2005年11月22日

我が家のセルフケア

そろそろインフルエンザの季節ですね。毎年この時期になるとインフルエンザの予防や対処法についての質問を受けます。我が家がどのように対処しているのか?というのが気になるところでもあるらしいですが「何も考えていない。そして何も対処していない。」のです。理由は「ずぼらだから」です(苦笑)。

病とは何か?予防とは何か?ということが、この対処法を考える基盤として必須な部分だと思います。この健康観というか人生観というかこの世(とあの世も含めて、というとあやし過ぎますか。「虚数の情緒」。って何も関係ないです。すみません。HAOH生徒のみ苦笑してやってください。)の理の上に成り立つこの対処法というやつですが、そうなると一般論というのはなくて、個々の健康観・人生観に成り立つ「その時に出来ること。そうせざるを得ないこと。」でしかないように思います。と、いってしまうと元も子もない感じですか?

病や予防について、それが一体何なのか?ということを自分の内に問い掛けない、自分の家族に問い掛けないままに日常的に病に対峙することを(かつての私同様に)多くの人が無意識にやっていると思いますが、それは実はかなりしんどいことなんじゃないかとおもいます。病気に対する大きな不安を抱え続けて、でも自然治癒を望み、しかもその治癒をサポートする知識をもたないでいることって、まるでふきっさらしの荒野に一人裸で佇んで、しかもその場から動くつもりは全然ない、状態でいるようなものです。

100の対処法よりも一つの指針となる健康観を持ちましょう。そうすれば自分の望み安心できる対処法や治療者がいくらでも芋づる式に付いてきます。その健康観を足掛かりに辿って行かれる道があるはずです。あ、ここではこんな話を書くつもりじゃなかったんだけどつい書いてしまったわ。ついくどくど言いたくなるネタなんですよね。現在の私的に。もう少し成長すればこんなこと言わない私になると思うのですが、まだまだ未熟で(恥)。

あえて我が家の対処法を言うとすれば、できるだけ安定した健全な衣食住を心掛けるということですが、実際は「そうしたい」というレベルであって、ぜんぜん出来ていません(涙)。でも心にはとめています。そしてその視点からの観察ですね。現在どういう状態なのか、この頃どんな生活をしているか、それは気をつけてみています。だから体調を崩したとしてもそんなに驚きません。困るけど。

すんごい低レベルの話ですが、季節の野菜が中心の食事を心掛けて食べ過ぎないようにしています。それから水分の不足に気をつけるようにしています。そして便秘や冷えにも気をつけています。過剰な刺激を受けない日常というのも案外、健康にとって大切なのじゃないかとTVを観なくなってから実感しています。繰り返される(主にネティブな)ニュース情報というのに、実はもんのすごくやられているんじゃないかと思うわけです。

ま、そんなわけで特定の病に対する特別の対処法はしていません。なにか困ったことが起こったときに、困ろうというスタンスです。実際に困ったことになったら、衣食住を含む生活のリズムの見直しと共に、フラワーレメディやセルフケア的なボディワークをためします。足揉みやクレニオセイクラルや野口体操とかゆる体操などです。たいていそこで治癒を見るのでそれ以上のことをする必要は感じないのです。

足湯とかひまし油湿布とかいわゆる手当法やクレイセラピーや腸洗浄などは、すごく効果があるのですが、面倒くさいので、湧き出るような欲求とか、よほどの必要性を感じないとやりません。ずぼらなのです。どうしようもなく。

ティッシューソルトが思い浮かぶような症状であれば、ティッシューソルトも使ってみるかもしれません。ホメオパシーのレメディもこれというのが思い当たれば使いますが、あまり使ったことがありません。「これ」って感じにならないことがほとんどなので(涙)。勉強不足が身に染みるこの頃です。

う。もっと具体的な対処法を書こうと思っていたのですが。なんだかまたもや曖昧なことばかりを書いてしまいましたね。少しずつ対処法の詳細も書いていきたいと思っておりますが、冬が終わらないうちに書くのかな。ワシ。

2005年11月21日

はらっぱフェア

毎回、バッチフラワーのミニセッションをするブースを持っていましたが、今回が保護者として最後のフェアなので、一度くらいスタッフとして働こうなどと思い、チコさんの2代目としてスープ売りをしてみました。

バッチフラワーのブースは、鉄人138号さんにお任せです。お昼までという約束だったのですが、午後の約束の相手もフェアでブースを出してくれていたので、結局、最後まで働いてもらっちゃいました。ありがとうございます。

握っていったおむすびはあっという間に売り切れて、スープもフェアが終わる頃には売れてしまい、なかなかやりがいのある一日でした。雑穀を入れたお醤油とお味噌味の焼きおむすびは、お味噌味から売れていましたね。今後の参考にさせていただきます。

そういうわけで、なべのそばから片時も離れることができずにいたのですが、終わり近くにやっと、LuLu Manjanoことなおっちの前世リーディングを受てみました。ぜんぜん期待もなくただなおっちと話がしたくて受けたのですけど、思いのほか楽しくてよい時間でした。日頃なんとなく私が抱えている不安は、自分のバイタルフォースの強さについてです。実は私の病理はすごく深くて、精神的にそーとーに病んでいるために肉体が強いんじゃないか、とかそんなようなことを常日頃考えているのです。病理が深いとその病に軽い病が飲み込まれてしまうために風邪もひかなかったりするのです。

なおっちの見立てでは、私のこのところの鬱状態は、とっても表面的なもので、内面はぜんぜん健康。まー気のせいみたいな物らしいです(涙)。「なんかさー。病気になりたいみたいなんだけどー。」と言ってみたけど「ぜんぜん、そんなじゃないです」と言われました。ああ。自分の健全なバイタフォースが呪わしいよお。躍進する前の助走のようなもの。より高く飛ぶためにより深くかがんでいるようなものだから。と励まされました。そのわりには長すぎる助走のように思うけど。好きで鬱っているんだろうか。わざわざ体力と気力を使って。愚かだ。あまりに。

さて、なおっちが見たのは産業革命が始まる頃のヨーロッパ。私は農作をしたり手仕事をしたり、大地に根差したスローライフを送っている。世の中の流れは、より効率優先になっていくけれど、私はあえてそれに逆らっている。というもの。現世での私は、これまでその経験と財産で生きていたらしいです。でも今世の私は、ここから何か新しいことを生み出さなくてはいけないくて、それが産みの苦しみを呼んでいるのかも知れません。それは来世にまわしてくれないかなー。私はありものでいいんだけどなー。

そういえば以前タイで占星術をみていただいたときに、縁を感じるのはイタリア、それから糸と針だと言われたことがありました。刺繍とかいいわねーなどと言われたのでした。そのときに(占星術なのに)なぜか語られた前世は、なんらかの競技選手で生涯勝ち続けで負け知らずという人生。常に勝たなくてはならないというプレッシャーを感じていたので、今世では競争が嫌いでしょう?競争を避ける人生を選んでると言われました。確かに私の中に競争って無い。勝ってもそれほど嬉しくないし、でも負けるのは嫌でゲームを楽しめないタイプです。そもそもゲームに興味がないし。確かに負けることにある種の恐怖があるのかもしれないなーとそのときに初めて思いました。出来てあたりまえで、出来ないこと、ハードルを乗り越えられないという選択はない。誰が決めたのかわからないけど、なんだかそれが決まっているようなところがある、と言えばあるのかもしれません。

さて、なおっちのリーディングによるやるべきことは、体を動かすこと。今までやったことがないようなことをやってみること。それを経験して、それを自分がどう受け止めるのかを感じてみることが大切だそうです。そのキーワードとしては、女性性とリラックス。それってストッキングを履くとかそういうことですか!?

後半、RHAがお出ましになってエネルギーを流してくれました。がつんと骨っぽいお方でした。それでよい。出来れば素晴らしいし、出来なくても自分を責めなない。

それにしても今までやったことないことって、なんだろう?
「昨日、やったことないことしたけど。健康ランドみたいな日帰り温泉へ行って、ムームー着て、おやじのカラオケを聞きながらお昼ご飯を食べて、ぜんぜん欲しくないものばっかりのビンゴをやった。」そうそう、そんな感じです。それは楽しかった?「ぜんぜん、楽しくなかった。温泉はよかったけど。」なんか楽しいことにしてください。

やったことないことって、なんだろうか?結構、いろんなことをやったよなー。パンプス履く生活もしたことも(いちおー)あるし、爪を伸ばしていたこともあるし、坊主にしたこともある。「この頃していないことでいいんですよ。スカート履くとか、経済的に許される範囲でなんでもいいからやってみてください。爪の手入れをしてそこに石をつけちゃうみたいなことでいいんです。それで何を感じるかが大事なんです。」とのことなので、女性らしくて気持ちのよいことをちょいと考えてみようと思います。

2005年11月20日

イリドロジー(虹彩学)

虹彩学とは?

ハンガリーで始まったらしい診断法なのですが、瞳の有様を見てその人の有様を理解しようというものです。このハンガリーのDr.Ignatz von Peczery(1826~1911)は、外科医にしてホメオパスだったらしいのです。おおー、知らなかった。イリドロジーとホメオパシーって関係が深かったのか!私は、偶然興味を持ったんですが。

これは、反射区の考え方ですね。一般的には足の裏の反射区などが有名ですが。おおー。こんな本を書いている人がいるのか。面白そうです。

「局所診断治療学―反射理論とその実際」 吉元昭治(医博)著

この瞳の反射区図は、アメリカのDr.Bernard JensenとイギリスのMr.James Coltonのものが一般的なようですが、中国でも研究されている様子。

ずいぶん以前から勉強してみたいと思っているのですが、日本で学べるようなクラスがみつけられずに今に至っております。どこかで臨床のための勉強ができないかなー。

日本語での書籍もあまり充実しているとは言えず、とりあえずアマゾンで扱っているのは、この2冊でした。

「眼をみてわかる健康診断―健康上のリスクを突きとめる画期的な実践虹彩学」
ピーター ジャクソン・メイン (著), Peter Jackson‐Main (原著), 鈴木 宏子 (翻訳), 野田 邦雄


「診断革命―虹彩診断による治療と予防」
 新城 三六 (著)

この新城先生という方は、大阪で鍼灸治療院を開業されていて、東洋虹彩分析協会というのを主催されていらっしゃいます。一度、行ってみたいです。ぜひとも。

治療院および協会のウェブサイト上に虹彩分析の研究を発表されているのみならず、「ハリックの診断即治療&虹彩」というブログも持たれていて、積極的活動されている様子。気になります。

で、この虹彩の写真をどうやってとるのか?というのが臨床に興味がある私としては気になるところなんですが、日本でも何社か虹彩を撮影する機械を作っているのですね。それはほとんどイリドロジーのためではなくて、虹彩による個人特定のための機械なのですが。

アイリテック株式会社という専門会社があるのを発見しました。I-CON 2000なんか素敵じゃないですか。

携帯用もあって、手ごろな値段なのでこれが使えるんだったら便利だなー。

あとは虹彩占いなんていうのもあるらしく、これもイベント用などに使用するためのソフトが売られています。高そうだけど。(前述のアイリテック社では、ゲーセン用のプリクラの機械みたいなものもあるんですね。)

これを見ると虹彩の撮影には、普通のデジタルカメラでもOKのように見受けられますが、本当?と思ってちょこっと調べたら新城先生のブログに書いてありましたよ。素敵。でもどうやって撮影するのだろうか。謎は深まるばかり。

あちこちさ迷い歩いていたら、鳥の虹彩を撮影するノウハウが出ていました。インターネットって深い。

いろいろとインターネット上をさまよってみましたが、私が検索した限りでは(ということは、あまり当てにならないということでもありますが)、日本でちゃんと臨床・研究しているのは、もしかしたら新城先生くらい?なのでしょうか?

2005年11月19日

ぼちぼち行こう

ここんところ忙しさが加速していたのですが、その必然としていおぴーのアトピー発症・悪化があり、ますます私の日常が複雑にそして拘束されることも多くなり、そして仕事や勉強がたまっていくという悪循環が繰り返されています。

台所に立つ時間が増えたのは、良いことかもしれないです。

化石と化しつつあるmobile gear mk1を我が家の押入れから復活させてみました。これを持ち歩いて、少しずつブログネタを書いていこうともくろんでいますが、今のところそんな時間が取れたのは、1回だけ。そもそも集中して能動的なことが出来る時間帯に、一人で作業することが出来ないことが問題なのでわ?まあ、そんなこんなな状況ですが、今、強引に昼寝をしてちょっと復活しました。ブログもぼちぼちやっていくです。

2005年11月06日

ホメオパシー国際セミナー

毎年恒例、ハーネマンアカデミー主催の国際セミナー。今年は、ジェレミー・シェア氏4日間のセミナーがありました。その輝かしい経歴などから事前に想像していたジェレミーとは、印象がずいぶん違いました。自分がどんどんと花開いていく感触があって、想像していたよりもずっと良い時間を過すことができました。嬉しい。

プルービングの実践によって、私たちの口からそのレメディの言葉を見出すこと。その言葉を足がかりにそのレメディのクオリティを見出そうという作業。そのクオリティを見出す作業を経て、私たちのクオリティにより近づいていこうというあり方。そのどれもが、私をしてジェレミーによるプルービングのあれこれを再認識させるものでした。

より個人的な作業というか人生の過程での必然としてのプルービングであり、臨床であり、教育であるのでしょうねえ。そこに健全さや誠実さ、そして私たち生徒へ同じように手渡されている何か、を感じます。先日、はらっぱ園のミーティングでのお祈りのときに(全体ミーティングは、いつもお祈りから始められます。)「この世の闇がますます深くなっていく中、私たち一人一人の心にともした灯りをより輝かせていく」と言う言葉がありましたが、それですよね。それ。

私たちがこの世の現象に対して忠実に、そして誠実に向き合うこと。そのための、そのような日常を送ることによって、私たち一人一人が心の光をより輝かせることとなり、それがより善きホメオパスへの道であります。その一人一人の日常(日々の臨床や実験実証、そしてその発表や教育)の集大成によって、より現実感のある、信頼に足るホメオパシーというものが存在するのではないかと思うわけです。

人がどのように人に肉薄していくのか?どのようにこの世界を読み解いていくのか?とぐーっと入り込んでいくようなサンカランを中心としたボンベイグループや自然科学的な視点からマテリアメディカを再構築しているマッシモ・マンジアァラヴォリ、周期律表に宇宙を見るショルテンなど、自分の力で手がかりになるものを見出していく努力を続けて、臨床を重ねることで内的な光を輝かせようとする個々のあり方が、ホメオパシーという大きな世界を作り上げているのでしょう。

ジェレミーは、なにか彼の信ずる根底があって、それを生きようとしているのを感じます。万物の法則に沿ったものであるところのホメオパシーを愛し、それを生きているわけですが、もしこの世にホメオパシーが無くても同じような生を生きるのだろうと、ホメオパシーが無くても終わらないのだろうと感じました。

ま、そんなこんなことは、私の勝手な妄想ですけどね。

もちろんホメオパシーの世界に於もホメオパシー業界と呼びたくなるようなものはあるわけで、その場でどっぷり生きている人の何かは、ホメオパシーがなくなると、なくなってしまうのでしょう。そこにはクオリティとかエッセンスとか呼びたくなるようなものは無いのだろうと思います。

白鳥のレメディ(Cygnus cygnus)の解説で、いくつかの神話や伝説の物語が語られました。ちょうど夏にまとめて河合隼雄氏の著作を読んだこともあって、キャッチーでしたね。なんだか。「昔話と日本人の心 」などに語られているように、世界のあちこちで共通した物語が見られることとレメディのクオリティというものに共通する何かを感じました。なぜ、すべての命あるものにレメディが共鳴するのか。そしてまた独自の特殊な物語のあり方の中に、日本人の言葉で語られるマテリアメディカの必要性や可能性を感じるのでした。それは相反するようなことではなくて、同じひとつのレメディの中にあるものです。

Cygnus cygnusについては、「Dynamic Provings Volume II」という書籍に詳細が記載されているようです。別種の白鳥のレメディ(Cygnus Bewickii)のプルービングに関してはウェブ上で詳細を読むことが出来ます。

どのように自分自身の感覚や思考を通してレメディや命のユニークさに光を当てていくのか。それは自分自身を見出す旅でもあるのでしょうねえ。あー。なんか私。自分が「いってらっしゃ~い。」と旅に出る人を見送る側にいるような気がします。ホメオパシーの学校に在籍していながら、そんな場所にいる気がする自分て酷過ぎます。無責任にして怠惰すぎませんか!それは。

せめて線香くらいの明かりしかない私の心の灯火を消さないようにしないとね。すんごいレベルの低い目標ですが。

またノートを読み返しつつ、ジェレミーの素晴しき旅について妄想を広げましょう。