喜んでひれ伏します・2
2005年09月29日
久しぶりにコンサルテーションの日でした。お話を伺いながら、その人の物語を受け取ろうと全身全霊を傾けると共に、目の前のその人が心身共に健全な姿を常に内包している、向こう側にある、というのを身近に感じることがあって、つい嬉しくて笑いがこみ上げてしまいそうになる不謹慎な私です。いや、実際ににやけています。めちゃめちゃ感じ悪いですよね。気をつけなくては。
それって夏のセミナーで書いていた、セッション自体が森になる状態なのですよ。私的には。セッション自体とまで言ってしまったら誇大妄想か。そういう方向性にある気分になるという状態ですね。
また、様々な人たちの物語を受け取るという作業が、私の目から鱗を落としまくっているのです。いろんな方向からボールを投げられているような印象です。ああ!と 思ったり、うう、と思ったり、そういう風に内的な化学反応を興味深く見詰めてもいます。それはねー。単に相手の言ったあれこれに感情があれこれ波立つというのとはまったく違うステイトのものなのです。錬金術だなあ、人生は。
§
コンサルテーションの場にある流れ、螺旋、渦巻きは宇宙の法則とでも呼びたいもので、いつもは自分に抗ったりしてしょっちゅう魂と乖離している私ですが、この場においては喜んでひれ伏してしまいます。それが素直に相手と無意識可においてでも共有できると素晴らしいのですが、まー私が勝手にひれ伏していて、相手は全然そう思っていないこともあったりして、関係性というものは未熟なプラクティショナーにとって、実に健全なバランスが難しいものです。それは命と同様、常にダイナミックに揺れ動いているものなので。
このブログの題名がなぜ「~・2」なのかというと、ちょっと前に藤野のシュタイナー学園でオイリュトミーを体験したときに、そう思ったからです。その喜びを書きたいんですけどね。まあ、書くのかどうかわかりませんが、それを踏まえての2にしてみました。オイリュトミーってそういうものでしょ、と言われてしまえば、その通り!それ以外無し!なのですが(あ、もしかしたらそれ以外にもいろいろあるのかもしれません。わたくし、よくわかっておりません。)、やはりですね。ただ歩いているだけで、そのような喜びに浸れて大喜びしているって、それだけ自分が宇宙の理と乖離していることでもあり、種としてはてしなく乖離している方向性に生きるヒトがそのような人為的な手法でもってその渦巻きに沿うことを得ているんだなーとか思いましてね。歩きながら。もう喜んでひれ伏しちゃうよ、とかなにげに感涙ものだね、とか思った次第です。あ、ここでこんなに書いちゃって、1があったとしたら何を書けばよいのかしらん。しまった。
あー、一口ネタをもうひとつ書こうと思っていたのですが、意識外のところで場を共有しているいおぴーとimasaがあれこれ煩く面白いやり取りをしていて、私の集中力を激しくかき乱したために忘れました。たぶん私にしか面白くないネタだったのだと思いますが。ちょっと気になります。なんだったかなー。
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.io-p.net/mt/mt-tb.cgi/133