誕生まで 第1話

マレーシア旅行直前、妊娠判明!

99.03.22~23

99年3月末、この頃はとにかく、死ぬほど忙しかったのだ。何せこの3ヶ月、正月2日と2月に2日休んだきり、あとは会社に出ずっぱり、帰宅は毎日0時過ぎ。そんな生活に不満のShokoは一人でマレーシア旅行を計画している。それもまあ仕方ない、むしろこっちも気が楽なのでせいぜい楽しんできてくれよといった感じだった。そんなある日、いつものように深夜帰宅すると、これまたいつものように彼女はすでにベッドの中。しかし「お帰り」に続く言葉はいつもと違った。

「妊娠したよ」

一瞬固まったが、疲れで反応が鈍っているせいか大して驚きもせず、「何で判ったの?」と尋ねる。病院で確認したわけではなく、妊娠判定薬を使った結果らしい。妊娠判定薬の的中精度がどんなものか知らないが、何となくせいぜい50%くらいなモノとその時は思ったので、宝くじを買っただけで当たった気になるのと同じくらい早まってるなコイツと思いつつも、「とりあえず病院行かなきゃ」と無難なせりふを吐いておく。実際、明後日には旅行に出発の予定だから、その前にはっきりさせた方がいいに決まっている。とにかく眠いのだ。後は明日にしてくれ。しかし当然のように彼女は続ける。
「どうする?」
我々の生活に子供は必要ないということでこれまでのところ意見は一致していたが、彼女の中では一度は子供を生みたいという気持ちもあったろうから、どうすると言われてもむげに要らないと言う訳にもいくまい。僕は基本的に常に前向きがポリシーなので、本当に妊娠しているのならそれはめでたい!という気持ちに瞬時に切り替えられる準備はあったが、ここで手放しで歓ぶのもしらじらしい。彼女の機嫌を損ねない、何か気の利いたことを言わねば、と考え、生まれるとしていつ頃になるのだろうとすばやく計算する。できたのが2月として9ヵ月後だから…
「せっかくだから平成11年11月11日に産もうか」

その後ほんとに産むの云々といった会話が続いたように思うがもうよく憶えていない。自分的には平成11年11月11日というのがかなり気に入って、ほんとにそうなるといいなあなどと思いつつ眠りについたのだった。

§

翌日、いつものように帰宅は深夜。そして彼女の第一声は、
「最悪」
何がどう最悪なのかを聞いてみると、とりあえず今日近所の東京衛生病院に行って診察を受けたらしい。この病院の産婦人科はその筋では有名のようで、そう言われればよくそこの通りを妊婦が歩いているのを見かける。担当はジイ様の先生で、診断の結果やはり妊娠しているとのことだった。予定日は11月10日。惜しい。そこまではよかったが、ジイ様先生曰く、
「切迫流産しかかっている。4週間は自宅で安静にするように」
これにはちょっと動揺したが、まあなるようにしかならんとすぐに思う。それよりも彼女にとっての「最悪」は明日出発のはずだったマレーシア旅行をキャンセルするはめになったことらしい。

エコー写真(03.23)@東京衛生病院

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