誕生まで 第6話

帝王切開決断を迫られる

99.10.23~31

37週が過ぎても逆子が直らず、Shokoはかなりどんよりした気分でAクリニックに向かった。A先生は基本方針として逆子の場合は帝王切開を勧めることにしているらしいので、うちの場合も帝王切開といわれるだろう。彼女は37週過ぎて自然に逆子が治った例もあるのを本で読み、それを心の支えに、一応自然分娩の希望を伝えてみるという。そして案の定、帝王切開を勧められたのだが、必死の懇願が功を奏したらしく、条件付で自然分娩(逆子は自然分娩ではないので正確には経膣分娩と言うらしい)にチャレンジしてみるという口約を取り付けてきた。その条件とは、レントゲンで骨盤の形状を確認し、経膣分娩が可能かどうか判断するというものだ。レントゲンはこの時期胎児には影響ないとはいうが、やはりできることなら避けたい。しかし背に腹は替えられないのでしかたなくレントゲンを受けることにする。Aクリニックではレントゲンの設備がないので、2日後に提携している阿佐ヶ谷のK病院にレントゲンを撮りに行くことになった。

その日は、僕は会社にいたのだが、よりにもよって雷の鳴り響く土砂降りだった。こんな天候の中、臨月の妊婦が何で出歩かされなきゃならんのだと理不尽さに怒りを覚えた。が、Shokoは経膣分娩への執念で嵐の中レントゲンを撮りに行き、数時間待たされて写真を受け取り、また嵐の中をAクリニックまで写真を届けに行ったのだった。レントゲンの結果、Shokoの骨盤は胎児の頭の大きさより広く、一応経膣分娩は可能なことが判明した。しかし、A先生はできることなら大事を取って帝王切開にしたいという。また、最悪なことにこの日のエコーで臍の緒が首に二重に巻きついていたのが判り、これがA先生的にかなりの不安材料らしい。それでも、言われた通りレントゲンを撮って骨盤は大丈夫だったのだからと食い下がると、それでは万一の場合はすぐ帝王切開に切替えると言う趣旨の同意書にサインをしてくれと言う。

僕は家に帰ってこの日の経緯を聞いたのだが、まあ、なにはともあれ一応経膣分娩を前提に予定日まで待てることになったのだから、それまでの間にうさに回ってもらおう。同意書にサインなど幾らでもしてやるさ。と、胸をなでおろしたのだった。

同意書にサインしたりするのが戸籍上他人というのもどうかと、これを機会に 一応入籍しておこうということになり、憶えやすいようにと(ゾロメ好きの僕の提案で)平成11年11月1日に籍を入れることにした。前日の31日の日曜日に友人の小梶夫妻に証人を頼みに、ボボリのアイスクリームを手土産に小梶家を訪れた。小梶君のところには子供が二人いて、これがまた両方とも可愛らしく、うちの子もこんなに可愛いといいなあと思わされた。久々に和やかに過ごせた1日だった。

その翌日、ShokoがA先生に呼び出された。

← INDEX | 第7話 ドキュメント「一番長い一週間」 →

タイトルとURLをコピーしました