ホメオパシー国際セミナー
2005年11月06日
毎年恒例、ハーネマンアカデミー主催の国際セミナー。今年は、ジェレミー・シェア氏の4日間のセミナーがありました。その輝かしい経歴などから事前に想像していたジェレミーとは、印象がずいぶん違いました。自分がどんどんと花開いていく感触があって、想像していたよりもずっと良い時間を過すことができました。嬉しい。
プルービングの実践によって、私たちの口からそのレメディの言葉を見出すこと。その言葉を足がかりにそのレメディのクオリティを見出そうという作業。そのクオリティを見出す作業を経て、私たちのクオリティにより近づいていこうというあり方。そのどれもが、私をしてジェレミーによるプルービングのあれこれを再認識させるものでした。
より個人的な作業というか人生の過程での必然としてのプルービングであり、臨床であり、教育であるのでしょうねえ。そこに健全さや誠実さ、そして私たち生徒へ同じように手渡されている何か、を感じます。先日、はらっぱ園のミーティングでのお祈りのときに(全体ミーティングは、いつもお祈りから始められます。)「この世の闇がますます深くなっていく中、私たち一人一人の心にともした灯りをより輝かせていく」と言う言葉がありましたが、それですよね。それ。
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私たちがこの世の現象に対して忠実に、そして誠実に向き合うこと。そのための、そのような日常を送ることによって、私たち一人一人が心の光をより輝かせることとなり、それがより善きホメオパスへの道であります。その一人一人の日常(日々の臨床や実験実証、そしてその発表や教育)の集大成によって、より現実感のある、信頼に足るホメオパシーというものが存在するのではないかと思うわけです。
人がどのように人に肉薄していくのか?どのようにこの世界を読み解いていくのか?とぐーっと入り込んでいくようなサンカランを中心としたボンベイグループや自然科学的な視点からマテリアメディカを再構築しているマッシモ・マンジアァラヴォリ、周期律表に宇宙を見るショルテンなど、自分の力で手がかりになるものを見出していく努力を続けて、臨床を重ねることで内的な光を輝かせようとする個々のあり方が、ホメオパシーという大きな世界を作り上げているのでしょう。
ジェレミーは、なにか彼の信ずる根底があって、それを生きようとしているのを感じます。万物の法則に沿ったものであるところのホメオパシーを愛し、それを生きているわけですが、もしこの世にホメオパシーが無くても同じような生を生きるのだろうと、ホメオパシーが無くても終わらないのだろうと感じました。
ま、そんなこんなことは、私の勝手な妄想ですけどね。
もちろんホメオパシーの世界に於もホメオパシー業界と呼びたくなるようなものはあるわけで、その場でどっぷり生きている人の何かは、ホメオパシーがなくなると、なくなってしまうのでしょう。そこにはクオリティとかエッセンスとか呼びたくなるようなものは無いのだろうと思います。
白鳥のレメディ(Cygnus cygnus)の解説で、いくつかの神話や伝説の物語が語られました。ちょうど夏にまとめて河合隼雄氏の著作を読んだこともあって、キャッチーでしたね。なんだか。「昔話と日本人の心 」などに語られているように、世界のあちこちで共通した物語が見られることとレメディのクオリティというものに共通する何かを感じました。なぜ、すべての命あるものにレメディが共鳴するのか。そしてまた独自の特殊な物語のあり方の中に、日本人の言葉で語られるマテリアメディカの必要性や可能性を感じるのでした。それは相反するようなことではなくて、同じひとつのレメディの中にあるものです。
Cygnus cygnusについては、「Dynamic Provings Volume II」という書籍に詳細が記載されているようです。別種の白鳥のレメディ(Cygnus Bewickii)のプルービングに関してはウェブ上で詳細を読むことが出来ます。
どのように自分自身の感覚や思考を通してレメディや命のユニークさに光を当てていくのか。それは自分自身を見出す旅でもあるのでしょうねえ。あー。なんか私。自分が「いってらっしゃ~い。」と旅に出る人を見送る側にいるような気がします。ホメオパシーの学校に在籍していながら、そんな場所にいる気がする自分て酷過ぎます。無責任にして怠惰すぎませんか!それは。
せめて線香くらいの明かりしかない私の心の灯火を消さないようにしないとね。すんごいレベルの低い目標ですが。
またノートを読み返しつつ、ジェレミーの素晴しき旅について妄想を広げましょう。
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