誕生まで 第7話

ドキュメント「一番長い一週間」

99.11.01~05

99.11.01

今日Shokoが一人で区役所に婚姻届を出しに行く予定だった。が、僕がうっかり署名せずに会社に出かけてしまったため、11/1入籍を断念せざるを得ない状況に。念のため区役所に何時まで受け付けているか聞いたところ、婚姻届は夜間でも受け付けているそうで、Shokoと待ち合わせ、阿佐ヶ谷のデニーズで署名して、ついでに夕食を取ってから区役所に行き、夜9時に入籍を済ませた。区役所から荻窪の我が家まで秋風に当たりながら、二人で歩いて帰った。ここ1ヶ月Shokoが毎朝散歩している道だ。歩きながら今日の出来事について話す。夕方、Aクリニックに呼び出されたShokoは、やはり早急に帝王切開をすべきだと説得されたそうだ。予定日まで待ってもし万が一何かあった時(破水など)、手遅れになる可能性がある。そうなる前に、一刻も早く、というわけだ。頭で理解はできるが、感情的にどうしても納得がいかない。何のために苦労してレントゲンまで撮ったのか?というA先生への不信感もつのる。うさも予定日までには元に戻るかもという一縷の望みも捨てられない。よく話し合って、明日二人で来いと言われたらしい。よし、俺がばっちりA先生を説得してやる。まかせとけ!

99.11.02

朝、そろってAクリニックへ行き、Shokoが昨日されたのと同じ説明をもう一度二人で聞く。逆子での経膣分娩がいかに危険か、時間が長引くと酸欠で脳までやられるとか、万一破水した場合、頭で塞がっていないため羊水が出てしまい、手遅れになる可能性が高いなど、図まで使って説明されると、昨日の勢いは何処へやら、すっかり弱気になり、説得されかけている僕だった。少し時間をもらい、別室でShokoと話す。Shokoもすっかり説得され、もはや帝王切開は止むを得ないで意見の一致を見た。しかしやはり、うさが自力で戻るという一縷の望みだけは捨てきれず、予定日の10日まで猶予をもらいたい、手術は11日でとお願いした(別に11月11日生まれに拘った訳ではないのだが)。A先生には、逆子の手術が予定日より後なんて聞いたことがないと呆れられたが、それでも帝王切開の決断をしてくれて嬉しいと言ってもらった。ただし、手術までは安静にし、遠くへ出かけず、何かあったら即刻緊急手術をすると約束させられた。そして1日も早く手術する決心ができたらいつでも来いとも言われた。さんざん足掻いたあげく、結局帝王切開することになり、どんよりとしている二人のところに、こっそり麻由美さんがやってきて、
「明日、いいお産の日っていうイベントがあるんだけど、行かない?」
と誘ってくれた。A先生には遠出をするなと釘をさされていたが、イベントには産科医や助産婦が大勢いるから、万一何かあっても大丈夫と明るく言われ、気分転換に行ってみることにした。

99.11.03

今日は文化の日だが、1103(イイオサン)の日でもあるらしい。全国の助産婦さんの有志が集まって開いているイベントだそうだ。Shokoと僕、麻由美さんと3人の子は新宿駅で待ち合わせ、会場の大井町へ向かった。イベントは講演あり、育児関連の書籍や育児グッズの出店あり、体験コーナーありの盛りだくさんな内容で、思った以上に充実していた。ラレーチェ・リーグ(母乳育児の会)の講演は、とても参考になった。具体的な内容は忘れたが(だめじゃん)、ちょっとウルウルしてしまったことを良く憶えている。うさも母乳だけで育てられたら良いなあ。妊婦や乳幼児を連れた母親(それも出産育児に積極的な)が一堂に会して気のパワーが集まっているのか、こちらまで出産や育児に関しての意欲が高まってくるような気がした。Shokoとふたり、昨日までのかなりへこんだ気持ちもずいぶんと楽になり、
「 来て良かった。来年はうさと3人で来ようネ」
と肯き合うのだった。ちなみにこの日、麻由美さんに逆子が直るホメオパシーのレメディを処方してもらい、 結局直りはしなかったものの、うさがグニグニとお腹の中で動き回り、Shokoはこのときホメオパシーの威力を初体験したのだった。出産後Shokoがホメオパシーに傾倒していくきっかけとなる出来事だった。今にして思えば、あれを3日間続けたら本当に逆子が直ってたかも、とShokoは遠い目をして語る。

99.11.04

Shokoが整体に通っている松ヶ丘治療院に併設されている松ヶ丘助産院の宗先生から電話があった。整体の先生の話では非常に調子がよく、出産に適した体になっているというのに、帝王切開しなければいけないとはもったいない。ついては、松ヶ丘助産院が提携している代官山育良クリニックの浦野先生に、受け入れてもらえないか相談してみてくれるというのだ。なんという天から降ってきたような救いの声。育良クリニックは自然出産で定評があり、逆子でもよほど問題がないかぎり経膣分娩をするという。ぜひお願いしたいというと、ただ浦野先生は超多忙で、不機嫌なときに話し掛けると絶対断られるので、育良の助産婦さんにお願いして先生の機嫌のいい時を見計らって話してくれるとのこと。そして今日は休診日なので、明日直接出向いてお願いしようということになった。A先生には悪いが、経膣分娩できるならこの際、転院してでもという気持ちだったので、一も二もなくここは宗先生にすがることにした。

99.11.05

朝9時半、僕は会社を休み、Shokoとふたり、恵比寿駅西口で宗先生と待ち合わせる。浦野先生のアポはまだ取れていなかったが、取れ次第すぐに会いにいけるように育良クリニックに近い恵比寿駅で連絡を待つことにしたのだ。宗先生とはこれが初対面なのだが、こんなに親身になってくれるとは涙が出るほどありがたかった。麻由美さんが浦野先生とも面識があるので、担当助産婦としてShokoを紹介するという形をとることになったのだが、なかなか麻由美さんから面会OKの電話がこない。次第に不安になる二人を尻目に宗先生は、すぐ会えるように育良の傍まで行っていようと、恵比寿駅から育良クリニックに向かって歩き出す。10分ほど歩き、そうしてとうとう育良クリニックの目の前まで来てしまったところで宗先生の携帯電話が鳴る。麻由美さんからだ。しかし電話の内容は思わしいものではなかった。麻由美さんから大体の事情を聞いた浦野先生は、A先生の紹介状とレントゲン写真を持って来れば会う。それが無ければ会わないと言う。目と鼻の先まで来ているのに、出直さなければならず、わざわざ来ていただいた宗先生に申し訳なかったが、何はともあれ、会ってもらえることにはなったので一安心、一旦荻窪に戻り、Aクリニックに行くことにした。だがA先生に事情を話すのはちょっと気が重かったので、自然と二人とも足取りは重くなるのだった。

Aクリニックに着いて、順番を待ち、診察室に入るとA先生は満面笑みでとうとう決心してくれたかと話し掛けてくる。 実は・・・と切り出し、事情を説明すると、一転、A先生は鉄仮面のような無表情になり、
「いいですよ、僕は喜んで紹介状を書きますよ」
と、お荷物が片付いてせいせいすると言わんばかりの調子でおっしゃる。Shokoと僕は恐縮しながらも、その場で書いてもらった紹介状とレントゲン写真をもらい、Aクリニックを後にした。これで育良に断わられたらもう、自宅で自力で産むしかないねと半ば自虐的になりつつ、再び恵比寿に向かった。

やっとのことで浦野先生との面談が叶った。超多忙の浦野先生、昨夜もほとんど寝ていないそうで、予想を上回る不機嫌さだった。まず診察してもらい 、その後二人で話を聞く。浦野先生曰く、A先生の帝王切開という判断は適切であり、本来ならこんなこと(予定日直前に受け入れること)したくないが、レントゲンを見ても胎児の大きさを見てもこれなら経膣出産は可能なので、今回は特別に受け入れてくださるとのこと。
(よかったァ・・・)
体が軽くなるほどの安堵感。そしてShokoの喜びは僕のそれの比ではないだろう。ここ数日間の重苦しい気持ちが一気に晴れ、出産に向けて目の前が大きく開けたような、希望に満ち溢れた気分。浦野先生にお礼を告げ、二人はスキップせんばかりに家路についたのだった。

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