2005年12月16日

久しぶりにブログ更新

モバイルギアでちょこちょこブログを書いていくというアイディアは悪くない感じですが、PCへのデータ移行が面倒でついそのまま放置しているうちにもう12月も半ばに。ええー。驚き。

やっとこんな時間までかかって今まで書いたものをアップしました。ふー。8時過ぎから始めて今までかかっちゃうなんてどういうこと!?自分の人生が何のためにあるのか、ふと疑問に思う午前3時です(涙)。
ちょこっと遡って書いているものもあります。

ホメオパシー国際セミナー(2005年11月06日)

骨董品級の代物でありながら、電池の持ちもよいし、なかなか検討してくれているモバギくんですが、いかんせん文字変換が苦手で困ります。キーボードも重くて煩いし。あああ。適切な文字変換が5割くらいの確立でしか出来ない上に、文字変換の動作も悪くてすんごいストレス!何とかならんのか。地道に辞書登録するしかないのか?バッテリーの駆動時間が長くて小型のノートが欲しいよ~。と思って、衝動的にいくつかの懸賞に応募してみました。すんごい脳みその無い行動だ。眠いです。

2005年12月14日

「定本育児の百科」


「定本育児の百科」

  • 松田 道雄 (著)
  • 岩波書店
  • 価格: ¥3,990(税込)

いおぴーが生まれたときにお祝いとしてR-chngから贈られた書籍です。この本に出会わせてもらって、本当に感謝しております。

この書籍は、「最新育児の百科」として1967年の発行以来、何度もの改定を繰り返し150万部以上も売られている大ベストセラーです。その後、1999年の3月に「定本育児の百科」として出版されました。定本版には最後のあとがきが1998年の春に書かれていますが、著者は、1998年6月1日に数え90歳でなくなっています。

あとがきには

「育児の百科」の生命の長さは、この本が私ひとりの作品ではなく、お母さんたちとの共同の作品であるからなのだ。私が不在になったからと言って絶版にするのは、著者の自分勝手というものだろう。それで医学の進歩で変わりやすい部分(新薬の名、病気の死亡率)だけ外して定本として続刊することにした。」
とあります。自らの死をまっすぐに受け止めて、この人生をきれいに仕舞っていく美しい姿勢に感動させられます。亡くなる前日も「育児の百科」の改訂資料にする欧米の医学雑誌を読んでいたそうです。

この書籍を読んででいると、常に子供の立場に立ち、母親を安心させることを大切に考えていることが、扱うテーマや語り口から深く受け取ることができます。とにかく痒いところに手に届くような、どこが痒いかを気づかせてくれたうえにその対処法やそれに伴うこちらの心の不安まで温かく癒してくれるような、もーこれ以上ないくらい懇切丁寧に、さまざまなことが書かれています。

妊娠時のことから、父親へのメッセージ、出産時のこと、生まれた日のすごし方から生後1週間までのこと、半月までのこと、1歳までは1ヶ月刻みに、その後6歳までは1年ごとの項目になっていて、親の不安を実によく理解していて、心にぴったり寄り添うような語りかけをしてくれるのです。

核家族化が進み、女性の智慧の伝承が失われている時代に、日本の風土や文化的な基盤に立った育児という視点、そして小児科医として親子と関わり続けること(ラジオの育児相談をしていたこともあるそうです)で時代や家族のあり方という日常の視点を失うことなく、発言されているために、新米母としては常に半歩先を誘導してもらっているような安心感を感じることができます。

働く母親にも温かい眼差しを投げかけていて、保育園に関する長文の項目も設けられています。また家にいる子供、集団生活で暮らす子供への配慮も、父親や周りの人がどのようなサポートをするのかと言うことを含めて月例ごとに丁寧に書かれています。四季の過ごし方まで事細かに書いてあるんですよ!確かに月例が同じでも夏の5ヶ月児と冬の5ヶ月児では、出会う問題が違いますよね。

索引も細かく作ってあり、すぐに探したい項目を見つけることができる点も素晴しいです。なんと「育児の百科 CD-ROM版」というのが発売されていました。検索に関しては、こちらのほうがずっと優れていると思いますが、この本を枕元において、赤ちゃんが寝た隙にちょこちょこ眺めたり、心配な項目を繰り返し読んだりしていたことを思うと、やはり書籍がいいかなと思います。

すべてのことは子供が教えてくれます。子供をよく見ましょう。と良心的な育児関係者からの発言があり(私もそういうことを言ったりするなー。反省。)、書籍もありますが、聞いたこちらは「じゃあ、どうやったらそれができるのよ?」と迷いと不安の中から魂の叫びを上げるわけです。その解決がこの本にはあります。赤ちゃんや母親にどんなことがあるのか?それをどうやってみていくのか?心配することは何で、心配しないでよいことは何なのか?と同時にそれを家庭でどうやって対処するのか?医師や実家、近所の人の話をどのように受け取ればよいのか?

1967年の初版の長いあとがきは、そこだけでも一読の価値がある素晴しい内容です。

「この本では、できるかぎり子供の立場に身を置いて、育児を考えようとした。子供の成長は、ひとつの自然の過程である。自然には自然の摂理がある。風土に密着した民族の長い生活は、たえまない試行錯誤によって、この自然の摂理に適応していった。日本の風土にふさわしい育児は、こうして民族の風習として形づくられた。<中略>子供の立場に身をおこうとするならば、子供にいちばんちかい母親の立場に近づかねばならぬ。子供の自然の成長を尊重するためには、母親におしつけられた不自然を最小にせねばならぬ。不自然とは、不必要な商品をうりつける広告であり、不必要な注射をする「治療」である。」

「医者は医者であるがゆえに信頼されるのでない。どの医者を信じ、どの医者を信じないかは、病人の選ぶことである。自由世界で、医者だけが自由競争から免除されるというのはおかしい。げんざいの官僚式の保険制度が、医者に自由を忘れさせ、病人を愚民あつかいさせているところもみおとせない。公正な裁判官が人民の目をおそれないように、公正な医者は子どもを憂える母親をうるさがらぬだろう。裁判が無実の罪の人を罰してはならぬとおなじに、治療は不必要な注射で子どもをくるしめてはならぬ。」

「私は、この本が保健所ではたらく人たちによまれることを期待する。甲種合格の兵隊をつくるための「健兵対策」として出発した保健所ではあるが、もう画一的な育児指導から脱却しなければならぬ。子どもの成長には、さまざまなのタイプがあっていい。「標準体重」によって優良児と不良児とを区別すべきではない。乳児の指導では、個性に応じて、未経験の母親をはげましてほしい。」

治癒という自然の摂理を大切に思い、命をまっすぐに見ていこうという真摯な態度と孤立する母子を温かい眼差しで包んでいこうという優しさにあふれています。1967年に書かれた文章ですよ。

大ベストセラーとして世代を経て支持されている内容であるということは、多くの親の望むところが提示されているということであるはずなのに、40年近く前の苦言に現在も同意してしまえるのは何故なのでしょうか。母親による小さな育児支援グループがあちこちに活動を続けているのを心の頼りに、少しは前に進んでいる、そのような状態から開放されつつあると信じていたいです。

晩年、著者は、老いること、死ぬこと、また高齢者医療や介護に関する発言を積極的にされていたようです。
「われらいかに死すべきか」
「安楽に死にたい」
などの著作があります。彼の著作リストを見て、育児や医学の他に思想や歴史の本なども著していることを知りました。彼の思想家としての側面を私はほとんど知らないので、これから少しずつ読んでいきたいと思っております。

松田 道雄先生の活動暦をアップしているサイトからいくつかの文章を読むことができます。
また松田道雄文庫の展示会紹介のサイトで
娘さんのインタビュー
を読むことが出来ます。

軽く書籍紹介をするだけのつもりだったのですが、調べていくにつれあまりに興味深い人物で、つい長くなってしまいました。

2005年12月04日

明け方の夢2

ホメオパシーのセミナーに参加している夢。そこから場所を移動するときにHさんの双子の赤ちゃんのうちの一人を預かることになる。まだ生まれて1ヶ月もたたないような赤ちゃん。

移動した先は、医者の集まりで100人以上の人ががやがやと集まっている。横広がりの教室のようなところ。講師らしき人が今後の予定などをあれこれ話をしている。プリズマの翻訳の予定があるようだ。あとどの書籍を翻訳していくのかの話し合いが続けられて、ケントのレパートリーがいらないんじゃないかということになっているらしい。隣の人がケントのマテリアメディカもいらないといっている。

そこで私が猛烈に力説し始める。サンカランの「soul of remedies」にも最後にケントとファタックのマテリアメディカからの引用がある。それは原典を読んでいるという前提に基づいて書かれているものであって、それだけを読んでもその真意を理解することは出来ない。サンカランがケントやファタックのマテリアメディカをどう読んで、どの部分をどういった意思で引用しているのか?ということを理解するためには、その読者も両方のマテリアメディカを読んでいるという前提が必要だと熱く語る私。なんだか皆も説得されている。

そこでふと机に寝かされている赤ちゃんに気づく。寒そうにしていて、なんだか少し干からびているみたいな印象。慌てて抱き上げてゆするが力なく抱かれている。もしかしたら、自分がまだ授乳できるかもと思っておっぱいを含ませて見るが、少しだけ吸うとぷいっと吐き出してしまう。少し脱水気味なのだろうか?

そういえば、ずっとオムツも替えていない。オムツと哺乳瓶、ミルクなどの調達を考えて、赤ちゃんを抱いて買い物に出かけようとする。隣の人たちが心配をしてあれこれ私に話しかける。外に小さな薬局があることを私は知っていて、その店にミルクがあるかどうか思いをはせてみるけれど、ふとこの赤ちゃんがミルクを使うときは、アレルギー用のミルクを飲んでいることを思い出して、それが売っているかと不安になる。とにかくどうにかしなくては、と平静を装っているわたし。赤ちゃんは大丈夫だというのはわかっているけれど、赤ちゃんのことを忘れていた自分に対して取り返しのつかない感じの罪悪感と落ち着かない不安感を抱く。

2005年12月03日

明け方の夢

芝居の夢。昔風のつくりの芝居小屋、出たところで飲む。江戸歌舞伎といった感じの様子だけれども、人も多く色も非常にカラフル。紙吹雪が舞っている、まるで映画の一場面のようです。

テーブルは、やけに高い場所にしつらえてあって、しかもぐらぐらとする常にバランスを取っていないとならない椅子に座って私たちは飲んでいる。最初は、hana-changとそうやって飲んでいるけれど、ふととても危ない場所で飲んでいることに気がついて、非常に怖い。バランスを崩すと落ちて死ぬ感じ。でも平静を保ってなんとかバランスをとりながら、安全な場所は無いかしら、とも思い、おしゃべりしつつも周りをきょろきょろと観察している。

楽屋で座長のKさんにふと呼び止められて、絵の個展をするから観に来てほしいと言われて案内状をもらう。とても嬉しい私。同時にその個展の様子を観る。客席を全部はずした箱型のがらんとした劇場で行われた個展は、とても盛況で、内容は、今まで芝居のポスターなどに使われてきたもの。でも本当のKさんの絵とは違う。歌舞伎絵を少し洋風にした感じのもの。とても素敵な絵だ。

2005年12月02日

いおぴーの学校は

いおぴーの来年の動向について主に「学校、どうするの?」「学校、決まった?」というような問いかけで聞かれることが多い夏から秋にかけてのこの数カ月ですが、実はあまり考えていないのですよ。あまりっていうか、きちんとそのことを考えたりしていないのです。

ここでこうありたい!ていうのも特にないし、どうするかの幅があまりに広くて、しかも自分の生活そのものもそれによって大きく変化せざるを得ないというこもあり、ぜんぜん消極的。もー「流されて2」って感じ。(いや、得に深い意味はありません。)

ずっとホームスクーラーにするつもりだったし。私が面倒を見るわけじゃないけど。imasaが「おとう学校」で過ごしたいなら、今でも基本的にはそれでいいかと思っています。ただ、はらっぱ園に通っていて、この数年間の園での生活によって学校へのレールがいおぴーのなかですっかり出来上がっているので、それが難点です。もう次は学校しかありえないって感じになっています。

私の中でのあれこれは、どれくらい幅が広いかというと、寺子屋的なものを立ち上げることとか、三鷹プロジェクトを蒸し返すとか、タイの田舎の学校へ行って遊んで暮らすとか(バンコクにヴァルドルフ学校があるらしいのでそれもいいかも)、インドでクリシュナムルティの学校に行くとか、バンクーバーとかNZヴァルドルフ学校もいいなとか。やっぱり暖かいところで日本語が通じたほうがいいから沖縄かな、とか。沖縄には、行ったことないんですけどね。

漠然とそんなことを思っていつつ、現実のエネルギーに流されて結局今のところ、やったことは藤野シュタイナー学園に願書を出しただけです。あ、あと伊達にも遊びに行きましたが。その時に、いずみの学校の校舎をちょろっと見せてもらいました。友人が京田辺にいて話をいろいろ聞いたけど、結局遊びに行くこともなく、横浜シュタイナー学園とか賢治の学校とか国立のとか見に行くのかな?と思っていましたが、行かないままに来年度の募集は皆終わっているような状態です。

関東の冬が本当に嫌いなので、藤野に住むなんてあり得ないのですが、知人も多いし、コミュニティとしてさまざまな経験を経ているし、なんといってもワイリーコヨーテさんのお傍に。という気持ちから願書を出して、親が2回、子どもが1回面談に行きましたが、先日不合格の通知が来ました。やはりご縁は、無かったようです。シュタイナー教育的にみたら、ぜんぜん違和感ある親ですし、ワシ。

目覚め過ぎているいおぴーの脳もヴァルドルフ学校では、問題児。でもだからこそシュタイナー的な教育の場が必要だと思うんですけどね。現代の一般的な教育の場では、いおぴーのような子どもは、きっとクラス運営に利用されるか、嫌がられるかどちらかだと思うから。自分でどんどん頭を使って学んでしまうのをまっとうな意味で問題にしてくれる場が必要だとおもうんですよ。いおぴーには。

はらっぱ園での3年間で実際にねじが緩んでいくいおぴーをみて、教育の力をいやがおうにも実感させられているのです。そして、せっかく育てたこの「阿呆」をこのまま大切に育てたいわけです。失うのは簡単ですからね。でもって、そもそも頭をどんどん勝手に使ってしまう場が我が家にあるわけですよ。なんかシャープさというか突っ込んでいく感じが。だからこそいおぴーがそんな娘としてわが家にいるんだと思うのですが。

いおぴーもきっといろんなことを心配しているんだろうなと思いますよ。かーちゃんが身勝手な呆けで、何時いなくなるかわからないとか、まーいろいろ。ああ。なんか書いていて呆れてきました。親失格な自分。(涙)

大きな希望は、これまでずっと周りの人や場に恵まれてきたということですかね。いおぴーが持って生まれて来れた徳だと思います。おかげさまでそんなひどい親の元に育ちながらも、いおぴーはこの世の中や命を信頼して、安心して生きているように見えます。公園でもしょっちゅう知らない人とおしゃべりして、いつのまにか自分の遊びに巻き込んでいるし。彼女にとってこの世界はとても安全で、安心して自分でいられる場のようです。

そしてはらっぱ園という素晴らしい環境でどんどん頭のねじも緩んでいるし。今、時系列がバラバラです。先生にも「若返りの水を飲んでいる」と言われています。本当にこんなことがあるのですね。この経験がなかったら、教育の力というものの価値を本当には解らないでいただろうと思います。命はどんな環境であっても善く生きるものだということだけを思っていたし、どんな環境でも幸せに生きると思っているので。でもだからといって「教育の力」という実に大きな刺激のことを考えなくてよいということでは無いですね。まー結局は、常に我が家にとっての最善は、そして必然が何か?ということでしかないとも思いますが。その辺は、健康を考えることと同じかな。

藤野シュタイナー学園から不合格の通知をもらうのは、ある種の権威から否定されるようなことで、矮小な私は何か切り捨てられるようなショックをどこかで受けています。が、実際のところ、自分のcentre of the caseにフォーカスすると捨てられて当然というか、そこにこの物語の中心がないのだから学校側も受け入れようがないのだろう。ということがわかります。なので心の奥底で自分でも気づかないくらい僅かに、そして落ち着きなく共鳴しているのは、学校がどうこうということとはまったく関係の無い、私の個人的な何かなのですね。なんだかどんどんと重箱の隅の小さな何かを掘り起こしていくことが、勝手に進んでいるんだなあ。これが超感覚への入り口となっていくのでしょうか。ほんとに?

私たち家族にどんな素晴しい場が用意されているのか、今の私には知る由もありませんが、ふさわしい場が用意されているのだという妙な安心感、信頼感のようなものが確固としてある。ので、すべてはおまかせで流れていくことにします。それにしてもどうしてimasaは、あんなに安心していられるのでしょうか。善き子ども時代をすごしたからでしょうか。人生や自分に対して、すんごい信頼しているんですよねー。私も占いで言われた座右の銘であるところの「果報は寝て待て」を忘れないようにしなくちゃ。