話を終えた後、実母に変わると「TVをみるなって言ったの?TVを観ないっていうんだけど。」と言われて「うー、うん。でもTVをみなくて一人で遊べるんだったらTVを見てほしく無いって言った。おばあちゃまにTVを見せないで欲しいと私からは言えないといおぴーには言った。」と伝えると「夕方におじゃ丸を見せないと、私が持たない」と泣きを入れられ「じゃあTVみていいと言ってるって言っといて。」と伝言しました。
無茶を言っているのは、私です。かわいそうないおぴー。挫折感に浸っているかも。ラッキーって思っていてくれるといいけど。私は子供の頃、母に密かに言われていたことを、でも子供だからすべてフォローできずに、敗北感と挫折感を味わった覚えがありますよ。
そんなこんなで私の心のどこか一部分が、ささやかに震えるような状態で夕食を食べました。罪悪感?動揺?寂しさ?うーん、難しいですね。きっと最後にいおぴーの声で慰められて終わりたかったのが、「私からいおぴーに言う?」「いいわ。じゃあね。」ガチャン。と電話が終わったことが誘引だと思います。いつもいきなり電話切るからなー。唐突な人です。彼女なりの愛情なんだと思うのですが。それは。
超活性化レメディのために敏感になっているだけで、それほど注目するような心の動きでもないのですけれど。本当にささやかな揺れ動きです。でもそんなところにまで、この鈍感な私が「あら?」って感じで気付いてみました。
夜の講義は、参加者の一人による「ドクダミ」の研究発表でした。アルケミスト的なアプローチでフラワーエッセンスとしての植物を理解、洞察とのことで、面白く話しを聞くことができました。良い研究発表でした。
ただ最後にレメディとしてのドクダミのメッセージを語られていて、それを私は聞きたくなかったかもしれません。その植物から受け取ることの出来るメッセージはOKですが、レメディとしては~のようなレメディだと思う。というのはそのレメディがリサーチされていない(たぶん、私が知らないだけかもしれません。)だけに、その人の胸のうちにしまっておいて欲しかったです。リサーチして、その結果を改めて植物洞察にフィードバックしたのちにマテリアメディカとして発表して欲しかったかも。
フラワーレメディは、プルービングが出来ませんから、こうやって手探り的にレメディ定義の指針を見出した後に、それにしたがってレメディのリサーチをしていく方法をとるのかもしれませんね。ただ私は、それだと自分の勝手な思い込みや妄想が入り込みやすいんですよね。
例えば、そのレメディ本来が持つエネルギーに焦点をあわせて、このようにサポートしてもらうために使いたいという発言には、やはり抵抗があります。クレマチス的な印象があって。私はやはり、今の私という現実を見据えて「今、癒されるべきは何か?」というところから少しも離れたくないのだろうと思います。
健全な形で花のスピリットを見詰めたり、錬金術的洞察からレメディを広げて、直感を得ていくことは、望んでいることだし、ぜひとも得たいと思っていますが、同時にそこに物語を作り上げるというFearがあります。
確信を持つことを学ぶというのは、まあつまり、そういうことなんでしょうけれど。サミュエル・ハーネマンの悪しき影響かなー。でも実験・実証を私は愛して信頼しているのです。んー。もちろんそれと直感は共存、そして助け合ってより素晴らしい高みへ成長できる可能性をはらんでいるわけですが。
もうちょっと混乱、困惑していようっと。
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